2006-04-05

メイキング・ラブ

making_love.jpg映画『ブロークバック・マウンテン』に関しては、多くは語らず、いらだつので他人の批評は極力読まないようにしている。自分の心の聖域に確保しておきたい気分の作品なのだ。

昨日はロードショー公開で二度目の鑑賞。平日にしてはまあまあの入りの、新宿武蔵野館の前から3番目に座った瞬間、いまから二十数年前、浪人生をしているときに、ゲイ映画『メイキング・ラブ』を独り観ていた光景がフラッシュバックした。

帰ってきて大塚隆史さんにメールで問い合わせてみたところ、あの映画の公開も武蔵野館だった。やっぱり……。『メイキング・ラブ』のときは、場内はもっと閑散としていた気がするし、ドキドキしながら周囲を見回しても(←まだ二丁目デビュー前でどこか性的な出会いを期待していた)、ゲイらしき人は前のほうに座っていた怪しげなおじさんだけだった。今回は観客にゲイらしき若者、カップルがふつうにいた。

『メイキング・ラブ』も、女性と結婚していた男性が同性への欲望に目覚めて、自身に忠実に生きて行くことを選択するという物語で、まだ十代だったぼくに何か非常に大きなものを与えてくれた。当時、人気だったテレビドラマ『チャーリーズ・エンジェル』のサブリナ役、ケイト・ジャクソンが主演ということもあり、それなりに話題にはなっていたように思う。しかしヒットにはならなかったはずだ。出演者たちのその後もパッとしなかった。

あの日、19歳のぼくは、作品に深く打たれながらも映画館の暗闇でひどく孤独感に苛まれていた。その頃はまだ、恋人はおろかゲイの友達さえいなかったのだから、一筋の光は見えても、どこか途方に暮れるしかなかった。

あれから四半世紀近く経って、『ブロークバック・マウンテン』はアカデミー賞を(作品賞は逃したにせよ)受賞し、日本でもそれなりにヒットしている。ゲイ映画に出た俳優は干されると言われたハリウッドで、ヒース・レジャーの評価は逆に大いに高まった。

二度目にもかかわらず、ぼくはまたしても涙が止まらなかったので、イニスが「I swear…」とシャツに語りかけエンドロールになるとすぐ、明かりを避けて席を立った。ふと、うしろで鑑賞していた若いゲイカップルの姿が目にとまった。彼らの手はしっかりと結ばれていた。それは四半世紀前には考えられない光景だった。