2013-07-11
第29回■マニアの巣窟ーーNTT伝言ダイヤルという魔界
黒革の手帳
“ドーハの悲劇”から“ドーハの雪辱”まで、20年がかかった。それだけの時間が必要だったのだろう。既に1週間前、6月4日にアジア地区最終予選のオーストラリア戦で、本田圭佑が劇的なPKを決め、1対1と引き分け、FIFA2014 ワールドカップブラジル大会出場は確定した。だが、20年前、ドーハで、イラクにロスタイム終了直前に同点ゴールを入れられ、FIFA1994 ワールドカップアメリカ大会出場を逃していただけに、やはり、この日、6月11日のイラクへの勝利は格別のものがあるだろう。まさに雪辱といっていいものだ。
そのドーハの悲劇は1993年10月28日のことだが、私はその模様を浅草の行きつけのお好み屋で、ある秘密クラブで出会い、暫く付き合うことになる女性と見ていた。海外のファッションブランドの日本支店の販売員で、店舗はデパートにあった(当時でいえば、デパガだろうか)、年齢は20代半ばだったと思う。どこか、韓流系(当時はそんな言葉はなかった)のきりっとした顔立ちに、少しふっくらながら、抱き心地の良い身体をしていた。
販売員の女性と出会った秘密クラブだが、そこへ行く契機は約1年前、たまたま見つけ、拾った“黒革の手帳”にあったのだ。
全国を股にかけ、テレクラ行脚していた私だが、都内も新宿や渋谷だけでなく、池袋や五反田、六本木などにも足を伸ばし、行動範囲を広げていた。
池袋といえば、会社を辞めて、キャバクラ遊びをしていた時、一発でデートにこぎつけた女子大生水着パブのあったところ。私と相性が悪いわけはない。そんな思いで、果敢に攻めに行っていた。東武東上線や西武池袋線に、東横線や井の頭線のような高級感はない(失礼!)が、埼玉から東京の学校や会社へ通う一人暮らしの女性が多い地帯だった(と、勝手に思い込んでいる)。
多分、夏前だったと思う。仕事を終え、いつものように帰宅すると見せかけ、池袋へ向かった。池袋駅東口に着くと、駅前から行きつけのテレクラへ部屋の空きを確認するため、電話ボックスに入った。
電話をしていると電話機の上に一冊の手帳があることに気付く。黒革の手帳だった。中を覗くと、年齢や身長、体重と思しき数字とともに、通話時間、電話番号なども書かれている。そして、意味不明の数字も暗号のように並んでいた。一瞬、何のことかわからなかったが、これはとんでもないものを拾ってしまったという確信だけはあった。当然(!?)、遺失物として警察に届けることなく、手帳をポケットにしまい込み、テレクラへと急いだ。
そのテレクラは大型チェーンの池袋支店で、取り次ぎ制の店だったが、アポ取りもそこそこに手帳を読み漁り、読み耽る。書かれている暗号のような数字を頼りに、この手帳の持ち主は誰か、書かれている数字は何を意味するかを推測。謎解きをする、ちょっとした探偵気分である。
最初に思いついたのは、当時、横行し始めた、いわゆるテレクラのサクラのメモ書きではないかということ。男性のプロフィールや通話時間が書いてあるので、そのように類推できる。そして、その女性(と勝手に推測している)が、ただのサクラではなく、マニアックな性癖の持ち主と思われること。
プロフィールとともに、そこにはSやM、乱交や露出など、特異な性癖を表す言葉も並べられていた。
さらに、#8301から始まる番号に続いて、様々な符牒と思われる数字が並べられていた。7878や6969、0721などである。
実は、#8301と符牒のような数字の組み合わせは、NTTの伝言ダイヤル・サービスである。どうやら、NTTの伝言ダイヤル・サービスを利用した出会いの“入口”を見つけてしまったようだ。
魔窟の入り口
伝言ダイヤルそのものは、辻仁成のデビュー作で、すばる文学賞を受賞した『ピアニシモ』(1989年)に題材として扱われていたくらいだから、知らないことはなかった。ただ、私自身はあまり関わることはなく、単なる都市伝説として、混線ダイヤルの延長線上くらいのものとして捉えていた。
混線ダイヤルというのは、時報サービスで、117にダイヤルすると、“ピッ、ピッ、ピッ…”という音とともに、「午前0時00分30秒をお知らせします」というアナウンスが流れるが、その時報アナウンスの際に混線状態になり、その間に混線した相手と話すことができるというものだ。混線中に自分の電話番号を教えると、うまくすれば、すぐに電話がかかってくることもある。嘘のような本当の話。単なる都市伝説ではないようだ。
