2007-09-04

『欲望問題』一部公開 3

fushimiblog0000.jpg近く「『欲望問題』の感想への感想」という趣旨の対談をメルマガに掲載する予定なのですが(サイトではその一部を公開の予定)、その前に、パブもかねて本文を「ちょっとだけよ」公開することにしました。「何を書いている本なのかわかりにくい」という風評もあったので、本書でいちばん論争的な第二章のあたりをここでチラ見していただこう、と。

*ただし、強調点などが変換によってとんでしまったりしているので、正確な表記を知りたい方、どこかで引用しようという人は必ず単行本をあたってみてください。くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

ポット出版の通信販売はこちらから→『欲望問題』

● あとがき

命がけで書いたから、
命がけで読んでほしい

 本当のことを言うと、この本はパンクロックです。70年代末に、大御所のロックアーティストたちは反体制をきどりながら実は体制を補完することに堕し、「太った豚」になっていた。そういう欺瞞に対するアンチテーゼとしてパンクは、装飾的、技巧的になり過ぎていたロックを否定し、ビートの効いたサウンドにシンプルな言葉を乗せて歌おうとしました。また、60年代以降、髪が短いのは体制的だということになっていたのに、パンクは一見保守的に見える短髪で登場しました。この本の中のぼくの言葉も、表面上は大人しく、場合によっては保守的にさえ読めるかもしれません。しかし、シンプルな文章に根源的(ラディカル)な問いを突きつけたと思っています。

 そしてぼくが否定しようとした「太った豚」は、まさにこれまでのぼく自身であり、その欺瞞であり自己矛盾です。もちろん、ターゲットになっているのはぼくだけではありません。でも、ぼくにとっては、他人様が反権力を謳いながら権力のガス抜きとして生きていようが、近代を親の仇のごとく否定しながら近代の源泉に寄生していようが、そんなことは実のところどうでもいい。みんな多かれ少なかれ妥協しながら生きているのが、人生というものでしょう。ただ、ぼくは自分のからだ感覚と矛盾するような嘘を吐き続けたくないし、ノーを言い続けることで免責されるかのような世界観に与したくない。それだけです。リアルであることこそが、ぼくのパンクです。

 きな臭くなってきた時代の中で、こうしたスタンスの本を世に問うことは政治的にナイーブだ、という批判も招くかもしれません。ただ、ぼくとしてはそういう時代だからこそ、ちゃんと、鎧を脱いで、腑に落ちる言葉で問題を語り合うことが必要だと考えました。また、ジェンダー/セクシュアリティの領域に関しては長く関わってきましたので、こういう立ち位置で、このような主張を発すれば、どんな反発や反応があるのか、どういうふうにバカにされるのかは熟知しています(笑い)。あるいは、ぼくの仕事はある方面ではつねに等閑視されてきましたから、もしかしたら、よくって「保守反動」と陰口をたたかれるくらいの反響かもしれません。が、だまっていれば反差別運動のフロントランナー然としていられるにしても、それでも言わなくてはならないこともあるでしょう。

 今回、自分なりに誠実に考えてきたことを整理しましたが、もちろん、思考が未熟なところも、表現が足りないところも多々あるはずです。それについてはぜひとも率直に「バカだ」「わかっていない」と批判していただきたい。ただし、そのときにはどうして「バカ」なのか、「わかっていない」のかをわかりやすく、具体的に言っていただければ幸いです。レッテル貼りや罵倒だけで「処理」されるほど、安易な経験からぼくはこの本を書いていません。

 いまのぼくには守るべきものは何もありません。地位もなければ資産もない(笑い)。丸腰の自分であなたに問うています。不器用な言葉でもちゃんとからだを入れて交わし合いたいのです。樹を見て森を見ない批判ではない、大きなつかみで議論したい。この本で書かれたようなテーマは、いま、実は、たこつぼの中でしか語られていないのではないでしょうか。立場の異なる者同士が向かい合っているようにはとてもじゃないが見えません。だから、そのきっかけになるよう、ぼくがこの身を差し出しましょう。そこでそれぞれが誠実さを持ち寄って議論してもらえれば、と願うばかりです。

 ぼくらは今まさに、上野千鶴子氏自身による以下の言葉を噛み締めることが重要なのでしょう。「実践的な関心から離れて制度的な言説を組織的に再生産するような仕組みを、私たちが作っているのではないかという危険です」(上野千鶴子対談集『ラディカルに語れば…』)

 『欲望問題』は、ぼくの思考と経験の、いまのところの到達地点です。ここに至るまでには優れた先達から(勝手に)多くを学びました。赤川学、上野千鶴子、加藤秀一、小浜逸郎、竹田青嗣、田中美津、中野翠、橋爪大三郎、宮台真司、吉澤夏子……の各氏からはご著書を読む度に多大な影響を受けました。野口勝三氏には今回とりわけ多くの示唆をいただきました。ここで提出された論理の多くは彼との議論の中で輪郭づけられたと言っていいでしょう。またポット出版の沢辺均氏は、著者と編集者という関係以上の「同志」としてこの本を世に出してくださいました。同様に、編集の那須ゆかり氏にも的確なサポートをいただきました。この場を借りて、皆様に心より感謝申し上げます。

 そして、この本をいま差別と闘っている多くの仲間と、多様な社会を願うすべての人に捧げます。