2017-08-02

最終回 テレクラ黄金時代の終焉〜テレクラ・ボーイズ・オン・ザ・ラン

離脱

90年代に入り、数年を過ぎると、“私のテレクラ黄金時代”は終わりが近づいてきた。
テレクラのブームはまだ続いていたが、そろそろ潮時である。楽しい祭りにも終わりは来るもの。むしろ、痛い目に合わないうちに、いい思い出だけを胸にテレクラ戦線からの離脱を図ろうとしていた。

その理由は、テレクラの利用者やコールの質が変わったことだ。後に大きな社会問題化する「援助交際」、要するに売買春である。それまで、電話をかけて約束をしてすっぽかしたり、どんな奴が来ているか遠くで見ているなど、“悪戯”していた女子中高生たちが援助交際の主役となり、テレクラがその温床として、糾弾されるようになる。「淫行」や「不純異性交遊」などの活字が新聞や週刊誌の誌面を躍った。同時進行で、女子中高生の制服や下着などを売買する「ブルセラ」なども社会問題化していった。

1994年に社会学者の宮台真司はテレクラをフィールド・ワークして、同時代の若者の状況を社会学的に考察した『制服少女たちの選択』を発表。1996年にはノンフィクション作家の黒沼克史が書いたルポルタージュ『援助交際 – 女子中高生の危険な放課後』がヒット。同年、村上龍も女子高生の援助交際を題材にした小説『ラブ&ポップ』を発表した。同作は1998年に庵野秀明により映画化もされている。「援助交際」という言葉は1996年度の流行語大賞にも入賞している。

社会問題化する以前に、普通に会ったり、セックスしたりというコールが少なくなっていた。女子高生に限らず、主婦や学生、会社員、フリーターなどの“お小遣い”目当てのコールが多くなったのだ。また、テレクラそのものが“援助交際の温床”とされたことで、男性も売買春目当てにテレクラに通い、お小遣いを希望していなかった女性にまで金額交渉をするようになった。それは、テレクラが売買春市場へと意図的に“改竄”されていくことと同義だった。

同時にテレクラを舞台にした事件なども頻発する。当時、新聞にも好奇を浴びて報道されたので、覚えている方もいるかもしれない。渋谷のテレクラで女性2人組にホテルに呼び出された男性が、SMプレイを持ちかけられて裸にされ、縛られたところを写真に撮られてそれをネタにゆすられるという“事件”。

また、女性に呼び出された男性が待ち合わせ場所へ行くと、あとから男性が現れ、「俺の女に何すんだ」とすごまれ、ゆすられる“テレクラ美人局”もあった。潮目が変わったことを実感した。

もうテレクラが男女の純粋な出会い(笑)を求める場所ではなくなってきたのだ。当時、「テレクラが荒れてきた」と、仲間内では言っていたが、まさにそういう状況を呈していた。さらに、業者が雇った「さくら」なども増加の一途を辿る。レディコミやレディマガでは、さくらのアルバイトを堂々と募集していた。まさにテレクラの荒廃化が進む一方、全国の自治体ではテレクラ規制条例が制定され、年齢確認や営業地域が限定されるなど規制が強化されていった。

新たな出会いの場を求めて

そんなこともあって、テレクラから足が遠のきつつも次に手を出したのがテレクラの運営する伝言ダイヤルである。以前、NTTの伝言ダイヤルを紹介したことがあったが、これはテレクラが運営するもので、予め料金を振り込み、もしくは店舗でお金を支払ってプリペイドカードを購入するシステムだ。専用回線にかけ、会員番号と暗証番号を入力することで利用できるようになっている。
ちなみにテレクラが運営する伝言ダイヤルは、かの“人妻調達人”が教えてくれた。伝言ダイヤルにも援助交際の波は押し寄せていたが、様々なジャンルに分かれていて、まだ、「主婦」や「ぽっちゃり」、「SM」、「3P」などの“特殊回線”には、純粋な出会い(大笑)も少なくなかった。いわゆる、マニアックで後にフェチといわれるようなジャンルが、受容と供給のバランスではないが、マニア同士を繋ぐ新しい出会いの場となっていたのだ。

いわゆる「ぽっちゃり」のジャンルでは、体重が2桁ではなく、100キロを超す3桁なんていう女性も平気でメッセージを吹き込んでいた。私自身、特にぽっちゃりが好きなわけではないが、女性の思うぽっちゃりと、男性が思うぽっちゃりの落差を利用して、「少し太目」の女性を探し当てては、援助などに関わることなく、普通にセックスをしていた。テレクラである、最初からモデル体型などは望んではいないのだ。むしろ、多少、肉付きがある方が抱き心地(!?)が良かったりする。また、ある種、コンプレックスを抱えている女性の方が、バブル期にあって、高飛車で、鉄面皮のような女性が跋扈している中では、控えめで奥ゆかしく、希少でもあった。結構、おいしい思いもしていた。

SMなどはテレクラでSM回線の経験があったので、“なんちゃってS”や“なんちゃってM”になり代わり、女性と出会い、旧ソ連大使館の裏、狸穴にあったSM専用ホテルへ行ったこともあった。いずれにしろ、それまでの経験や学習で得たものを新たな出会いメディアに応用していった。

伝言ダイヤル前後は、出会いのメディアもテレクラや自宅などの固定電話から、ポケベルや携帯電話(当然、スマートファンなどではなく、いまでいうガラケー)などを利用したものへ移行。ダイヤルQ2などの出会い系、携帯などの出会い系も台頭してきた。ちゃんとした事実関係は某ウィキペディアなどで検索していただきたいが、電話代や利用代金が高額になり、「出会い系」そのものも社会問題化したことは、遊び経験ある方なら体感として記憶しているだろう。

