2008-12-19

イブ・コゾフスキー・セジウィッグ『クローゼットの認識論』

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● イブ・コゾフスキー・セジウィッグ『クローゼットの認識論―セクシュアリティの20世紀』(青土社)

★★★ こういうマニアックな文体に官能する人にはいいんだろうけど、もっとわかりやすく書けよ!って感じ

アメリカに遅れること20年、日本でゲイ&レズビアンのムーブメントが活発化したのは、90年代に入ってからのことであった。そこで主張されたのは、同性愛というのは趣味・嗜好の問題ではなく、その人の存在にとって本質的な指向性なのだから、それを差別したり否定したりすることは人権の問題だ、というものだった。

日本でそうした「本質主義」の考え方を背景にした運動が展開され始めた頃、欧米では、同性愛者というアイデンティティそのものが近代において構築されたもので、それこそが権力作用の産物であると批判した、フーコー以降の「構築主義」の理論がゲイ・スタディーズやフェミニズムに積極的に導入されていた。

ポスト構造主義などの言葉を用いて記述されたそれは、クィア理論とも呼ばれ、ジュディス・バトラーとともにそうした立場を代表するのがイブ・コゾフスキー・セジウィッグである。『クローゼットの認識論』はその記念碑的な著作とされている。

バトラーの代表作『ジェンダー・トラブル』も先頃翻訳刊行され、10年遅れで日本でもクィア理論が盛り上がっているとも言える。が、「本質主義」の考え方でさえ定着しているとは言い難いこの国の同性愛をめぐる言説状況は、まさにプレモダンとモダンとポストモダンがないまぜになった複雑な様相を見せている。

セジウィックの議論は難解で、単純ではない。「本質主義」と「構築主義」を「マイノリティ化する見解」と「普遍化する見解」という言葉に置き換え、これらを「決定的に調停できるような、いかなる思考の観点も示唆するわけではない…これらの見解が重複することによって創り出される、自己矛盾した言説の力の場によるパフォーマティブな効果」が主題であるとする。そして、さまざまなテクストに入り込み、それらの磁場を明らかにすることによって、両者を脱構築しようとする野心的な試みをここで遂行している。

*初出/デーリー東北(1999.7.23)ほか