2006-07-07

日記(その8)

月曜日・・・・・ある意味、決戦の日です・・・。ドキドキしていますが、母としてここは正念場です。白い木綿のワンピースを着ました。白は潔白の色。全身そういうイメージです。

8時にはセクレタリーに行こうと思っていました。でも、アンドレアの助言で、一応念のために、もう一度クリニックに行って、全ての診断書をまとめた1枚のものを書いていただくことにしたのです。クリニックは9時にあきます。8時45分に行ったら、すでに受付の方がいらしたので、事情を説明しました。少し待って、ドクターの助手のインターンが対応してくださいました。個室で説明したら、とても好意的で親切な助手さんで、「ああ、そうですか、それはひどいな。このPCで調べても、確かにあなたのお子さんは2度怪我をして、それもかなりの骨折もあったわけだし、これは体育で落第になるはずはないですよ。診断書の日付けの問題といっても、それは誰のせいでもない。大丈夫ですよ、ドクターに説明しますからね、少々お待ちください。」と励ましてくださいました。

待つこと15分。お忙しいドクターが、苦虫を噛み潰したような表情でやってきました。そうです、ここでも息子はドクターに愚かにもたてついていたようで、印象が悪い・・・汗。それでもひるまず、一生懸命に私はドクターに事情を話しました。「そうですか・・・・。今PCで調べてみたけれども・・・あなたのお子さんは、途中でリハビリにも来なくなって、診察が中断されていますね。しかも2枚渡すべき診断書を、やはりかなり遅れて取りに来ている。ある意味、同情の余地がありません。」

が〜〜ん・・・・・。なんと馬鹿な息子でしょう! 毎回ちゃんとクリニックに行っているのか、リハビリしているのか、診断書はちゃんともらっているのか、私が聞いていたのに、それを怠っていたとは!!! 唖然としてしまいました。懸命に説明していたけれど、がっくりしてうなだれてしまいました。すると・・・・

「とはいっても、そのことで落第になるべきではないし、そうなる必要もない。あなたのお子さんが、これから反省してちゃんと出すべきものを学校に出し、それなりに前向きにできるのだったら、私はとにかく全ての診断書をまとめて1枚に書いて、息子さんが本当に体育を受けられなかった証明をいたしますよ。それが効果のあるものなのかはわかりませんがね。できることはします。」

よ、良かった・・・!! 何度もお礼を申し上げて、20ユーロで診断書を再び書いていただくことになりました。でも、出来上がるのは明日の火曜日とのこと。今日は間に合いません。でも、校長にその旨説明すれば良いのですから、問題ないでしょう。

その足で、すぐに学校に行きました。セクレタリーに行ったら、もちろんもうこのことは皆さんご存知なので、同情するといった感じの表情でむかえてくださいました。「ごめんなさいね、今日は校長は不在なのです。明日だったらいるけれども・・・。朝の8時に来ていただければ、お話できるように私がセッティングいたしますけれど・・・。」と秘書の方。もちろんそれでお願いをして、火曜日のアポをいただきました。

その話し合いによっては、弁護士とさらにShulratへ行って書面での抗議をしなければなりません。

アンドレアと電話で話しました。「わかった。では明日なのね、校長との話し合いは。弁護士は、電話したら木曜日の2時だったら時間がとれるみたい。これから学校が夏休みに入るし、弁護士の方も夏にベルリンにいないとならないから、複雑な過程はあるけれども、何とか彼だったらやってくれそうよ。では明日の火曜日、校長と話して、らちがあかなかったら、成績表を無効にするためにも、最後に淑子から、それでは弁護士と相談して、もう一度お話合いをさせていただくべく、出直してきます、とだけ言ってみてね。」

準備は整いました。火曜日を待つだけとなりました。