遊び人の矜持

いずれにしろ、出会いメディアの過渡期、混乱期でもあった。
そんな中、私は狩場を変えていった。随分前に紹介したが、NTTの伝言ダイヤルやニフティのパソコン通信、新聞の三行広告などで見つけた怪しいパーティやスワップクラブ、変態バー(いまのハプニングバーやフェティッシュバーの走りのようなもの)に入り浸るようになる。いわゆる「グループセックス」の世界だ。そこで遊びの世界の人脈を広げ、その世界で自分の居場所を見つけていった。例によって、私は生来の「人たらし」である。それまでの遊びの経験値もあり、出入りしたパーティなどでは“スタッフ”として迎え入れられ、知らぬ間に“いい位置取り”をしていた。遊びの世界で出会った友人達と、女性の“好奇心と冒険心”を満たす出張ホストようなサークルを作ったこともあった。

テレクラ以降は、そんな世界に身を置いていた。そこにはたくさんの出会いやドラマがあった。とても退屈している暇などなかった。仕事もそこそこに遊び惚けていた。
「グループセックス」の世界へ身を投じたのは、恋愛とセックスは別物、身体目的の割り切った関係を求めてだが、男と女は不思議なもので、セックスから始まる恋愛もある。自らの体験だけではなく、数多の男と女が蠢く集団である、群像劇の如く、男と女が演じるドラマにたくさん立ち会ってもいた。

また、この世界では遊び人として守らなければいけないルールやマナーもあった。遊びの美学、遊び人の矜持……綺麗に遊び、粋やいなせ、美意識、気風を競い、切磋琢磨する。そして、人にどれだけ優しくなれるか、ある種、人としての器や度量の大きさを求められる場所でもあった。そんな世界のドラマや経験をブログにまとめだしたのは、10年以上前のこと。得たものを与えるではないが、狩猟活動に邁進するだけでなく、遊びから学んだものをそろそろ伝える作業をすべきと考えたからだ。それ以前に、自分の周りで起こることがどれも目まぐるしくもとても輝いていた。ヘミングウェイはパリを移動祝祭日と例えたが、まさに昭和から平成へ移り変わる東京は、毎日が移動祝祭日であった。男と女と遊びの“風俗”を書き留めることに使命みたいなものを感じてもいたのだ。

そのブログを元に大型SNSで、「大人の遊び」のためのコミュニティを作成して、遊び人が交流できる場も作った。「遊びの戦略的拠点」、「大人の秘密基地」作りである。同コミュニティは2000名近い人数が集まったが、SNSの都合で、不適切と判断され、削除されてしまった。もっとも削除前に個々にやり取りができていたので、そのコミュニティの“オフ会”と称して、イベントやパーティなども開催することもできた。お馴染み“アンド・フレンズ作戦”の拡大版だが、アングラでマニアックな「遊びの世界」の大物や中堅、新進気鋭、期待の新人達(いろんなサークルの主催者やSMバー、ハプニングバー、カップル喫茶などの常連からマスターまで)とも交流し、“この世界で遊ぶヤツはだいたい友達”状態になった。その成果として、おもしろいイベントも仕掛け、GS(グループセックス)界の蜷川幸雄とまで言われていた(あくまでも自称!)。100人規模の艶会を開催したこともある。2000年をとうに過ぎていたが、七夕の夜にバブル時代の“花金”を再現。ホテルのスイートルームにお立ち台を創り、ミラーボールを設え、クラブDJを入れ、オールナイトパーティを催した。その場に集まった大人の遊びを解する粋な男と女は、シャンパンタワーを積み上げ、盛大に飲み、交わす破廉恥な饗宴を楽しんだ。

そんな私の“武勇伝”は、いまもブログに残っている。グループセックス、ハプニングバー、乱交パーティ、3P…などで、検索すると、見つかるかもしれない(※欄外参照)。

そして今

最近は遊びの経験をもとにそこで学んだことを後進に伝えるため、大人の恋愛やセックス、遊びなどを学ぶ、講習会のようなこともしている。同会も“アンド・フレンズ作戦”よろしく、誰もが知るような性愛界の指導的立場にある論客やNPO法人の指導者などにも、ご協力をいただいている。そのイベントは座学ながら毎回、盛況を極めている。同講習会も独立させ、HPなどを作成している。

いい歳をして、遊びをやめない。相変わらずである。ボーン・トゥ・プレイ―――遊びやせんと、生まれけむ。新しい出会いがあるところに新しい世界が広がる。あと、どれだけ遊び回れるかわからないが、ここまできたら、「永久ろくでなし宣言」をしたい。「ちんぽこ騎士道」の歩みを終わらせてなるものか。

テレクラ・ボーイズ・オン・ザ・ラン。「テレクラ魂」は不滅である。わくわくどきどきを探して、不良少年達は疾走し続けている。“CHANCE MEETING”が待っていることを信じて。

そして最後に、5年の長きにわたる、この気まぐれ連載にお付き合いいただいた読者に感謝したい。ありがとうございました。また、こんな私を叱咤激励してくれた2人の美人編集者にも深く感謝である。ありがとうございます。また、機会があったら、お付き合いいただきたい。きっと、この次はモア・ベターよ(笑)。

※筆者が現在の活動の拠点とするHPはこちら。アーカイブのなかに、筆者の武勇伝が数多く記されている。
Love&Sex Navi! http://ameblo.jp/gsnavi-px3pm