2005-08-17
出版の「方針」
おととい、「たった一人のクレオール」の著者・上農正剛さんが来た。
そんで話をしてたら、なんかこれまでやってきた出版の「方針」みたいなものが、突然言葉にできた。
「この本を出そう」とか「こう作ろう」とかを決める時に、なんとなくぼくの頭のなかに基準があるつもりでいたんだけど、それを具体的な言葉にできないままでいたんです。
で、その「方針」とか「基準」なんですが、
(1)記録する
最近のほんでは、「風俗嬢意識調査」。これ、本全体が記録なんだけど、たんにそういう記録の本を作ろう、ってことじゃなくて、この本の最後のほうに、アンケートの結果をすべてのせたんだけど、まさにその部分かな。
好調な売れ行きの「ず・ぼん」の10号でも、図書館の民間委託の23区の委託料を全部調べて載せたんです。
委託はいいのか悪いのかって議論の前提として、いったいいくらで、どの会社が受諾してるのかを見ることが、ここでいう「記録する」ってことなんですね。
「QJr」も「カーミラ」も、記録という面をもってるんだと思うのです。
できるだけ、オオモトの記録を載せておく、たとえちっちゃい字になっても。
(2)あたらしい見方・考え方の提示
上農さんがいっていた言葉でいえば、「仮説の提示」かな。
わかりやすいたとえで言えば左翼・右翼、常識、といった枠組みをトッパラッテ、できるだけオオモトに迫ろうと思ってる。
ラディカル=根源的に、って。