2012-09-05
有元伸子さんからいただいた書評
広島大学大学院文学研究科の教授の有元伸子先生から、『百年の憂鬱』の書評をいただきました。有元先生は『三島由紀夫 物語る力とジェンダー』(翰林書房)などで知られる三島研究の第一人者! 心より感謝申し上げます。
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世に認められていないという屈託を抱えた中年の男性作家が、目の前に出現した若さに夢中になり、そして……。いわば「私小説」の常道ですが、『百年の憂鬱』が従来の作品と大きく異なるのは、ひとつには主人公の前に現れるのが若い娘ではなく、アメリカ出身の若い男性だということ。
数十年来のパートナーの忠士との自然で馴れ合った関係と、新たに目の前に現れたユアンとの激情。主人公は二つの男同士の関係の意味を知悉していながら、両方に手を伸ばそうとしますが、その狡猾さと純情さとが、真摯に、ときにコミカルに描かれ、ぐいぐいと小説世界に引き込まれました。
『百年の憂鬱』のもうひとつの特徴は、「松川さん」というゲイコミュニティの先駆者との交流が描かれること。小説の主筋であるユアン-私-忠士の恋愛関係に、松川さん-私-ユアンという世代の問題が交錯し、同性愛に対する世代や文化による感覚の差が、この小説のもう一つのテーマとなっています。
明治末年生れで敗戦後のゲイ社会を生き抜いた松川さんが語るオーラル・ヒストリーのすさまじさ、面白さ。彼が身につけた猜疑心や厭世観は同性愛受難の時期をサバイバルするのに必須のものだったのでしょう。同性愛に向けられた当時の社会のまなざしが実感させられますが、そうした差別や疎外をリアルに受け止められる主人公と、まったく想像の外にあるユアンの世代・文化の感覚の差。にもかかわらず、三者は確かにつながっています。
主人公は一人暮らしの松川さんを長年にわたり訪問し、彼の語る貴重なゲイの歴史を記録しながらも、書き手としての利益のために松川さんと関わっているのではないかといった葛藤を抱えていました。松川さんが主人公をどのように見ていたのか、最後に開示された松川さんの言葉と松川さんの歴史そのものである「アルバム」の行方は、血縁によらない男性たちのすがすがしい関係を示して、大きな救いとなっています。
初読では主人公とユアンの恋愛の顛末に目を奪われて、あっというまに読了してしまいましたが、再読すると、図と地が入れ代わるように、松川さんの語るゲイの歴史の物語の方が表層に浮び上がり、主人公の恋愛劇が地模様に転じて映りました。
主人公にとって切実な愛の喜びや悶えは、もちろん彼にとってはかけがえのないものなのですが、松川さんの語ったような多くの男たちの関係や情念の歴史の一コマに過ぎないものでもあります。『百年の憂鬱』のタイトルそのまま(マルケス!)、個人的な恋愛関係や感情が、日本近代100年の男たちの歴史のなかに溶かし込まれていくような、なにかとても大きな広がりをもつ世界に誘われました。
知的で魅力的な一人の男性の身の丈の感情と、その背後に広がる男たちの歴史的な連続性。二つの世界を交錯させる緻密な構成と、意欲作でありながらナチュラルな描写。
小説中の松川さんの語りには、江戸川乱歩や三島由紀夫を思わせる人物も登場します。三島の『仮面の告白』や『禁色』からほぼ60年。男同士の恋の小説はここまで豊かに成熟したのだなあという感慨にかられました。
伏見さんにとって「もっとも重要」な作品だという言葉に、素直に納得です。