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[第2章●強靱なリファレンス環境の探求]
13… 年号と西暦
[2006.03.17登録]

石田豊
ishida@pot.co.jp

今年は2006年であると同時に平成18年である。この「平成18年」というような呼び方を和暦というか年号というか、どちらが適切なのかはぼくは知らない。ま、どっちゃでもいいでしょ。でもって、今回はとりあえず「年号」と呼んでおくことにする。

年号はもともと中国発祥のものであるが、本家(大陸)ではもはや使われておらず、その影響下にあって使っていた国々も、もうすでに廃止してしまって、今でもしつこく使っているのは、我が国と中華民国と北朝鮮だけらしい。後二者はオーソドックスな肌合いでの年号ではないので、日本だけが使い続けていると言ってもよいだろう。

特に、お役所は頑固で、なんでもかんでも平成×年という具合に言い募るので(そして書類にもそう書いて提出しろとまで言うし)、時として、すごくイライラする。ぼくだけかもしれないが、今年が平成何年になるのか、いつもよくわからないのだ。

昭和から平成になった頃、ぼくは個人的に、これからは西暦でいく、と決めた。自分で書く納品書や請求書などの日付欄にも西暦で記入するようにした。昭和天皇があと6年、あるいは少なくとも1年、長生きしてくださってたら、このような決断は下さなかったかもしれない。昭和×年から平成×年まで、何年かというような計算を行う場合、64という中途半端な数を引き算に使わなければならないので、暗算がとても難しいのだ。その点、大正は15年、明治も45年だから、計算が非常にラクである。も、いいや。これからは西暦一本でいく。ぼくはそう決めた。

これは自分自身のひそかな決断だと思っていたのだが、だいたいみんなの考えることはよく似ているもので、平成以来、西暦をメインで使う人がウンと増えたように思う。それに拍車をかけたのが、21世紀になったということで、2000年以来、西暦派の勢力はますます増大したように思う。大企業からくる文書なんかでも、2006.3.14というような日付表示が増えてきた。

たしかに年の数え方、表現の仕方としては、西暦のほうが年号でのそれより優れている。何も西洋文明のほうがいいとか悪いとか、そういう問題ではなく、「単位が一元化」されているからである。しかし、「劣っている」からといって、古いシステムを無条件に捨て去ってもいいかといえば、それは違うだろう。過去のシステムを考えなしに捨ててしまうと、歴史や文化がわからなくなってしまう。

すでにわれわれは、旧暦を捨て、尺貫法を捨ててしまった。そのためにいろんなことが感覚としてわからなくなってしまっている。六尺の偉丈夫なんていってもピンとこないし、米100石とリキんでみてもどれくらいの量かイメージできない。

本能寺の変が起こったのは天正十年六月二日の未明である。旧暦が「カラダ」でわかっていれば、これは大変暑いさかりの、しかも月明かりがない闇夜であるというイメージが日付を見るだけでわき上がってくるのだが、ほんのちょっぴりずつでも、日常的にそのシステムを使っていないと、想像力が発揮できなくなってしまう。

韓国では、できればハングル一本でいくぞということを国家として決めた。学校教育の中でも漢字はほとんど教えられなくなったらしい。しかし、漢字を捨ててしまうということは、豊穣な過去の歴史を捨ててしまうということにつながる。そのため、近年は大学生を中心に、もういちど漢字を学び直そうという機運が高まっているとのことだ。いいことだと思う。

年号もまた同じである。便利だからといって、年号をないがしろにしていると、いつのまにか「年号感覚」というようなものを喪失してしまうのではないか。そうなってからでは遅すぎると思うのだ。

なんてふうに大上段に振りかぶってみましたが、実のところ、年号問題には、いささか苦労してきたんですよね。

先に書いたように、平成以降は西暦でなければ何にもわからん。平成10年といわれてもピンと来ず、98年と聞けば、お、なるほどあの頃かとわかる。

しかし、昭和の御代は、年号のほうがよくわかる。1969年はと聞かれても、すぐにはイメージが湧きかねるが、昭和44年と言えば、アポロ11号月面着陸、あっと驚くタメゴローとすぐに出てくる。1930年代というより昭和1ケタと言ったほうが時代のイメージがつかみやすい。

明治、大正もそうである。関東大震災が1923年だなんて、知ってました? 大正12年と言わんと気分がでん。西南戦争は明治10年、暗算してはじめて1877年とわかる。

江戸時代となるといささか微妙ではあるが、それでもやっぱり年号のほうがイメージが喚起されやすい。元禄とか文化文政とか。1802年というより享和2年の方が少しはわかる。

しかし、室町以前になると、年号は特殊な年号、たとえば文永弘安とか天平とか、以外はまったくわかんない。元弘3年ではなんのこっちゃらよくわからんが、イチミサンザン北条氏の滅亡で、なるほどとなる。

要するに中途半端なのである。虻蜂取らずなのである。西暦でもわからん、年号だけでもちゃんと理解していないってことだ。

これではあかんやろ、と数年前に作ったのが西暦−年号変換辞書だ。かな漢字変換システムで、たとえば「1822」とタイプして変換キーを押すと「文政5」と変換され、「たいしょう5」とタイプして変換すると「1916」あるいは「大正5(1916)年」となるという辞書。

自画自賛ではあるが、これは重宝している。

日本の歴史について読んだり考えたりするときにすごく便利なことはいうまでもないし、世界史的知識でも、時として年号に換算することで、ああ、あの頃ねと理解が進む。

たとえば、ワーテルローの戦いは1815年だが、これをこの変換システムで変換すると文化12年だということがわかる。世界恐慌が1929年にはじまったということは知っていたが、変換してみてはじめて昭和4年だということがわかった。なんや、オヤジの生まれた年やん。

こういうシカケが実にたやすく作れてしまい、そして実に簡単に使えてしまい、とてつもなく便利になる。こういうところがパソコンのスゴいところだと思う。

で、この辞書について、もう少し詳しくは次回に。

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