2007-11-02
QJr インタビュー・桜丸さん
*初出/「クィア・ジャパン・リターンズ vol.0」(ポット出版/2005.5)
■ ある30代サラリーマンとの対話
桜丸さん
伏見憲明●インタビュアー
「ムーブメント」にも「コミュニティ活動」にも
とくに参加していない30代リーゲイは、
どんなことを考えて暮らしているのか。
個人サイトで気を吐いている発言者に、
ゲイにとっての今という時代を訊いてみた。
● 桜丸(さくらまる)
1968年生まれの36歳。関西出身で
現在は都内某企業勤務の事務系サラリーマン。
169cm95kgトレーニング暦10年、SG体型のつもり(笑)のデブ専ゲイ。
ネットサイト「桜丸の日本男児で行こう!」で、日記・エッセー・小説等を公開中。
ゲイとしての視点から幅広い話題を取り上げ、辛口トークでぶった切ってます。
ゲイ生活は、上野・浅草のゲイバー&発展場で展開中。
政治的スタンスは保守系寄りリベラリストのつもり。
「桜丸の日本男児で行こう!」
http://home.att.ne.jp/sigma/sakuramaru/Homepage.htm
サラリーマンは
コミュニティに参加して
いない?
伏見 「桜丸の日本男児で行こう!」という個人サイトで、リベラリズムに立脚したオピニオンを発している桜丸さんのことを、以前から注目していました。僕を「性格の悪いオネエ」と悪く書いてましたが、それは本当のことなのであえて否定はいたしません(笑)。桜丸さんのような方にも、ゲイコミュニティにどんどん参入してほしいとの願いから、今日はお招きしました。桜丸さん、スーツ姿でいらっしゃいますが、ふだんはサラリーマンをなさっているんですか。
桜丸 この会場に入った瞬間に空気が違うと感じたのは、まず格好のことで、平日の夜だけどスーツを着ている方がすごく少ないですよね。
伏見 ここにいる連中は、リーマン系ではない、つまり社会からちょっとはずれた人たちばかりだとおっしゃりたい(笑)。
桜丸 僕なりにサラリーマンの定義をまとめると「スーツを着てフルタイムで働き、上司や部下がいる環境で、ホワイトカラーの仕事をしている人間」。ですから今日、この会場にいらっしゃる方々はそういう世界の人ではないのかなと思ったんですよ。
伏見 実際どうなんだろう。桜丸さんが言ったような定義で、ちゃんと雇用されて働いてる人、手を挙げてください(7割ぐらい)。ほら、見た目だけじゃわからないでしょー(笑)。それで桜丸さんはふだん、ご自身がおっしゃったような定義のサラリーマンをなさっているんですか。
桜丸 はい、東京駅近くのオフィスで働くサラリーマンです。
伏見 「活動系の人たちにフリーター的な人が多いのはなぜだろう」ということを書いてましたが、一面、その見方も当たってると思います。最初にゲイムーブメントが起爆したときには、世間的な価値観に寄りそってる人たちからははじまりえなかったということがあると思うんです。
桜丸 確かに世間になじんでる人は、世間に対して物申す意義はないでしょうからね。
伏見 意義だけではなくて、守るべきものをいっぱい持ってるということもありますよね。発言することによって不利益を被る可能性が高くなることを考えたら、世間の価値観に寄りそったままでいいというのが、90年代までの大半のゲイの考え方だったと思うんです。左翼主義という言葉は古いですが、ゲイの運動も反体制的なところからはじまらざるをえなかった。若者やフリーランスの人たちが中心になったのは、仕方のないことでしょう。前のQJのモチーフとして、実は「左翼主義からリベラリズムへの展開」という裏テーマがありました。言い換えると、「上野千鶴子から宮台真司への転向」(笑)。ムーブメントのエンジン部分を転換する必要があると思っていました。でも、実際、今、パレードとかHIVの啓発活動に関わっている方には、普通のサラリーマンとかが増えていると思います。
桜丸 僕は伏見さんの著書をほとんど読んでいますが、流れ的にすごく自分と似てるなと思っているんです。
伏見 体型も似てるしね(笑)。
