2008-12-21

上野千鶴子ほか『セクシュアリティの社会学』


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● 上野千鶴子ほか『岩波講座現代社会学 (10)』(岩波書店)

★★★ この本が出版された時代はまだ社会構築主義も洗練されていませんでしたね

上野千鶴子ほか『セクシュアリティの社会学』と、ジェフリー・ウィークス『セクシュアリティ』はともに、これまで精神医学や心理学などがもっぱら対象としてきた「性」「セクシュアリティ」の領域を、社会学や歴史学の視点から捉え直そうと試みる論考である。前書は上野千鶴子はじめ現代日本の気鋭の社会学者らの手による論文集で、後書はポスト・フーコーの旗手と欧米で評価の高いジェフリー・ウィークスの翻訳である。

これらは、「人の性とは何か?」という問いかけのもとに言葉を編み上げてきた精神医学や心理学といった近代の「知」に対して、「『人の性とは何か?』と『知』が問いかけるのはなぜか?」、「そのことによってどんな現象が近代に生じたのか?」という問題意識にそって、「性」に社会的、歴史的な分析を加えている。

上野千鶴子が「わたしたちがここで語るのは、『セクシュアリティの近代』であって、『近代のセクシュアリティ』ではない」と述べるように、「セクシュアリティ」あるいは「性」という領域は通史的に存在しているわけではない。日本においても、「性」はたかだか明治以降に使われだした言葉にすぎず、したがって人々が「性」という領域を意識し、思考するようになったのも百年に満たない。当然、それ以前には「性的欲望」が意識されることもなければ、「性的異常」も存在しなかった。逆説的ではあるが、「性の問題」が生じるのは、近代になって「性」という領域が成立してからのことである。
 
このように、いま、わたしたちが「性」というものを実体的に感じているとしても、そのこと自体が近代の現象にすぎないというのを明らかにしたのが、フーコー以降のこれらの仕事だったと言える。

「セクシュアリティと定義するものは歴史的構築物であって、ジェンダー・アイデンティティ、身体的差異、生殖能力、欲求、欲望、幻想といった、さまざまな生物的、心理的可能性をあい伴ってもたらすということである。これらの要素はともに結び付けられる必要はなく、別の文化では実際結び付けられてこなかった」(『セクシュアリティ』)。

こういった見方は、精神医学や心理学という「性」の内部で思考している限りは見えてこなかった。そして、「同性愛」や「性的逸脱」などの「性の問題」が、実は「問題」を設定している側の「問題」なのではないかということを暴いてみせたのがセクシュアリティの社会学の功績であった。

これらの仕事を外観できるという意味において、『セクシュアリティの社会学』と『セクシュアリティ』の両書はまさに絶好の書と言える。こういった「性」を歴史化する試みによって、日本での「性」研究も今後、根本的なパラダイム転換を迫られることになるはずだ。「性」を正常/異常に分類することだけに執心してきた心理学者らは、いったいこれらの言説にどう応えるのだろうか?

*初出/現代性教育研究月報