2008-11-08

中島義道『ひとを〈嫌う〉ということ』


*マイミク募集中! http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3837974 

* ↓↓現在、ブログ布教中につきご協力を。踏んだ数だけご利益がある!?
ずっとベスト10前後を行ったり来たりなので、もう少しのご助力を!(笑)

● 中島義道『ひとを“嫌う”ということ (角川文庫)

★★★ 他者との関係にヒリヒリしてしまう方にお勧め

私の場合、もっと若かった頃は性的欲望に翻弄されたり、恋愛感情に支配されてしまう自分が疎ましくてならなかった。が、この頃は、性愛の効用をありがたく思えるようになってきた。それは、性愛の欲望によって誰かと関わる機会を求めたり、あるいは実際に抜き差しならない関係になったりということが、自分を他者につなぐ回路になっていると感じるからだ。

振り返ると私は、人を見る目が養われ社会的な経験を積むことでかえって、誰かと関わることがヒリヒリとした痛みを伴うようになった。他者に対する批評眼が鋭くなり、また他者の自分への感情や、相手との差異に敏感になったがゆえに、他者と関係することが困難になっていった。ところが、性愛というファクターが働くと、そうした理性的な認識から解放されて、その抗えないような「魔法の力」によって、他者との交流を求めるようになる。これは、対人関係に強い違和を持つ人間にとっては、この上ない癒しでもある。

私のような、他者に対する嫌悪や隔絶感をベースに生きている人間にとって、自分の感情を整理するのに絶好の本がある。『ひとを〈嫌う〉ということ』は、人の持つ〈嫌う〉という感情に焦点を当てた希少な一冊である。著者は、家族との確執によってこのテーマを深く考えざるをえなかった哲学者。

この本がユニークなのは、世間では否定されがちな〈嫌う〉という感情を、無理に排除したり抑圧するのではなく、人を〈好き〉になるのが自然なことなら、〈嫌う〉ことも自然な感情の表れであるとして肯定している点だ。「〈嫌い〉をわれわれの人生を豊かにする塩(味付け)として有効に活かしてゆく道があるのではないでしょう……」。

著者は〈嫌い〉の原因を、「相手が自分の期待に応えてくれないこと」「相手が危害(損失)を加える恐れがあること」「嫉妬」「軽蔑」「軽蔑されている」「嫌われている」「絶対的無関心」「生理的・観念的な拒絶反応」の8つに分類し、文学作品や自身の経験などを通じて丁寧に分析していく。そしてその結果、私たちは「自分の勝手さ、自分の理不尽さ、自分の盲目さが見えるようになる。そのために、ひとを嫌うことをやめることはできませんが……自己批判的に人生を見られるようになる」。


〈嫌い〉の内実に光を当てることで、他者との無用な衝突を避け、出口のない自己嫌悪から自らを救い上げることができるだろう。〈嫌い〉を哲学することは、まさに自分を他者に開いていく智恵を磨くことなのだ。

〈嫌い〉の反対には、当然のことながら〈友愛〉という主題がある。人はなぜにそれを求め、それが何であるのかと問い続けてきたのか。あるいは、個人と社会の間で〈友愛〉の言説化自体がどんな効果を生じさせているのか。葛山泰央『友愛の歴史社会学―近代への視角 (現代社会学選書)』はそうした近代の紐帯について、理論的に詳らかにしようとする野心作である。

*初出/現代性教育研究月報(2001.2)