2003-09-12
私というラビリンス
まずはじめに、温冷浴についての追伸です:
私が日本で購入した、西式ヘルスバスのご報告です。
前回の写真では、けっこう小さく見えますが、意外と入ってみるとゆったりしています。半身浴というのではなく、肩までしっかり入ることができるので、すっぽりと水に浸かっております。いわゆる体操座りのような格好で入るのです。近くに1分の砂時計を置き、しっかりと1分ごとに水→お湯→水・・・と水が5回になるまで交互に入ります。現在は、水と私の関係は修復(?)され、なかなか良い感じ。あまり厳しいとは思わなくなりました。そもそもドイツの家はセントラルヒーティングなので、室内が寒くないから耐えられるのかもしれないですね。ありがたいことです。でも、日本の場合でも、春や夏から始めれば、それほど苦じゃなく進められるはずです。秋からでも、最初は肩までではなく、下半身だけとか徐々にやっていけば身体がだんだん慣れてくると思います。でも、ドクターにまずは聞いてから始めてください。心臓などが弱い方には、かえってマイナスな場合もあるそうなので。
それからもうひとつ:
この断食日記を読んでくださっている方から、いろいろなお便りをいただきます。どうもありがとうございます。アトピーで悩んで甲田先生の本にたどり着いたM子さん、このサイトで励まされたというK子さん、リンクをはってくださった方や、その他多くの方からメールをいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。凡人の私があがいている姿も含め、小食や断食にトライしようとしていらっしゃる方に、少しでも私の体験を役立てていただければと思い、恥ずかしながらこの日記を続けさせていただいています。こちらこそ、みなさんの声が励みになります。感謝感激! とても嬉しいです!
ただし、ドイツで仕事がしたいので力を貸して欲しい等のメールもありました。
そのような仕事の斡旋などはしておりませんので、どうぞご了承くださいませ。
さて、最近の私は、かなり安定してきています。小食について、深く考えるようになってきたからです。退院後、外界に出てしばらくは仕事で忙しいあまりに、食餌療法が崩れてしまいました。大食はもともとしないのですけれど、甲田先生の療法は小食という領域をすでに超えて、超小食というか、玄米、野菜ジュースと豆腐以外は駄目なわけですから、世界への愛と慈悲以外にも深い意味があるように思えるのです。もちろん、頭では、それが私の病気を治す鍵だってこともわかっています。けれども、なかなか私の胃袋や神経、そして舌がわかってくれません。入院中は集中していたし、しっかりしたビジョンを描くことができました。自信もありました。けれども外に出ると、入院前の食餌療法の時より、気持ちが集中できていないのです。食べてはいけない物だらけの中で、息子やゲストの食事は作るけれどもそれを食べず、一日1000キロカロリー程度の生玄米に豆腐、青汁のみで過ごす。メニューは変わらず、それをもしかしたら、数年続けなければならない・・・。これは、正直な話、厳しいことだと思うのです。でも、本断食に向けてどうしてもトライしたい。病気を治して、しっかりした人生を送りたいからです。その私の人生の中には、世界への愛や慈悲も含まれているはずです。それは、健康を取り戻すことへのご恩返しでもあるし、人間としての当然の気持ちでもあると感じます。もちろん、食事の際、私はいつでも心から感謝していただいています。これは前以上に自然と感じるようになりました。
そして、この療法で病気が治るのだったら、なんてありがたいこと、だからこれは苦じゃないし、喜んでいただく、と思うこともあります。けれども、私はただの凡人なのです。やっぱり、どうしても別の物が食べたいなって思うことがあります。それは仕方がないことだと思うのです。そういう自分を情けない、だからこの療法をやる資格がない、やめてしまえ、と言ったらそれまでです。この世の中は、私を含め、凡人がほとんどなんです。だから、最初はmustで頑張ってみてもいいのではないかな、と思います。
全ての人に、病気が治る権利が与えられているはずです。どんなに意志が弱くても、それでもなんとか頑張ろうって気持ちを持って続ける努力をしていたら、最終的にはきっと真理が見えてくると信じています。
今の私は、やはりどこか「頑張っている」部分があります。頑張らなければできないようでは、続ける資格もないし意味もない、という考え方もあるでしょう。
