2007-09-14
『リベルテに生きる』─八木雅子さんの「翻訳後記」
『リベルテに生きる パリ市長ドラノエ自叙伝』の翻訳者、八木雅子さんが『リベルテに生きる』を翻訳しての思いを「翻訳後記」として書いて下さいました。以下に掲載いたします。
ベルトラン・ドラノエという人物について、そして『リベルテに生きる パリ市長ドラノエ自叙伝』について、読まれた方はもちろん、未読の方でも解りやすく書いて下さいました。ぜひご一読ください。
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パリ市長の自伝────たしかに、これまでの彼の足跡、あるいはパリ市民に向けて、市長としてのこれまでの成果と任期満了までの目標、そしてその理念が、この本には書かれている。それだけなら日本の読者に訴えるものはそう多くないのかもしれない。いや、それだってアメリカ流の民主主義(自由主義経済)に少々うんざりしている人や地方自治に興味がある人にはおすすめだ。だが、それだけじゃない。ここで熱く語られているのはおそらく、ベルトラン・ドラノエという人物のいき方そのものだ。いかに生きるか、何を大切にするのか。政治家として、しかしそれ以前に人として。
翻訳の話を頂いた時、ドラノエ氏に対する私の関心は、パリ・プラージュなどという社会党流イベントをやっている市長なら面白そうというレベルのものだった。それまで私の関心事となった多くの政策が国主導のものであったからと言って、これは少々さぼりすぎだったと今さらながら反省するのだが、そもそも門外漢の私がこの翻訳をさせていただいたのは、私のずうずうしさもさることながら、この本に感じた不思議な魅力のせいだろう。ゲイで暴漢に刺された市長──という刺激的な事実は、七十年代後半に殺害されたサンフランシスコ市政執行委員ハーヴェイ・ミルクを想起させたが、ミルクとは違って、彼が重傷を負いながらも生還したように、タフでエネルギッシュ、そして感受性豊かなこの本に、つい手放せなくなってしまったからだろう。
生まれ故郷チュニジアでの記憶、両親や姉たちとの関係、政界での歩みとミッテランやジョスパンらとのつながり、人種や宗教による差別、環境問題や尊厳死など今日的な様々な問題、ロンポワン劇場改革や文化イベント、都市計画、あるいは音楽や絵画への憧憬まで、時に未整理にさえ思える彼の語り口は、いくつかのモチーフが何度も登場し、また一見無関係なエピソードへと自由に飛んで行く。それらを縦横無尽に繋いでいるのは通奏低音のように流れる彼の自由への信念と情熱だ。
ところで、この本のオリジナル・タイトルは『La vie, passionnément 人生、情熱的に』。ドラノエ氏を知っているフランスの読者にとっては十分すぎるものなのだろうが、日本の読者にはうまく伝わらないだろうと頭を悩ませていたところ、編集者那須ゆかり氏の発案で邦題『リベルテに生きる』と決まった。リベルテ(自由)こそ、私が何よりも必要とするものだとドラノエ氏は言う。この自由とは、もちろん身勝手さや奔放さとも別のものだ。自由とは、異なる他者を尊重することで獲得できるものだろう。便利さや目先の効率性を犠牲にしなくてはならないこともある。
フランスの憲法では、フランス革命以来「自由・平等・博愛」が標榜されている。人はそもそも自由であることが前提にあるが、ただしこの自由は他人の権利を侵害しない限りにおいて最大限認められる。だから憲法は自由を制限し、むしろ優先されるべきは平等(権利の)となる。その実現はとてもむずかしい。それでも、だからこそ、そしてそのために彼は全精力を傾ける。「La vie, passionnément 人生、情熱的に」──それが彼の信条だ。
今年5月の大統領選で経験不足や党内をまとめきれなかったセゴレーヌ・ロワイヤルの敗退直後、マスコミは早くも次の大統領選(2012年)の候補にドラノエ氏の名前を挙げだ。とりわけ右派の牙城パリでのロワイヤル得票率の高さは、パリ市長ドラノエ人気が大きく影響していると考えられているようだ。ドラノエ氏がパリ市長候補に立った時、パリ市民の間でも「ドラノエって誰?」あるいは「ドラノエにそんな力量があるのか」という意見が少なくなかったという。実際ドラノエ市政は、現職市長の汚職スキャンダルや身内に対する暴露合戦に加え、右派候補が一本化を図れなかったことなどが幸いし、緑の党との連立で実現したものだ。だが改選を2008年に控え、ドラノエ再選、しかも社会党単独での勝利の可能性が語られている。それが実現すれば、次期大統領候補となることも、いっそう現実味を帯びてくる。まずは来年の改選を見守りたい。
小生は「リベルテに生きる」の原著を買い、興味のある章は既に原文で読んでいました。
原著を読んだ者からすると、八木雅子様の日本語訳はたいへんに素晴らしく、原著でみなぎる情熱を見事に訳出していらっしゃいます。
ところどころ見られる冗長とも思える文章もキレイに訳されており、感銘を受けました。
名著に相応しい名訳で、「リベルテに生きる」という邦訳も含め、傑作だと思います。