桜丸 それは置いといて(笑)。
伏見 かつては、社会の上層部に属していてお金や権力に近い人は、ゲイムーブメントには興味ないし、入ってきませんでした。でも、最近は少しずつ変わってきて、そういう人たちも加わるようになってきているので、桜丸さんにも是非入ってきてほしいと思っているんです。
桜丸 一世代前のゲイムーブメントというのは「ゲイにとってもっと生きやすい社会にしましょう」というような、目指すものがはっきりしてたと思うんです。それから約15年経過して、社会はものすごく変わりました。はっきり言うと僕自身、今の世の中でそれほど生きづらいと思うことはないんです。この現状で「ムーブメント」として、今後は何をすればいいんでしょうか。以前に比べたら生きやすくなったけど、僕らゲイは完全にフリーになったわけではない。まだやることはあるけど、ゲイの団体としてやる話なのかなと最近は疑問に思ってます。
伏見 僕の「ムーブメント」という言葉は、「団体」という言葉とイコールではないんですよ。そもそも僕自身、団体に所属したこともないし。桜丸さんは、サイトではゲイであることにこだわって書かれていますが、そのこだわるモチベーションに興味を持ちました。
桜丸 ひとつは僕自身がゲイだから、ゲイに向けて情報を発信するのが一番楽だということ。「ゲイにこだわっている」とおっしゃいましたが、僕自身は特にこだわらないような書き方をして、もっと一般的な問題についても書いていきたいと思ってるんですよね。確かに僕はゲイの視点で書いているけど、ゲイにこだわりすぎるのもよくないかもしれないと思ってます。サイトをはじめた動機は、僕も世間に向けて何か意見を言いたかったからです。もともと僕は議論好きで、大学時代は「朝まで生テレビ」を真剣に見て「俺もあそこで一言しゃべりたい!」っていつも思ってたような人間なんです(笑)。
伏見 ゲイリブをわりとバカにして書いてますよね。
桜丸 いや……、文章にアクセントをつけるために、わざとバカにして書いてるんですよ。現実にリブを真面目にやってる人を目の前にして「バカバカしい活動をして」とは言えません、心の中で若干そうは思っていても(笑)。
伏見 会場のみなさん、こんな人をイベントに呼ぶなんて、アタシも度量があるオンナって感じでしょ?(笑) リブガマを自認する僕としては反省材料としてお聞きしたいのですが、ゲイリブのどこがお嫌いですか。
桜丸 小浜逸郎さんが「弱者であるということをひとつの盾にして、そこからしか世界を見ようとしない。人間関係というのは相対的にある場面によっては強くなることもあり、いつも自分は弱者でいじめられていて、守られるべき存在なんだという考え方から抜け出てないようなことばかり言うのはおかしいんじゃないか」というようなことを書いています。僕の意見も全く同じで、僕の印象ではリブ系の人にはそういうところがあるんじゃないかと。だけど僕もリブ系の人の意見は本やサイトで読むだけだから、実際に議論したことはないんです。
伏見 じゃあ今日は生な感じで議論しましょう。
桜丸 いや、伏見さんはリブ系でもちょっと特別なスタンスだと思うんですよ。だって『プライベート・ゲイ・ライフ』の中でも「運動の自己目的化のようなことには自覚的であるべきだ」というようなことを書かれていたでしょう。
伏見 そういうことを言うから、各方面からにらまれて大変なんですが……(笑)。
でも、まあ、90年代初頭に起爆力になったような人たちのメンタリティというのは、僕とはちょっと違うんだけど、よくわかるんです。そういう人間でなければできないことがあるわけですよ。ウーマンリブもそうだったけど、やっぱり良くも悪くも最初の爆発というのはファナティックなエネルギーなんです。僕みたいに自分をすぐに相対化しちゃうような人間は、実はそれほどのパワーにはならない。だからわりと初期の頃から、いかに舞台転換していくのかが僕に与えられたミッションではないかと思って、そのモチーフで仕事をしているんです。かっこつけるようですが。
桜丸さんは、古式ゆかしい活動家系の人をやっつけたいという欲望を強く持っていますよね?
