2007-07-14
バーバラ・マクドナルド/シンシア・リッチ『私の目を見て』
● バーバラ・マクドナルド/シンシア・リッチ『私の目を見てーーレズビアンが語るエイジズム』(原柳社発行/ウィメンズブックストア松香堂発売)
僕には86歳になるゲイのボーイフレンドがいる。彼は新宿のど真ん中で独り暮らしをしていて。いまも元気に町を闊歩している。幸いなことにいたって健康で、その歳になるまで風邪ひとつ引いたこともないというから驚きだ。
彼と知り合ってから僕はいろいろなことを発見した。例えば、彼の頭の回転は僕などよりもよほど速く、少々口が回らないということはあるが、知力にはまったく衰えがない。物事を見る目が聡明で、様々な分野の情報に通じている。86歳という年齢のイメージからは想像もできないほど知的なのだ。それは僕の、老いることはボケること、というステレオタイプを見事なまでに壊してくれた。
それから、彼がひとり暮らしを楽しんでいるということ。身寄りのない老人=孤独という図式をみごとに粉砕してくれるほど、彼は悠々自適に生活を楽しんでいるのである。日々、街の喫茶店で好きなコーヒーを味わい、証券会社のボードに一喜一憂し……。「夜寝るときに、ひとりで暮らしていることの喜びをかみしめる」という彼の口癖は、けっして負け惜しみではなく、ひとりでいることの自然さを満喫しているように見える。
孤高というには大袈裟だが、彼は誰も自分の生活に立ち入らせないが、自身も他人に深くコミットするのを避けてきた。孤独に生き、孤独に死んでいくことを自らに課し、それを自分のライフスタイルとしてきたのだ。その世代のゲイが、自分らしく、社会に媚びずに生きていくには、そういう生き方を選択するしかなかったから、と言えるかもしれない。
僕は、彼の潔い生きざまに深く感銘を受けるし、自分が老いていくにあたって、そういう「覚悟」を持って年を重ねていきたいと思っている。
一方、『私の目を見て』の著者バーバラは、彼のように自分を遮断することによってそのスタイルを守っていく、というのとはまったく異なり、逆に、社会と対峙することによって自分を生かそうとする。社会と積極的に係わり、それを変えることで自分の居場所を作っていこうとするのだ。だからバーバラは口やかましく、語り続ける。
「今日、若者が家父長制と結びついて、高齢者の女性を奴隷のようにこき使っている証拠はよく目にする」
「女性運動はエイジズム反対を口先だけで唱えてきましたが、エイジズムに関して女性の意識を高めるためにこれといったことは何もしていません」
スタイルは異なっても、僕のボーイフレンドも、バーバラも、それぞれが老いることの中で精一杯に自分らしくあろうとしている。そして、僕たちは、そういう個人の生きざまに出会って初めて、老人が「老人」として生きるのではなく、「わたし」として生きているのだという当たり前の事実に気づかされるのである。そのこと自体が、僕たちがエイジズムの社会で暮らしているのだという事実を示しているのだと言えまいか。
『私の目を見て』は、そのことをハッキリと気づかせてくれる点で、これまであるようでなかった希有な本である。
初出/週刊読書人 1994.10.28