でも、どんなに意志が弱くても、病気を治したい、この療法で救われたいって思うのは悪いことではないと思うのです。
続けることに意味があると感じています。
甲田先生はおっしゃいました。「継続は力」だと。
どんな形でも、継続は継続です。最終的には、楽しく食餌療法ができる自分になりたいし、世界に目を向け、愛と慈悲の心を言葉でだけでなく、本当の意味で持ちたいと思います。それは、口で言い続けるのではなくて、実行に移す、ということに他ならないのですけれども・・・。
まずは病気を治し、生き方の悪い癖を直すことです。自分の悪い癖を取り去り、本来の自分を取り戻す。この行為は、どこか修行僧のような部分もあるような感じすらします。
でも、12歳の息子に、私と同じことをしろ、と強制することはできません。健康的な食事を作って、腹七分程度で食べてもらうようにすることから始めています。
多くの患者さんが、家族に食事を作らなければならないから、自分だけ違う物を食べるのが大変だ、あるいは小食にするのが厳しい、と言います。私はそれを実感しています。お腹がすいていて、でも食べてはいけないものばかりを家族のために作る・・・。この状態で小食を続けるのですから、本当に厳しい。真理が見えなければ、その状態で平静でいられるのはかなり苦しいこともあると思います。でも、それは変なことじゃないし、当たり前のことなのではないでしょうか。だからといって諦めるのではなくて、そういう自分を受け止める。そして、それでも自分は小食にトライしてみたい・・・そう思ったら、誰しもが挑戦し続ける権利があると思っています。
私は最近、「食べたいと思ったら、食べればいいの。無理に我慢しても無意味よ。」と思うようにしています。思うだけですけれど・・・。そうすると、ちょっと落ち着いて、まだ食餌療法を続けられるって感じて、食べずに過ごせるのです。息子に、健康的なお菓子を作ってあげるというのも、ひとつの気分転換になっています。全粒粉や黒砂糖、豆乳やそば粉、ゴマを駆使して作るのですが、息子に作る場合は、卵、マーガリン、果物や生クリーム、チーズや少量のチョコレートにココアパウダーなど、私がまだ口にしてはいけないものも、もちろん少しは入れます。
その辺はフレキシブルに材料を選んでいます。そうやって作ったいちごのショートケーキやゴマクッキー、かぼちゃのホットケーキやアイスクリーム、果汁100%のグミなどはとても美味しいって喜んでくれました。
そして最近はどんどんエスカレートして、青汁の絞りかすを捨てずにどうにかしたいと思い、絞りかすを入れたクッキーまで作ってみたんです。
そうしたら、試食した息子は:
「お母さん、これ、野菜コロッケ?」・・・・
あああ! クッキーとしては失敗ですね・・・。黒砂糖も少し入れたんですけれどもねぇ。
そうか、今度から黒砂糖を入れずに、塩を少々入れて焼けば、これはコロッケみたいになって、ソースつけて食べたら美味しいのかも!!?(←懲りない母)
青汁のかすをポテトの代わりに使って、例えばサモサを作ろうかとか、ヨモギもちのようにして、お団子にしてみようかとか、いろいろ考えているのですが、息子は、全粒粉のお菓子はウェルカムなものの、青汁のかすはちょっと・・・・といやそうな顔。
そこに友人のEからメールがあり、「食べ物にじゃなくて、花壇の肥料に適している」というアドバイスをくれました。そうかー!!!
それは確実に使えます!! 人間が食べる方向にばかり頭が行っていたからいけないのですね。植物のために使う・・・視点を変えてみる、これもひとつの方法です。
ちなみに、我が家のペット、2匹のケイビーのラッキーとクッキーは、もちろん野菜が大好き! なので、早速青汁のかすをお皿に入れてあげてみたのですが・・・・・見向きもしませんでした・・・。
やはり、花壇の肥料が一番いいのかもしれません・・・・。
少し落ち着いたとはいえ、私というラビリンスに迷い込んでしまった私・・・。でも、そういう私を楽しめるようになってきました。毎日良いことも悪いこともあって、バイオリズムが上がったり下がったりします。それも人間なのだから仕方がないと思います。仕事による脱線の後の1週間ほどは、かなり落ち込んでいて頑張らないと、と焦ってばかりいましたけれども、今はラビリンスの中の、ちょっと面白そうな所に入った気分です。気負いがなくなってきて、少し慣れてきて、なんだか好奇心をそそられるっていう感じでしょうか? 出口がどの辺にあるのか見えてきたような・・・・?
真理の追究って、奥深いです。