2006-07-07

日記(その9)

7月4日。火曜日になりました。再び眠れなかったのですが、お風呂で禊をして(笑)、また白い服に身をつつみ、7時に家を出ました。息子は最後のクラスの日でしたが、7時半に出れば良いとのことで、まだベッドにいる状態。それでも玄関まで来て、「お母さん、いろいろとごめんね、よろしくお願いします。・・・大丈夫だよね?」と心配そう。あまり自信はないものの、「うん、大丈夫よ! きっとうまくいく!」と息子と自分を励ますように言いました。

クリニックに寄って、診断書をいただき、ギムナジウムへ。まだ朝が早いので、生徒たちは校内に入れません。たまたま学校内の工事をしている作業員の方が入るところでしたので、その時にアポをいただいていることを話して入れていただきました。その作業員さんは、どうやら今日が生徒の運命を決める日であることをご存知の様子。「やれやれ、あなたも大変だね、今日がラストチャンスといったところかな?ここをまっすぐ行けば校長室ですよ、セクレタリーの隣ね。頑張ってね!」と、私の問題も知らないのに、ちゃんと理解してくださっていました。まぁもっとも、そんな早くに親が学校にいるというのは、内容は決まっているのでしょうけれども・・・。他の作業員の方も4人ほどいて、皆さん私に声をかけてくださいました。なんだか・・・・・幸先がいい?汗

そして校長先生と、校長室で二人きりになりました。またあなたか!といった感じの顔つきで、すでに答えが校長の顔に書いてあるようなもの・・・・。ドキドキしていましたけれども、でもひるまずに話しました。新しい診断書も提出しました。

「フラウ アオキ、でもこれは、昨日の日付けですよ、こんなもの、いくら持ってきてもらっても、何にもならない。あなたのお子さんは、ちゃんとした時期にちゃんとしたものを体育の先生に提出するべきだった。それを怠った、だから落第です。変更は認めません!」再びこぶしでがん!と机を叩き、すっかり威嚇モード。でも私は諦めませんでした。

「先生、どうかもう一度考え直してください。息子が体育をさぼって能力がなくて落第点がついてしまっているのだったら理解できます。でも、書類提出の不備という、いわば反省の余地のある内容によって、結果落第に追い込まれてしまうのは、どうしても親としても納得できないのです。私はドイツの教育システムを評価してここに来ています。いわば、病気を患った今となっては、息子のためだけに残っているようなものなのです。どうぞ息子に最後のチャンスを与えてください。追試で落ちてしまえば、それは息子の問題です。諦めもつくでしょう。でも、今のあの子は、大好きな友達と一緒に9年生になりたいと言っているのです。昨日などは、少し前向きになって、もしも落第したら、友達が助けてくれて、9年生の勉強も同時にできるようにしてくれるって、だから自分は頑張って8年生をしっかりやって飛び級という手もある、と、本当に頼もしいことを言っていました。でも、私が思うに、復習はそういう良い状態の時はちゃんとついてくるものです。あの子が最大限のモチベーションを持っている今だからこそ、あの子のこれからのためにも、追試だけは受けさせてあげたいのです。やっと何かを感じ始めているのだから、この一連のつらい出来事で学んで欲しいのです。何が何でも進級させたいと言っているのではありません。あの子の正当な最後の追試というチャンスをいただきたいと申し上げているのです。」

校長はそれでも、がんとして言うことを曲げませんでした。
「でもね、彼は本当にどの教科もあまりよくない。これは完全に怠けていたということですよ。だったら救う必要のない子どもた。落第してもう一度やれば、学力も身につくというものですよ。」

「でも、あの子にとって今は友達が必要なのです。みんなで一緒に勉強したいと、友達も言ってくれているのです。そういうポジティブな心を大切にしたいと私は思うのです。それに、息子は思春期の真っ只中で、本当に愚かにも大人や学校や先生に対して意味のない反抗をしていました。わざと勉強しなかったことになります。もちろんそれは悪いことです。でも今やっと息子は目が覚めたのです。やろうと思っています。アビをとりたいと言っているんです。」

校長は鼻で笑いました。「何をおっしゃる。こんなひどい成績でアビなど今後とれるわけがない。進級したってその時期になれば、振り分けられてそれこそそこでおしまいですよ。退学処分になることだってありえる。」と脅かされました。

「いえ、息子は必ず9年生で今よりずっと良い成績になります、それは私がお約束します!」とタンカを切ってしまいました!