そんな遊びの延長にあるものと考えていた。ところが伝言ダイヤルはそんな牧歌的ものではなかった。実は、マニアの巣窟だったのだ。いまでこそ、HPやブログ、SNSなどで、マニアックな性癖や嗜好を持つものがイージーにアクセスできるようになったが、当時はマニアの専門誌や、夕刊紙やスポーツ紙の三行広告、マニア同志の口コミしかなかった。
当然の如く、その日はテレクラ遊びを早めに切り上げ、黒革の手帳を携え、家路を急ぐことになる。自宅では部屋に籠り、違う意味で、電話と格闘することになった。
まず、#8301にかけ、6桁から10桁の連絡番号と、4桁の暗証番号を入れ、伝言板のメッセージを聞き漁る。 その中で、私が嵌ったのは、2219だ。
“2219”とは、2(フウ)2(フ)1(イ)9(ク)の符丁。プッシュホン回線の電話から#8301にかけて、その連絡番号22192219と暗証番号2219を押す (これを2219のトリプルといっていた)と、様々なメッセージを聞くことができる(メッセージを録音するのは#8300にかける)。
他にも前述通り、7878(ナワナワ)や0213(オニイサン)、0721(オナニイ)、 6969(シックスナインシックスナイン)などの番号があった。 大体、メッセージの内容は想像がつくと思うが、 2219には、スワッピング(夫婦、パートナー交換)の勧誘とともに、3Pのメンバーやセックスフレンド、SMパートナーなどの募集も伝言されていた。
まずは、ものは試しとして、伝言ダイヤルに電話番号(直接、電話番号を入れることを直電といっていた)とともにメッセージを入れている中年の男性に電話(当時は携帯電話などではなく、自宅の番号がほとんどだった)をして、様子を聞いてみた。いきなり、男からの質問の電話で、その男性も驚いたと思うが、丁寧に答えてくれる。聞くところによると、勿論、悪戯も多いが、実際に出会え、遊んだこともあるという。とりあえず、伝言ダイヤルがテレクラ業者や風俗のやらせや作りではなく、実際にマニアも利用しているということを知る。
初めは様子見的に、聞く専門、いまなら“ロムる”という感じだったが、自分でも試しにメッセージを入れてみる。勿論、いたずら電話はおろか、返答はまったく来ない。暫く、空振り状態が続くが、私は決して、諦めるような人間ではない(笑)。
乱交パーティ
ある日、そんな伝言ダイヤル遊びをする中で見つけたのは、“アーバンクラブ”というパーティだった。2219にはスワッピングや3Pだけでなく、乱交パーティやSMサークルなど、様々なアングラ情報も飛び交っていたのだ。そのパーティは、当然、宴会やコンパなどではなく、いわゆる乱交パーティである。メッセージは可愛らしい女性の声で吹き込まれていて、当時としては珍しく携帯電話の番号もあった。
電話すると、女性ではなく、男性が出た。主催者だそうだ。20代後半の自営業の男性だった。趣味で仲間を集め、都内のシティホテルのスイートルームを使用して、月に数回、パーティを開催しているという。
元々は仲間内のパーティだったが、少しずつ人数が増え、伝言ダイヤルを利用して、さらに、その輪を広げようしているところだった。
性の冒険者たる私だ、乱交パーティは、お馴染み三行広告で見つけ、何度か、行ったことはある。ただ、風俗業者が仕切る“ビデオ観賞会”など、営利のものばかりで、趣味でやっているようなものは皆無だった。ある種、そんなものは妄想の産物で、実際は存在しないとまで思っていた。
ちなみにビデオ鑑賞会を簡単に説明しておくと、マンションの一室に男女を集め、売買春をするというもの。リビングで食事(やり手ババア的な仕切りの女性が作った手料理が多い)をしながら(ビデオ観賞会といっても特にエロビデオは流してなかった)、気に入った女性がいたら、指名して、プレイルームでセックスができるというもの。その部屋には特に仕切りなどはなく、隣で普通にセックスしているという乱交状態になる。参加費は2、3万円だったと思う。私的には質、量とともに、割の合わない遊びであった。実際、当時の私からすれば、年配者が多く、奮い立たないような感じの女性ばかり。ホテトルやヘルスなら、チェンジを連発したくなるようなレベルだ(この辺は、風俗遊びを経験した男性ならおわかりかもしれない)。
