2009-11-15

お部屋1984/商品パッケージの著作権【訂正あり】

法的には前回書いた通りなのですが、「より多くの人の目にとまるように」「より売れるように」と好き好んで本や雑誌という商品の外側に著作物を晒し、誰もがイヤでも見てしまう状態を作っておきながら、書評に出したら法律に反するのはおかしいだろうというのが法とは別の私の実感であり、おそらく多くの人の実感でもありましょう。

もちろん、その著作物だけを切り取って、本を示すこととは別の目的に使用するとか、改竄するといった行為は問題外として。

それでも、通常、これで訴える人はいないので、「なあなあ」でいいわけですが、いざ訴えられたら負けることをやるのはあまりいい気分ではありません。

表紙を出したことによって、あとからクレームがついたという話は聞いたことがありますが、訴訟を起こされたという話は今まで聞いたことがない。しかし、本の内容を批判的に取りあげることがある人たちは、訴えられる可能性がゼロとは言い切れない。

中身の著作者と表紙の著作者が同一の場合、批判したことに対しての報復として訴えてくるかもしれない。著作者が違う場合でも、表紙の著作者に依頼して訴えてくるかもしれない。頭のおかしな人たちはどこにでもいるわけで。たいした賠償金にはならないにしても、現行法ではそんな頭のおかしな人たちに負けかねないんですよ。裁判所としては和解にもっていくでしょうが、それにしたって面倒なことこの上ない。

著作権が発生していない表紙も多く、それらはいいとして、漫画だったらほぼ100%表紙にも著作権が発生しています。それを考えると、おいそれと表紙の著作権にうるさい出版社、うるさい著者の本を批判的に取りあげられない。批判するとしたら、本の表紙は出せない。出すとしたら、本の表紙まで批評しておくしかない。

「めんどくせえ」と思ってしまうわけですが、そういう状態こそをよしと考えている出版社や個人がいるわけです。

それに、前回例を出したように、法を遵守して、ひとつひとつ許諾をもらい、許諾をもらえなければ使わない人たちが現にいます。法にアバウトな人たちが得をして、真面目な人が損をするのはどう考えてもよくない。やはりここは法改正した方がいいと思うのですよ。

そもそもなんでこんなことになってしまっているのかと言えば、法律が現実とズレてしまったからだと思われます。

著作権法第四十六条に「公開の美術の著作物等の利用」が定められていて、好き好んで公衆の目に触れるように作られた建築や美術の著作物については、その権利が制限されています。

同じように、好き好んで人目に晒される商品パッケージに使用される著作物も権利を制限されてしかるべきです。しかし、法はそんな事態を想定していなかったのだと思われます。

ここは「国会図書館のカバー・箱廃棄問題」とも通じています。

戦前から箱や雑誌の表紙に絵が印刷されるケースはあったわけですが、そこにさしたる重きがなかった上に、書評で書影を出すことはほとんどなかったはずです。きれいに写真を印刷しようとすると値段が張るためです(写真印刷の歴史については『エロスの原風景』にも書いた通り)。

ところが、精度の高い印刷が安価で可能になって、表紙にイラストや写真が入れられるようになり、書評で書影を添えることも恒常化していきます。レコード評も同様。どれもこれも写真を入れるようになったのは、1970年代くらいからじゃないでしょうか。

本やレコードに限ったことではなく、広く商品のパッケージに言えることです。さまざまな商品パッケージに著作物が広く使用されるようになることを法は想定していなかったのでしょう。

かつては衣装に著作物がプリントされることなど誰も想像していなかったでしょうが、イラストや写真がプリントされているTシャツが今はありふれています。しかし、著作権法はそれをフォローできていないので、イラストや写真がプリントされたTシャツを着た人物写真を出しても、訴えられたら負けるという理不尽なことになっています。著作権法第四十六条の「屋外の場所に恒常的に設置されているもの」にTシャツは該当しませんし。

これも訴える人がいないため、「なあなあ」でいいとも言えますが、訴える人がいなかったのは、「訴えて勝てることを知らなかった」「訴えてもたいした金にならない」というだけのことかもしれず、この先も訴えられない保証はない。

時代の変化にしたがって、不備が生じたということですから、改正するのが妥当です。だから、著作権法を改正した方がいいとずっと言い続けているわけですが、なかなか賛同者は増えない。

ところが、ここに来て、商品を販売する際に商品の写真を添えるのは、引用の範囲であるとの主張がなされるようになってきています。そう主張したくなる気持ちはわからないではないのですが、これを先取りして、「商品販売の場合は商品の写真を出していい」と堂々と言っている人たちに対しては「ちょっと落ち着け」と言わないではいられない。そういうことを言うのは、法律を改正してからにしろ。

古本目録に本の表紙や漫画の原画を出すことについても15年ほど前に、北村弁護士に話を聞いていて、やはりNGだとのこと。実際、著作権法のどこを読んでもこれを認める規定はありません。価格をつけること自体が批評という主張をする人たちもいるのですが、主従の関係から言って無理でしょう。「なぜこの本に1万円をつけたのか」の事情を十分に説明して、なおかつ表紙を出す必然性がある説明をしているならいいとして。

当時はまだインターネットが普及しておらず、絵画を集めたサザビーズの販売目録を確認したのですが、著作権切れのものと、著作権者の承諾があると思われるものしか図版が出ていませんでした。ひとたび「×千万ドルで落札」ということになれば、報道機関は画像入りで扱うことができるとして。

