2009-11-18

お部屋1986/書影利用自由の表示について

あんなにやる気のない購読者募集だったのに、さっそく申し込んでいただいた方々がいらっしゃいまして、バカじゃないかと(ひどい)。

ここ最近は中国の動画投稿サイトやSNSから中国の人たちの意識を探るというシリーズをやっていまして、これ自体、まあまあ面白い内容なのですが、途中から読んでも意味がわかりにくいと思いますので、今申し込むだけ無駄です。またやる気のないことを書いてみました。
 
 
さて、「書評における表紙問題」が長くなってきたので、またまとめておきます。

1963/多摩図書館廃棄本問題と「書影使用自由」の表示
1982/「書評で本の表紙を出すことができない」問題
1983/中の著作権・外の著作権
1984/商品パッケージの著作権
 
前回書いたように、インターネットによるさまざまな商品の販売が可能になって、「そうした方がメリットがある」と感じる企業が出てきたために、「なあなあ」にされていた問題がにわかにクローズアップされているわけですが、販売用の写真使用は営利目的であって(複製した写真自体を販売するわけではないにせよ)、それより書評で本の表紙が出せないことの方が優先的に検討されるべきです。

書評も値段をつけている以上、商品紹介であり、販売目的とした紹介文であるということであれば、商品販売用の写真使用がOKになることによって自動的に書評の問題も解消されますが、話の順番がおかしくないか? 中身をいくら批評していても本の表紙が出せないことは放置されてきたのに、「値段さえつければパッケージの著作物を複製使用していい」という話がいきなり出てくるのは、どうも納得しにくい。

たいていの場合、法は利害のある人たちの力関係でしか改正されず、「法を守って許諾を得ることをやっている人たち」「批判的な批評をする時に違法行為をやることは危険だと感じる人たち」の数があまりに少ないため、この問題は大きくなりようがない。

予想できていたことですが、この数回は思い切りアクセスが少ないです。人気のない図書館の問題よりさらに人気がない。こんなもんです、この問題は。法改正などできるはずがない。

なので、私の中ではこの問題も図書館同様に、「諦めたもの領域」に入ってます。言っても無駄。言うだけ言っておかないとスッキリしないので、時折は言いますが、言うだけであって、それ以上をもはや求めてはいないです。

そのはずだったのですが、ポットの沢辺さんが「今後の新刊には、書影利用自由の表示をします」と書いていて、「なるほど、その手があったか」と感心した次第。

そこで私は「1963/多摩図書館廃棄本問題と「書影使用自由」の表示 」を書いて、なぜかそこから図書館の話になってしまって、やっとこっちの問題に戻ってきたわけです。ここも順番を間違えてますね。

沢辺さんによると、Twitterで賛同した人はいても、自分の意見を明らかにした上でこの表明に賛同したのは私だけだったみたい。しかし、これは賛同者がいようといまいと、自分たちがやればいいことです。つまり、本に一文を入れればいいだけ。そこに私は意味を見出しました。自分たちでできることならやった方がいい。

続いてポットの沢辺さんは「書影の書影としての利用OK運動、できないか」を書いていて、こっちに対しては「調子に乗り過ぎ」と思いました。

「運動ができないか」なんてことに私は興味がないです。無駄ですから。

現にこれがなんら改善されることがなかったのは、出版社のほとんどすべては無関心であり、むしろ、現行法によって内容をチェックできるメリットを見出している出版社があり、同様の著作者がいるからであって、そんなもんでしかない出版界の考えを変えることは容易ではありません。

そんなことに何年も費やすんだったら、ポットだけがやればいいことです。これをやることで、それ自体を話題にしてくれる人がいるかもしれない。この表示をすることで、ポットの本を積極的に書評に取りあげる人がいるかもしれない。

目に見えるような効果はないでしょうが、これによって売れなくなることはなく、50部でも売れる可能性があるんだったらやった方がいい。50部だとしても、数万部程度の雑誌に書評が出るよりも効果があります。

そんなことはないでしょうけど、数百部という単位の効果があったら、他の会社も真似をするだけのこと。利用者の利便のためにやる出版社はなくとも、売り上げのためならやる出版社はあります。ちゅうか、どこもそうです。出版社というのはそういうもんです。

ある程度の出版社がこれをやり出せば、イヤでも、誰かが「自由に書影を出せる出版社リスト」をネットに作ってくれます。

私としては、先日書いた「検索用、データベース用の複製」「点訳」以外に、「インターネット上の複製」も入れたい。すでに既成事実化してますが、「著作者名・タイトルを入れること」「ポットのサイトか、アマゾンへのリンクをすること」「原文ままであること」「商業利用ではないこと」を条件に、千字以内なら転載OKです。批評なんて面倒なことをしなくても、コピーして貼付けてくれてOKです。これによって全文がネット上に出てしまう可能性がありますが、細切れである限りは出てもいいべ。

そもそもこれは出版社の問題ではなく、第一には、著作者の問題です。表紙の利用で言えば、表紙にイラストや写真を提供する人たちの問題。その著作者が「イヤだ」と言えばそれまで。

点訳やデジタル化、ネット上の複製は出版権の侵害にもなるので、出版社の問題でもあるわけですが、第一には著者の問題ですから、この問題は、出版界が横並びで一律に決定できることではありません。ひな形を作ることくらいはできますが、統一基準を作ると、著作者の権利はないがしろにされかねない。個別に作るしかないものでしょう。

つまり、「運動」なんてものとはそぐわない質のものだと思うんですよね。法改正しようという運動だったらいいとして。

ともあれ、12月に出る『クズが世界を豊かにする』では、何らかの表示を入れます。著作権が発生していない表紙より、発生している表紙でやった方が意味があるので、急遽、「これこれこういう写真を入れよう」とポット出版に提案して、大急ぎで実現することになりました。笑える表紙になるかと思うので、皆さん、お楽しみに。

この問題は私にとってはこれで解決。出版界がどうするか、著作権法がどうなるか、他の著者がどうするかは知ったことではないです。

忙しくなってきてしまったので、次回の更新まで数日あきます。

このエントリへの反応

  1. [...] 本来、表紙は著者の仕事ではないのですが、「書影使用自由の表示を入れるんだったら、著作権が発生している表紙にし