2010-11-30

12/1(水)は地味営業です。

先週はどうしたわけか大学生のお客様がわんさかやってきて、平均年齢が20代前半(それは言い過ぎ?)だったエフメゾですが、今週はいったいどうなることでしょう。週1営業のせいか、客席に同じ顔ぶれということはほぼなく、だいたい毎週違った展開になるのが面白いところですが、12/1(水)ははたして何が起こるのか。←ちょっと大げさ

一応バーなんで居酒屋よりは高めの料金設定ですが、それを補うためにカレーとかは安くなっております。伏見ママが朝から念を込めて作っているので、ワンコインは安いっすよ! 手間も材料費もかかっているから、外で食べてくるよりお得かも。一杯飲んでカレー食って2000円くらいだし、ボトルを入れてしまうと、次からはもっとお手軽に楽しんでいただけます。初心者にもスタッフがていねいに接しますので、安心してゲイバー体験をしてもらえます。

最近、伏見ママのことを知らないで来る若い人が多いので(笑)、以下に自己紹介も兼ねて若い人向けのエッセイをコピペしておきます。kosupure.jpg伏見が39歳のときに共同通信に寄稿した初心者向けのものです。

●「17歳」(共同通信/2002)

17歳の僕は途方に暮れていた。

同い年の連中は、屈託なく恋愛や友達との付き合いを楽しんでいたけど、僕はひとり、周囲との間に見えないバリアーを張りめぐらせて、不安に苛まれていた。というのも、その頃、自分の中で、ある「欲望」が日々大きくなっていくことを無視できなくなっていたからだ。

そう、僕が切なく胸をときめかすのは同級生の男の子だったし、Hをしたいと想像するのも同性でしかなかった。自分自身、そんな不可解な「欲望」を持っていることが信じられなくて、必死にそれから目を逸らそうとした。けれども、同級生のひとりに沸きおこる感情は、どう考えても友情以上のものだったし、それは抑えようがないほど膨らんでいく。

とすると、自分は「ホモ」とか「オカマ」とかいうたぐいの人間ということになるわけか! 自分が自分で想像していたものとは別の人間になっていく恐怖に、僕は愕然とした。そして、その現実を突き詰めていくと、自分の先に待っている人生は……。

僕の17歳はまさに「痛み」そのものだった。歯痛に苦しむとき、その人は「歯が痛い存在」以外の何者でもなくなってしまうように、僕は「同性愛の欲望に悩む存在」以外ではなかった。そして誰にもそのことを打ち明けられなかったし、理解してもらえるとも思えなかった。

けれども、若い僕は、未来への恐怖に震えながらも、やっぱり、好きな人にちゃんと「好きだ」と伝えたかったし、打ち解けられる友達も欲しかった。自分を偽り続けるよりも、他人にも自分にも正直でありたかった。そして、そうした思いはいつしか、恐怖を超えて、自分の外に激しく流れ出ていった。

あれから22年、僕は自分の「痛み」にこだわり続けてきた。それはどうして生じるのか、なぜ痛いと感じるのか。その「原因」を解消するのはどうしたらよいのか、自分は具体的に何をすべきなのか。僕の20代と30代は、同性愛者であることの「痛み」と向き合い、試行錯誤することに費やされきたと言える。僕は「痛み」をないものとすることができなかったし、他のことでまぎらわすこともできなかった。

結局、僕はそうした問題意識から文筆活動等々を始めるに至ったのだが、30代も最後の年となった今、あの「痛み」は自分の中でもはや「痛み」ではなくなったと断言できる。「痛み」と格闘したことで僕の人生はより豊かになったと確信するし、そのことで人間関係も大きく広がっていった。社会状況もまた大きく変化した。

そう、僕の「痛み」は確実にひとつの「経験」になった。人生にはそれ以外の道もあったかもしれないが、その「経験」は僕にとってかけがえのないものとなったのだ。

39歳の僕は、これからまた17歳をやり直せるような気がしている、と言ったら笑われるだろうか。