2004-09-15
ストレスさん、さようなら
ストレスがたまると過食をすることはわかりました。
では、過食や飽食をやめるには、どうしたらいいのか? これは私にとっては、とても大きな課題です。
ストレスをためなければいいわけですが、では一体どうやって?
私は、2001年に倒れて、日本の現代病院に緊急入院するまで、ストレスのかたまりのような生活を自分に強いていました。毎日仕事は山のようにあるし、子育て、日々の生活、海外で暮らす諸問題……。どれもこれも大変なことばかりで、自分のための時間が、一日に最低10分でもあったらいいのに、と夢見ながら過ごしていたのでした。
ライターの仕事以外でも、自宅で子供達に算数と国語のお教室を開いていたし、そのちょっと前までは、日本人国際学校で低学年にドイツ語を、カルチャースクールでは成人したドイツ人に日本語を教えていました。個人レッスンでドイツ人に日本語を教えていたこともあります。翻訳の仕事もしていました。こうやってここに書くだけでも、当時のことが思い出され、くらくらしそうです。一体どうやってそれらをクリアしていたのか、今の私には全く考えることができないほど、目まぐるしい時の海をあっぷあっぷしながら必死に泳いでいたのでした。
前にも書きましたけれども、週末などは全くなく、近くの美しい公園にすらお散歩にも行けず、ただひたすら目の前のことを処理して生きていくといった感じでした。
今だったらよくわかります。あんなことをしていたら、病気になるのは当然だろうと。めまいで倒れたりしても、それでも仕事をやめるわけにはいきませんでした。自分の身体を酷使していたのですね。
入院した時に、気がつきました。今までの生活パターンを完全に変えなければ、病気は治らない。自分をいたわり、少しでも時間があれば休ませてあげて、自分を愛してあげる。極限まで頑張ることに、一体何の意味があったのか……。今では、そこまで一生懸命だった自分のことを、「ご苦労様、もういいんだから、そこまでしなくても、きっとちゃんと生きていかれるからね」と感謝の気持ちを伝えています。そして生活は大幅に変化しました。
できるだけ無理をしないようにしています。心をこめて行うことには、どうしても力が入りすぎて、無理をしがちです。でも、それをすると、やはり体調が悪くなるのです。ストレスもたまりやすい。
謙虚な気持ちで、心を落ち着けて、自分にできることをセレクトし、その中でベストを尽くす。ベストというのは、限界以上のことをすることではない。そう考えるようになってから、前よりはずっと効率よく何でもこなせるようになってきている気すらします。
生活のリズムも、自然とスローになっていきました。まず、せかせかしなくなったんです。最初のうちは、気をつけて焦らないで過ごそうと努力していました。そのうち、それが身についてきて、ゆったりと過ごせるようになってきました。スローライフです。
そうすると、心に余裕ができて、癒されて、気持ちが良くなり、顔の表情も変化しました。穏やかになってきたのです。前は、常にきりっとしていなければならなかった。戦闘服と称して、黒い服ばかりを着て、ばりばりと何でも片付けていました。そうでもしないと何も終わらなかったからです。これでもか、これでもかとやることがあり、エンドレスに続く疲労が怖かった。まわりからは、「テンションの高い青木さん」と言われていました。それは必ずしも悪い意味ではなかった。でも、良い意味でもなかったのだと思うのです。他人の目を通して、私はやはりどこか力が入りすぎた過剰な女性だったのだと思います。そして猛烈に早口でした!
でも、今は早口ではありません。(と、思うのですけれども??)
とにかく、入院を境にして、生活の間違いがはっきりとわかりました。
どんなに仕事をして経済的に生活が向上しても、息子にとって、私が早死にすることの方が悲しいことでしょう。例え生活のレベルが少し下がることになったとしても、時間の余裕を持ち、息子とのひとときを大切にし、毎日を幸せに暮らす方がずっと意味があります。
そもそも物欲もあまりないし、必要な物さえあれば生きていかれるのですし。それは、甲田先生の少食療法にも通じています。息子はまだ若いので、あれもこれもと、いろいろな欲がありますが、探究心も好奇心も成長に必要なことですし、良い方向であれば見守ろうと思います。でも私自身は控えめに……。食も、生き方も、そんな気分です。
息子の成長をできるだけ見つめていたい。以前は、人生は50歳くらいまでなんだろうな、と漠然と思っていましたけれども、自分がどんどんその年齢に近づいてきている今は、まだまだ、と感じます。50歳などは、やっと人生の折り返し地点なのかもしれないなぁ、と。
今から50歳になるのが楽しみです! 女優の秋吉久美子さんの記事をサイトで読んで(彼女は50歳で、半分くらいの年齢の男性と仲良くしていらっしゃるという内容でした)、わ~って思いました。
秋吉さんは、とても50歳には見えない美貌の持ち主でいらっしゃるけれども、その自由な精神とゆったりした生活の様子が彼女の姿から感じられるし、素晴らしいことだなぁ、と感心いたしました。私もまだまだ、これからだわ、と励まされます!(笑)秋吉さんほどのことはできないにしても、なんだか息子がいるから、子供達の出入りも多いし、気持ちだけでも若返ることは可能かもしれないなぁ、などと思ったり・・??
……と、ちょっと脱線してしまいましたけれども、好きなことをしながら、仕事もそこそこ頑張って、でも自分の時間も大切にして生きる。
健康でありさえすれば、あとは自分が願っていれば叶うと思っています。どこまでもポジティブに考えることって、無意味じゃないと感じます。ちょっとバカみたいなのかもしれませんけれども……でも、前向きな気持ちでいることって、別に誰にも迷惑をかけるわけじゃないですし、素敵なことじゃないかな、と思うのです……。
私は、時間のある時は、息子とよく夕食後にゲームをして過ごします。
コンピューター系のゲームではなくて、昔からあるメモリーとか、ウノ、マーレフィッツや碁、モノポリやトランプなどです。この時間が、どうということがないのだけれども、とっても大切なひとときになっています。
最近は思春期になって、あまりそうしたゲームをしたがらないけれども、またそのうち積極的に遊ぼうと言ってくるような気がして、息子を見守っています。それからもうひとつ習慣にしているのは、寝る前に一緒に祈る時間を持つことです。私達には特定の宗教はありませんけれども、その日一日を無事に過ごせたことを感謝し、これからのいろいろなことを前向きに願って祈る。そういう穏やかで静かな時間も、息子と私には必要なのだと感じます。たった3分程度のことなのですが、習慣になると気持ちの良いものです。
いろんなことが起こる毎日ですけれども、それはどこも同じ。問題のない人などひとりもいないと思います。だからこそ、本人の気持ちの持ちようで、ストレスをいくらでも減らすことができるんじゃないかな、と感じる今日この頃。私もまだまだうまく減らせない時があるのですけれども、「ストレスさん、さようなら!」と心の中で言い、幸せで健康な自分をイメージしています。
そんなわけで、以前より劇的にストレスは減っているのです。だから、前よりすんなりと少食ができているのかもしれません。完全ではありませんけれども……。