話を戻すと、アーバンクラブのパーティがその週末にあるという。場所は新宿の、誰でも知っている一流ホテル。これは行かないわけにはいかない。参加の意思を伝えると、7時開始なので、遅くても9時までには、そのホテルに来るように告げられる。ホテルに到着したら、また、電話をすればいい。簡単に話しただけで、私に関して特に詳しいことは聞かれず、名前も偽名、連絡先なども教えないで済んだ。随分とガードが甘い。
当日、8時過ぎに(開始時間早々だと、変にがっついていると思われるから、わざと遅れて行ったという記憶がある)指定されたホテルに着き、主催者の携帯に電話をすると、20階(何階かは覚えてないが、高層階だったはず)のエレベーターホールまで来るように言われる。いきなり部屋へ通すのではなく、まず、部屋の外で面接をするというわけだ。ガードが甘いと思いきや、意外と慎重なところもある。
そこで、再度、電話して、エレベーターホールに到着したことを告げると、主催者が出てきた。いまでいうところのイケメンだろう、甘い顔の二枚目だが、スーツ姿ながら、微妙に垢抜けず、ダサいところが却って親近感を抱かせる。簡単に話をしただけだが、どうやら、私は合格らしく、彼に参加費(多分、15000円くらいだったと思う)を支払うと、漸く部屋へ案内される。
部屋は、ツインベッドとリビングが一部屋で繋がっているスイートだった。中には、20名ほどの男女がごった返していた。男女比は、7:3というところだろうか。単独で参加する男女がメインだが、カップルや夫婦もいた。
年齢層は20代が中心で、かなり若いというのが第一印象。学生風から会社員風、自営風、主婦風まで、様々な人種がいた。仮面をつけるわけでなく、かといって、コスプレをしているわけでもない。思い思い、下着姿やバスタオル姿などで、妙に和気藹々としていて、寛いでいた。
ホテルの乱交パーティなど、淫靡で、倒錯した世界を想像していたため、少々、拍子抜けした。参加者は見知った人達が多いらしく、ほとんどが主催者と旧知の仲で、先日はこうだった、ああだったみたいな話をしている。
そんな和やかな雰囲気も、ある時間になると、おそらく11時過ぎくらいだろうか、一変する。あちこちで、同時多発的に“乱交”が始まる。男女で絡むもの、一人の女性を複数の男性が責めたり、女性同士の絡みもあった。
多分、その時は、私自身はプレイそのものはせず、池袋のSMクラブでアルバイトをしているというスレンダーな女性を、おもちゃで責めたくらいだった(プレイをしたといえば、プレイしたことになるか!)と思う。
結局、朝まで、その場に、まどろみながら、時を過ごすことになる。それから、このサークルとの付き合いが始まり、気がついたら、パーティの後片付けを手伝ったり、普通にメンバーと食事するようになっていた。
この辺の自然と仲間になる、取り入る“手口”は“テレクラ初めて物語”や“アンドフレンズ作戦”でも実証済み。我ながら、うまい立ち回りである。いまでも基本的に変わらない。「3.11以降」ではないが、SNSやFB、LINEなど、人々はコミュニティを築き、繋がることに腐心する。その中、仲間は裏切らない。独占するのではなく、共有する。欲望を露骨に出すのではなく、抑制するところは抑制する、つまらない自己顕示とエゴは捨てるなど……ある種、遊びとしてわきまえていれば、その関係は崩れることなく、常にいいバランスが保たれるというもの。
アーバンクラブに通いながら、様々な性癖や情報を持つ“仲間”からの生きた情報(口コミ)を仕入れ、黒革の手帳に書かれている情報をさらに肉付けし、その数字の正体へと迫っていった??。
ドーハの悲劇の女性(!?)とは、そんな伝言遊びの流れで出会うことになるが、その経緯は、また、別の機会にさせていただく。消化不良の終わり方で、申し訳ないが、クドカンではないが、覚えていたら、張り巡らした伏線(?)は、ちゃんと回収させていただく。ご安心いただきたい。
なお、現在、NTT伝言ダイヤルは上記のような形でのサービスは停止している(NTTでは災害用の伝言ダイヤルは機能している)。同様のことを試しても繋がらないので、無駄なあがき(!?)はしないでいただきたい。20年以上前のことである。当時のNTT伝言ダイヤルは、その後のダイヤルQ2やテレクラ業者の伝言ダイヤルの先駆けとして、マニアックな性癖を持つ者たちの巣窟、出会いの魔界として、密かに利用されていたのだ。