2006-07-19

「企業の論理」

「企業の論理」って言葉をよく聞く気がします。「資本主義の論理」なんてもあるな。
で、これって納得いかないんですよね。
左翼をやめてから、会社とか企業とかの意味をときどき考えます。

「企業の論理」と言われるものは、
企業って利益を求めるの→その「論理」は利益だけを追求するものだ
だってことだと言われるのだと思います。

ここんとこ新聞で報道されてるパロマのガス湯沸かし器欠陥問題では、その欠陥を隠す(オープンにすると責任追及があって、利益が減るから)のも、利益を優先する企業の論理だと、いうように使われているようです。

でもこれって企業の持ってる本質的な性格とかじゃなくて、むしろワレワレ人間(2006年に生きてる人間)のほとんどが持ってる「性格」から発生してるもののような気がします。

僕は失敗なんかを、できるだけ隠そうと思ってしまいうんです。ばれたらカッコ悪いもん。
あるいは、時には弁償したりするのがイヤで、知らんぷりしたり、バレなきゃいいなって思ったりして、
やり過ごそう、と思うんですよね。

パロマの人たちも、大本はそんな気分でいたというだけなんじゃないでしょうか。

だからといってパロマとその責任者たちに責任がないとか、言いたいわけじゃないんです。
責任はありますよね。ただ、[自分もついやってしまうかもしれないこと]として、
パロマの責任を考えたり、シャベッタリしないとまずいんじゃないか、とおもうんです。

企業も人間が作ってる無数の社会・集団の一パターンに過ぎないんじゃないかな?
政党、マンション管理組合、父兄会なんかとおんなじ社会・集団。