桜丸 まあ、ありますね。古典的な倫理系のサイトを見ていると、一言述べたくなるような意見が多いので、反論を書いて載せているのが自分のサイトなんです。そこが原動力なんですが、単にあおってガンガン書いて攻撃するのが好きなんでしょうね(笑)。ゲイサイトとしてスタートしたし、読者はほとんどゲイの人だと思うから、今後もゲイから見た現在の日本の社会やニュースについては書いていきたいですね。
ゲイのパートナーシップ
は制度で保障すべきか
伏見 その「ゲイの視点」というのはどのあたりなんでしょうか。
桜丸 例えば僕は「AERA」の記事をよくネタにするんです。あの雑誌はセクシュアリティの問題を多く扱っていますよね。男と女の結婚や女性が晩婚化しているという問題、パートナーシップの問題などを男女のカップルの視点から書いてあるでしょう。それを僕はゲイの視点で考えてコメントを書くわけです。
伏見 ゲイリブの中からは同性婚法やドメスティック・パートナーシップ制度のようなものを求める動きがあります。桜丸さんはアメリカ生活の経験もあるそうですが、このあたりのことはいかがお考えですか。
桜丸 そもそも「結婚とはいい制度なんだろうか」という疑問がありますね。結婚届を提出すれば、民法の親族編に書いてある法的な効果が一括して当事者にくるから楽なんです。相続や扶養義務、氏名変更など、ひとつずつやると手間のかかる法的な手続きが、紙きれ1枚で済んでしまう。それはすごくコンビニエントなシステムなんだけど、結婚自体、男女のカップルにとっても、今の世の中ではそぐわなくなってきているんですよ。夫婦別姓にしておきたいけれども相続権はほしいとか、その逆で相続権はいらないから夫婦同姓にしたいとか、チョイスしたい時代になってきていると思うんです。ノンケカップルも結婚制度に不便を感じているのに、今から新しくパートナーシップ制度を求めたいゲイの僕らが、どうして不便な制度を使わなきゃいけないんだろうという思いはありますね。だから結婚制度というのは、僕はあんまり必要だと思わない。また実現するとなるとものすごく抵抗があると思うんです。アメリカでさえ反対意見が盛り上がってますからね。
伏見 婚姻の義務としての性的排他性についても、ご意見を書かれていましたよね。
桜丸 結婚制度は1対1の性的な関係を強制するんです。結婚届を提出すると、浮気をすれば基本的に損害賠償を取られます。男女のカップルですらそういう関係に疑問を感じているのに……
伏見 ましてやシモユルなゲイにできるわけがないと(笑)。
桜丸 できるわけがないとまでは言わないけど(笑)、辛いんじゃないかなあ。ゲイ向けのパートナーシップ法を考えるなら、自分で選択できるようにすればいいと思うんです。名前は変更するのか、相続権や扶養義務はどうするか、親の面倒はだれが見るのかなどをチョイスできるようにして、性的な関係についても、浮気したら損害賠償という関係にするか、浮気は自由という関係にするか、それぞれ選べる制度を導入したらどうだろうというのが僕の考えですね。
伏見 としたら、同性カップルの制度的な保障というのは。
桜丸 それはあったほうがいいと思います。実は現状でも契約で同じようなことは可能ですが、一から全部書かないといけないのですごく大変なんです。だから法的な制度はあったほうがいいと思います。それはノンケの人たちも望む制度なんじゃないかな。
伏見 フランスなどでは結婚とは別にパートナーシップを保障する制度が既に導入されていますよね。
桜丸 別に同性間だけのものではなくて、異性間でも選ぶ人が多いと聞いてますね。そういう方向であれば法案にするときにも通りやすいと思うんですよ。「ゲイにも結婚制度を!」と言うと、国会議員の大半は反対しちゃうと思うから。
パレードなんて
する必要があるのか
伏見 ゲイパレードについてはどのように思ってますか。
桜丸 やりたい人がやればいいと思ってますね。
伏見 「社会にゲイの解放を訴えるようなゲイパレードはいかがなものか」というような意見を書いていましたが、実際にパレードは見たことがありますか。
桜丸 ないんですよ。
伏見 そうでしょー。実際に見るとわかると思うのだけど、社会に何かを訴えているように見えるのは、アカーのフロートぐらいしかないのよ!(笑) あれがなければ、あとは裸とか女装とか、何の行列だかわからないというのも問題でね(笑)。