サザビーズのサイトを見ると、著作権が切れていないはずのものの画像も出ています。例えばこれ。しかし、亡くなったのが6年前なので、著作権継承者である遺族が売りに出している可能性がありそうです。あるいは、その後、法改正がなされているのかな。よくわからん。

私も実感として、古本の販売をする時に本の表紙を出してもいい、絵の販売をする時に絵の写真を出していいような気がしてしまうのですが、よくよく考えると、書評で本の表紙を出すことよりもう少し微妙な点があります。

古書目録には、それ自体に値段がついて販売されているものが多数あります。1000円といった値段をつけて、カラーで掲載しているものもあります。印刷費は販売によって捻出されていて、中には利益が出ているものさえあるでしょう。

どこでも見られる本の表紙より、漫画の原画、色紙、イラストの原画のようなものの方が目録で見たがる人が多いですから、目録を売るためにそういった著作物が利用されているとも言えます。

一般の雑誌であれば、ギャラを払ってイラストや漫画を描いてもらうのに、販売目録になると、途端にタダで許諾もいらないのはバランスが悪い。表紙にまで販売するイラスト等を使っているものもありますしね。

また、イラストレーターの中には、色を指定して印刷されたのが完成品であって、その前の段階のものを複製されるのはたまったものではないという感覚の人もいるはずです。

何年か前にお宝ブームがあった時、商品紹介として、そういったものを取りあげている雑誌やムックもありました。この場合は「こんな値段で売られている」という報道や批評という解釈もあり得ますが、単なる目録の場合は無理です。

値段さえつければいいというのであれば、雑誌だって改めてイラストを発注せずに、値段をつけてイラストを使用することができてしまいます。そういった拡大使用を防ぐためには、商品販売に対する著作権者の権利制限をするにしても慎重な線引きが必要でしょう。

「購入するためにはその商品の写真を出して確認できた方がいい」というのはその通りですが、だったら、本を購入するためには内容まで公開してくれた方がいいわけで、条件をつけずにこれを認めると際限がなくなります。

私の考えとしては、商品販売用に出せるのは、予め広く目につくことがわかっている商品の外側に複製されたものだけにすべきかと。本の表紙、CDのジャケット、Tシャツ、マグカップ、ステーショナリーなどなど。それ自体、必ずしも商品ではないですが、ポスターの類いも同様。

本来は、ものによって内容も状態も違う原画の方が出す必要性があるわけですが、ここは現物を見てから買うようにするしかないのではなかろうか。そもそもかつて商品目録はそういうものだったわけで、現物を確認した方がトラブルもないですし。

そういう条件つきで法改正することに私は反対しないですが、どうも積極的に賛成する気になれない。その事情は次回。
 
 
訂正:著作権法第四十六条が二カ所に出てきますが、先に出てくる方が「第十六条」になってました。すぐに直したのですが、すかさずコピーしたヤツらがいます。漫然とコピーするんじゃなくてリンク先の条文を読んで間違いに気くように。これだから、間違った情報がダラダラ流れてしまうのであります。ミスした私が怒る筋合いではないですけど、検証をしないままコピーをやっていると、意図的なデマ情報の拡散に加担しかねないですよ。って話も『クズが世界を豊かする』に出ています。ミスを新刊の宣伝につなげてみました。

このエントリへの反応

  1. 以前、週刊現代で実話ナックルズの写真が無断で使われていたことがありました。ある事件の犯人の写真なんですが、うちで撮った写真と記事です。見開きページなんですが、それが丸ごと掲載されていました。で、キャプションでも本文でも「ある雑誌によると」なんて書かれて、頭にきたんで当時の週刊現代の編集長に電話しました。その人は素直に謝ってくれて、僕も付き合いのある週刊誌だから、謝罪文だけ送って下さい、と言いました。
     すると担当編集の山田という人に代わって、彼がまだ若いらしいんですが、「これは報道引用ですから」とか、知ったようなことを言うので、「引用?引用する場合、出典の明記するってこと、入社時に習わなかったですか?」と問いただしましたが、ラチがあきません。
     で、どんな謝罪文かなと思ったらまた「報道引用のため云々」とか書いてあって、最後の方は「遺憾に思います」ときました。怒るより、こいつ可哀そうになと思いましたね。将来、筆者ときっとトラブルと思いますよ。
     日本最大手と言われている出版社がこの認識かと思いました。が、こちらがナメられているのかなというのが本当のところかな。このブログを読んでいて、ふと思い出しました。

  2. なんかあったね、そういうことが。リアルタイムに久田君から聞いたような気がする。

    講談社も漫画の表紙にはうるさいはずで、だったら、他者の権利にも配慮すべきでしょうに。どっちもアバウトなら、それはそれでいいとして、自分の権利にだけ敏感な人が多すぎかと。

    著作権無視の某社がおたくに文句をつけているとの噂もちょっと小耳に挟んだけど、まだ書けないか。

  3. まだ書けないのかな…。あの抗議は僕の雑誌に来たのではなく、別の雑誌に来たのですが、僕の所に来たら即効で、「彼」に電話してますね。あの件は僕も含めて上層部は「オマエの所が言うな」と一歩も引かない構えです。

  4. 互いにメディアをもっているんだから、誌面でやりあうのがいいと思うけどね。あっちとしては、日常的にパクリをやっていることがバレバレになるのがイヤなんでしょうけど。

  5. [...] 「この現状をどう考えるべきか」については次回。 [...]