2008-12-07

セレナ・ナンダ『ヒジュラ』


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● セレナ・ナンダ『ヒジュラ―男でも女でもなく』(青土社)

★★★ インドの「ヒジュラ」は性が二元的でない可能性を示す存在である。が、世界中見渡してもそういう性制度が「ヒジュラ」や「ベルターシュ」くらいしか見つからない、つまりほとんどの社会が性別二元制になっている事実もまた無視できないことなのである。そこに安易な性別二元制解体論が言説上しか意味をなさないところがある。

「この世には男と女しかいないんだから…」

というのは、ドラマなどでしばしば耳にするフレーズである。しかしながら、この世に「男でも女でもない」人たちがいるとしたら、どうなるのか。

実際、生物学的には男性と女性の間に位置する性、最近ではインターセックスと呼ばれる身体に生まれ付いた人たちが存在することが明らかになっている。が、そういう人たちは「性別二元制」の支配する近代社会では、男か女のどちらかに強制的に振り分けられ、間の性を生きる権利は奪われている。

しかし、現代においても、「性別二元制」からは逸脱するジェンダーを設定している社会・文化も存在する。インドに存在するヒジュラと呼ばれる人たちは、そういう中間的なジェンダーを体現していると考えられている。

本書は、アメリカ人である文化人類学者が、ヒジュラへのフィールドワークを通してインド社会のジェンダー制度を分析したレポートである。理論的な枠組みは、フェミニズムと比較文化論。これまで謎とされてきたヒジュラを、その生活の内部にまで入り込んで調査し、文化、経済、宗教などさまざまな角度からそのありようを浮き彫りにした労作となっている。

著者の言葉によれば、ヒジュラとは「女性の服を着て女性の振舞いをする男性の宗教的な共同体」で、「男でも女でもない存在として、制度化された第三のジェンダー役割として機能する」。「彼女たちの伝統的な仕事は、不明瞭な性的資質を理由に、子供の誕生後や、結婚式、寺院のお祭りでの儀式を執り行うこと」だが、日常においては蔑視の対象でもあり、実際、生活の資を得るために売春などに従事するものも少なくないという。

著者は、ヒジュラと、インド社会の柔軟な文化構造を描き出すことによって、ジェンダー制度の可変性と、多様であるはずの性の現実を、逆に近代社会に突き付けている。

*初出/デーリー東北(2000.1.7)ほか