桜丸 僕もインターネットの情報しか見てないけど、実行委員会のアピールを読むと「日本のゲイコミュニティのために必要」「隠れているゲイが日の当たる場所を歩くことに意味がある」というような内容なんですよね。
伏見 パレードを実行するために申請書を提出することから、社会的な意義のような書き方をしないといけないということがあると思うんです。でも、パレードに社会的な意義を込めるのはどうしてダメ? 今のようなメッセージぐらいだったら、僕は全然違和感を感じないけど。
桜丸 彼らが社会的にゲイの代表というわけでもないのに「ゲイのために」という全体的な言い方をされると、「そんなことはお願いしていません!」と言いたくなっちゃうんですよ。
伏見 全体的な言い方をまったくしてはいけないなら、誰もゲイについて何も言えなくなってしまうんだよね。でもねえ、パレードに参加する人たちなんて、ホントにマイノリティだよ(笑)。たかが2、3千人だもの。ただ、僕も「パレードをしなければ、ゲイが生きやすい世の中にならない」とは思ってないんです。でも、逆にどうすればゲイが生きやすい世の中になるのかというと、決定打はないわけですよね。パレードも、あるいは桜丸さんのように自分のサイトで表現することもひとつの方法だと思うから、「ちょっとでもプラスになるんだったらやってみようよ」という気持ちが僕の中にはあるんです。
桜丸 僕もパレードをやりたい人に対しては別に反対じゃないんですよ。確かに僕もインターネットの情報だけで決めつけて書いてあるところもあると思うので、一度どんな雰囲気か見てみたいですね。
ムーブメントは
必要ない!
伏見 今回のQJrのテーマは「リアリティーズ」というものなんですが、ゲイのリアリティがどのへんにあるのか、僕自身よくわからなくなっちゃって、これをつくりながらも疑問符ばかり頭に浮かんでるのね。
桜丸 リアリティを複数形にした時点で「たくさんあってわからない」という答えが出てるんじゃないですか。ゲイをひとくくりにして書けるほど、単純ではなくなってると思うんです。
伏見 ゲイをひとくくりにできないのは90年代以前でも同じです。桜丸さんは誌面で顔を出すのはいやだとのことですが、ゲイであることと真っ当なサラリーマンをやっていくことの間に齟齬はありますか。
桜丸 サラリーマンの世界はここ10年ぐらいですごく変わって、忙しい職場であればあるほど、プライベートなことは聞かれなくなってるんですよ。特にバブルが崩壊してからリストラの影響で人手が足りなくなった時点で、どの職場も、特に一流企業と呼ばれるところでは、死ぬほど働かされて余裕がなくなってます。みんな仕事を一生懸命こなして、疲れ果てて、飲みにいく気力もなくただ帰るだけ。とにかく仕事ができる人を優先的に働かせないと片づかないから、優秀な人材であるほどプライベートなことは問われない状況になってきてます。
僕は職場でのカミングアウトは、基本的にしないほうがいいという考えです。世の中にはゲイを嫌う人がかなりの割合でいるわけですよ。カミングアウトしたことによって、取引先や職場の同僚から、「あいつと仕事をやるのはいやだ」と断られる可能性もあるので、会社に損を与えることになるからしないほうがいい。逆にカミングアウトして得られる利益はあるでしょうか。ほとんどないと思うんです。さっき言ったように、最近の職場ではプライベートなことには触れられなくなってるからです。会社に利益をもたらすサラリーマンであろうとするならば、カミングアウトはするべきじゃないという結論にしかならないんですよ。
伏見 90年代だったらまず顔を出して名前を言うことに意味があったカミングアウトですが、今やいったいどれほどのメリットがあるのか、効果があるのか疑問なところもありますね。でも結局カミングアウトしていくことでしか、ゲイという人たちが見えてこないという問題もあります。
桜丸 確かに僕らが学生だった頃は、「僕はゲイです。ここにいるんです」と人前でカミングアウトすることで「ゲイというセクシュアリティもあるんだ」と気付く人もいたはずだから、大きな意味があったと思うんですが、インターネットがこれだけ普及した現在、「ゲイ」というキーワードを入れれば星の数ほど検索結果が出てくるんですよ。だからマスコミでカミングアウトする意味というのは、もはやなくなっているんじゃないかなと思いますね。あとは自分の家族に対してでしょうか。でも、家族の対応もちょっとずつ変わってきてるような気もするんですけどね。
伏見 では、桜丸さんはムーブメントとして特になにもやらなくてもいいんじゃないかとお考えですか。
