2005-12-19
書評『女王様と私』
以下、時事通信の配信で琉球新報、陸奥新報、福井新聞、神奈川新聞などに掲載された書評原稿です。
●歌野晶午著『女王様と私』(角川書店) 1680円
『葉桜の季節に君を想うということ』でミステリーの枠を超えて広く支持を集めた歌野晶午の新作である。今回も極上のエンターテイメントを提供しながらも、現代社会のよどみに深くメスを入れている。
とにかく登場人物たちのキャラクターが面白い。主人公はひきこもりの中年男性。四十四歳にしていまだ童貞で、人形を妹にして会話をするいわゆるオタクだ。タイトルの「女王様」は十二歳の美少女で、中年男を奴隷のようにあつかい翻弄する知能犯。その他にも、娘のわがままを許す身勝手な母親、小児性愛の学校教師……など現在を象徴するかのような人々が物語を織りなす。
とりわけオタクの心理や嗜好に関しての描写はリアルで鋭い。著者は主人公の男に少女の服装をしばしば描写させる。「黒地に熱帯の花がでかでかとプリントされたチューブトップ、その上に前開きを全開にした黒いノースリーブパーカ、下はわざと汚してあるデニムのミニスカート……」。ディテールにこだわるオタクの性格が見事に表現されている。
純文学の感性からすれば、人物像に関しては類型的にすぎる、という批評もありうるかもしれない。しかしこの時代、類型に向かって生きることにこそリアリティがあるのではないか。個性が求められるほど、人々は「キャラ」として生きることに執着せざるをえない。そのことを著者は直感しているのだろう。
そしてもはや現実とイマジネーションとの間に価値序列をつけることが難しくなった私たち。その実感が、作品の構造自体を用いて皮肉に表される。いったい現実にプライオリティを与えることにどんな根拠があるのか。人を実際に殺すことと、人を殺すことをエンターテイメントとして消費することにいったいどれほどの違いがあるのか、と。
私たちの自我のもろさ、社会の不安定さを、この作家はあざ笑っているかのようだ。そして読み手は、虚実の境界を撹乱される快楽をここでまた得るのである。