「なにをおっしゃる。あなたはそう思うかもしれないが、息子さんが本当に勉強するとは思えないですよ、こんな成績!」相当すごいことを言われている私と息子・・・・。でも、まだ弁護士のことは切り出さず、できる限りぎりぎりまで攻防を試みようと思いました。

「あの子は、先生から見たら、さぞかし問題児に見えるのかもしれません。でも、友達が誰より沢山いて、みんな心配してくれて、助けようとしてくれて、そしてあの子が落第するのは理不尽だと思っています。あの子も反省して、怠慢や勉強不足をやめて、頑張ろうと思っているのです。本当にやる気になっているのです。今回のことは、知らなかったと言っても、息子がもっとちゃんとしていれば回避できたことではあります。それは本当に心からお詫び申し上げます。でも、それによって、1年落第するかどうかが決定されては、あの子もやっとつかみかけている大事なことを逃してしまうことになるかもしれない。私はあの子の性格を先生よりはずっと知っているつもりです。この大切な時期を、友達というモチベーションによって乗り切り、しっかりと反省して勉強しようと思ってくれる機会を、私は最大限活用したいのです。どうか息子に最後のチャンスを与えてください、お願いします!!!!」

その後、私はヒトラー事件の時のことや(息子は正直だということ、おそらく馬鹿がつくほどに・・・)、マーロンたちのような不良ではなく(彼らは刃物を持ち歩き、外で落書きして補導されたりしているのですが、息子はそういうことはしません)、友達思いのために誤解されることがしばしばあるのだ、ということも一生懸命に説明しました。

気がついたら、私は泣きながら訴えていたのでした。目力を強めようと、濃い目のアイメークをしていたのですけれども、はがれてしまったかなぁ?とちょっと心配でしたが、それは一瞬のこと。後はもうがむしゃらに説明していました。自分がこんな生死にかかわる病気になっても、まだドイツにいる理由は、息子のためであり、息子に将来の多くの選択肢を与えたいと思っていること、ただギムナジウムにいてアビもとらずに適当に過ごさせる気は毛頭ないことも伝えました。しっかりとビジョンがあることを強調したのです。

「でも、彼は9年生になってこんな成績だったら、ついていくのは大変ですよ、それは無理じゃないかな。」と校長先生。
それでも、私にティッシュペーパーも持ってきてくださいました。顔がすごくなっていそう・・・汗。

「いえ先生、私はお約束します! 必ずあの子は勉強して、今以上に良い成績をあげます。もしもそれができなかったら、こちらから自主的に退学いたしますから。そこまで私は息子を甘やかすことはしませんから。もしもこの1年であの子が反省せずに何も学ばなかったら、つまり成績が今のままだったら、もう私はベルリンにいる意味を見出せませんので、息子と日本に戻ります。ですから、どうぞこの1年を見守ってください、必ず結果を出します! その前に、ちゃんと追試を良い成績で突破して見せます!どうぞご覧ください、先生ご自身がご覧になって評価してください。見ていてください、必ずできますから!息子は愚かにも、怠けていただけなんです、ですから・・・・・。」

もうぼろぼろの状態でした。これ以上は言えないというほど、めいっぱい言いました。

校長先生が言いました。

「わかりました・・・そこまでおっしゃるなら・・・。でも、先ずはクリニックのドクターと電話で話します。そして体育の先生とも話します。それにより、私がどう結論を出すかは、今の段階ではわかりません。でも、もう一度体育の先生とは話し合ってみて、そしてドクターから事実を聞き、それから対処します。息子さんには、11時に校長室に来るように伝えてください。」

ぎりぎりの状態は続きました。でも、校長先生は、とにかくもう一度検証してくださるとのこと。もしもその結果が最悪だった場合は、書面で弁護士の件を伝えようと思いました。なので、もちろんその件は言わないでおきました。

深々とお辞儀をして、校長室から出ました。息子がいる教室を聞いて、2階に上がっていきました。教室から息子を呼び出しました。

「どうだって?」心配そうな息子。でも、私の顔を見てびっくりしています。(私はその時、校長室から出てからすぐに薄いグレーのサングラスをかけていましたが、泣いたことはわかったようです。)

「うん、まだわからない。でももう一度考えてくださっている。だから弁護士のことは言わなかったの。それで、これからクリニックに行ってくるから。ドクターのお話も校長先生は聞きたいんですって。なので、ご理解いただくためにドクターにも説明しないと・・・。君は、事を荒立てず、とにかく校長先生に対して失礼な態度だけはおやめなさい。いい加減にそういうことは学んで頂戴よ。」

まじめな顔をして、「はい」と息子は言いました。