桜丸 今の僕はその考えに近いですね。自分がサイトをやってるのも、自分が言いたい意見を書きたいだけで、別に社会のためにやってるわけではないし、結果としてそれが社会のためになればそれはよかったと思うけど、基本的には自分の書きたいこと、「この意見はムカつくから、批判してやれ」という気持ちで書いているんです。あえてムーブメントというかたちでなにかを起こさなくても、ゲイがインターネットにいろいろな意見を書けば、勝手に動いていくんじゃないかなとも思います。
伏見 それもひとつの意見だと思います。僕自身はもっと社会的な発信をしたり、カミングアウトをやりたい人はやったほうがいいと思いますが、問題の中心はそこではなくて、生き甲斐を持ってどのようにシングルライフを送ることができるか、というところにあると思っています。だから、家族を持たない生き難さを少しでも解消していくのにゲイコミュニティというフィクションを使ったら、もっと面白くなるんじゃないか、という立場に立っているんですよ。
桜丸 インターネットはすごくいいツールではあるけど、やっぱり生身の人間との接触がないと寂しいから、ゲイコミュニティは必要だと僕も思います。別に社会を変えることを目指すコミュニティではなくて、ただ寄り合って気の置けないゲイ同士がしゃべるような場所。メールのやり取りだけとかネット上のメディアだけの付きあいでは、少なくとも僕は満足できません。
伏見 みんないろいろなかたちで集う場がほしいという欲求はあると思うんです。
桜丸 漠然と僕もそう思います。やっぱり多様化というのはすごく大事ですよね。
伏見 コミュニティというのはそういうものだよね。
桜丸 ゲイバーとか、ゲイサウナもコミュニティになり得るんじゃないかな。しかし、最近はホモサウナへ行くゲイは減ってるらしく、どうやら一般の銭湯に流れてるらしいんですよね。僕もハッテン化してる銭湯に行ったことはあるけど、異様に目がギラギラしてる人がいて、ギラギラしてる人同士がスッと消えていって、それはヤバイよ、見つかったら追い出されるだろと。それはいかがなものかと思うんです。そのうち絶対にしっぺ返しされますよ。ゲイ以外のお客さんがいるところで、おおっぴらにセックスをやりはじめたら、既に「ゲイはセックスマシンだ」っていう見方もあるのに、ますます「やっぱりね」と思われちゃうからマズイですよね。
伏見 そうした倫理的なこと、お作法は、本当に考えていかなければいけない問題ですよね。自由になった分だけ、責任も負わなきゃいけないのだから。
(2005.2.16 新宿 aktaにて)
●対談をおえて
ゲイが社会的に差別されていることは事実だと思うけど、でも、それが各個人の不幸に直結しているかといえば、そうでもない。トークセッションでも話に出たけど、ゲイの世界でモテモテで仕事もうまくいって収入も多い人は、ゲイ差別なんて「俺には関係ないし」と思ってます。現在の日本社会の「ゲイ差別」って、その程度の「ゆるさ」です。
「幸せ」ではない原因が、社会の「ゲイ差別」のためではなく本人のブサイクさや性格の悪さや貧乏さにあることが明らかなのに、それを無視して「社会が変わるべき」なんてことばかり言っているっていうのは、「何でも他人のせいにしている」点で人間として未熟で魅力的じゃない。
今の日本社会では、各人の「幸・不幸」の原因は、「ゲイ」であるかどうかというセクシュアリティの要素よりも、各個人のその他の資質(性格、職業、容姿等)の要素の方が大きいと思ってます。「ゲイ」であることにこだわりすぎることは、きちんと向き合わなければならない各個人のその他の問題から目をそらす「言い訳」として、都合よく利用されてしまう危険性があります。だから、僕は「ゲイ」であることの特殊性やマイナス面を、あまり取り上げたくないんです。そういう意味では、僕は自分のサイトで「ゲイ」であることにあまりこだわりたくない。
しかし一方で、「ゲイ」ならではの感性や文化があることも事実で、そういうものを前向きに「共有」するためにインターネットを利用するのは、面白いと思っています。インターネットというのは、「ゲイ」のような「少数者」に向けた情報発信に便利なメディアです。僕自身、せっかくネットという媒体ができたのだから、その中で僕らゲイ自身へ向けた情報発信をやってみたくなったんです。その意味では、僕は自分のサイトで「ゲイ」であることにこだわっています。 (桜丸)