2005-03-18

【『Gay @ Paris』用・原稿】はじめてのゲイバー@パリ

 当サイトの紹介・宣伝・リンクを歓迎しております。
 写真をクリックすれば、画像が拡大されます。予約者が100人集まれば刊行されるかもしれない『PHOTOエッセイ Gay @ Paris』はまだまだ、予約を受け付けています。以下は、それ用に書いた文章です。比較的長い文章ですので、興味のある方は御覧ください。

_12_0144.jpg

_12_0144.jpg

_12_0144.jpg

_12_0144.jpg

_12_0144.jpg

_12_0144.jpg

◆◆◆◆◆
その日は朝から、雪が降り続いていた。数分間、歩いていると手がかじかんでくるくらいに寒い。

パリでは何日も続いて雪が降るなんて、とても珍しいことだという。世界的に知られている建物や通りに降り積もる雪は、パリに似合っている。街の魅力がよりいっそう、引き立てられる。

 その夜、ポンピドゥー・センターの入り口前で夜、初めて会うフランス人のゲイ男性と待ち合わせをしていた。

 それまでも、パリのゲイ・タウンであるマレ地区には何度も足を運んだけれど、ゲイバーに入る気概を持てなかった。客が怖いというのではない。日本ではしばし、二丁目のバーに行ったことがあるし、『伝説のオカマ』東郷健さんの取材時には、毎週といっていいぐらい、当時、氏が経営していたゲイバー『サタデー』に通い詰めた。店内でまぐわう客を見かけたこともあるが、他の客がいるところで人目も憚らず愛を交わすことなど、ずいぶん長閑だと思いはしたが、気色悪いとかヘンなものを見せられた、という不快感はまったく湧かなかった。

 マレ地区のいくつかの店内をのぞくと、白人だけが集まっている。私が見た店がそうなのか、時間帯が悪かったのかは分からないが、東洋人も黒人も見あたらない。店に入ったときに、東洋人にたいする侮蔑の少し混じった視線をあびるのではないかと思い、入るか入るまいか悩みながら、店の前を何度も行き交いし、けっきょく入らずに帰る……ということを何度か繰り返していた。外国人の中には、日本人しかいない空間に入ることが怖いという人がいる。同様に、白人しかいない空間に入ることに、忌避感を覚えてしまう。

 四年前に、東郷健さんに頼まれて、私はニューヨーク旅行をした際に、ゲイ・タウンに足を運んだ。東郷さんから、そこでゲイ雑誌とゲイ・ビデオを買ってくるように言付かっていた。その際に、せっかくならばゲイバーに寄っていきなさいヨ……ということで、タクシー代と称していくらかのお金を渡されていた。

 ニューヨークのゲイ・タウンに行き、ゲイ・ショップに入るたびに、店員や顧客から、するどい視線を浴びせられるのを感じた。東洋人観光客が来やがったな……という珍奇な目で見られているように思えた。たとえるならば、ニューヨーカーであふれるバーに、日本人女性が一人、足を運んだときに受ける視線のようなものかもしれない(といっても、その種のバーにいったことがないので、正確なことは分からないが)。

 私はゲイ・バーの前にも立った。店内はとてもあつく性欲がみなぎった空気が蔓延している。入ろうと思ったのだが、入り口近くに座る白人男性から睨めつけるような強い目線で見られると、入ることがとても憚られた。

 ポンピドゥー・センターの前に行くと、

「あなたが健二か?」

 といって、白人男性が話しかけてきた。

「そうです。はじめまして」

といって、手を指しだし、握手を交わした。

「昨日から、風邪をひいていて、調子が悪いんだ。ごめんね。それで、どこに行く、近くのカフェかバーにする?」

 私は彼自身が気に入っているバーに行きたいと伝えた。

「じゃあ、マレ地区のゲイ・バーに行こうか。それでもいいかい?」

 というので、頷くと

「ホントだね。じゃあ、いこう」

 といって、歩き始めた。マレ地区の第一号・ゲイバーに連れて行ってくれるという。
 店の前につくと、ガラス越しに店内の様子をうかがった。

「こんな感じだけど、いいかな」

 と彼は聞く。

「もちろん」

 と、私は答えた。彼は始終、気をつかってくれた。二階建ての店内には、5〜6人ばかりの客がいた。カウンターに行くと、私の連れがマスターとキスを交わした。マスターに私のことを紹介してくれ、彼は「ハジメマシテ」と日本語でいった。

 飲み物を頼んで、私たちは誰もいない二階へと行った。

 風邪をひいている彼は始終、つらそうで、何度も欠伸が漏れる。そのたびに、

「ごめん、本当に今日は辛いんだ。次回は大丈夫だから」

 という。

 彼は自分がフランスの田舎で生まれたこと、カミング・アウトしたのは二年半前であることなど、自身の半生を説明した。故郷で働いていたけど、偽りの人生を歩んでいる気が、いつもしたという。ウソ偽りのない人生を歩む為に、家族や友人に自身が同性性愛者であることをカミング・アウト(告白/宣言)して、それからパリに出てきたという。

「いまの生活はとても満足している」

 と彼は胸を張った。

「フランスはゲイに寛容だと思われているけど、パリと地方だとだいぶ、空気が違う。地方では、やはりゲイがゲイとして生きるのは、難しいね。ゲイ・コミュニティはとても小さいよ。パリだけをみて、『フランスはゲイ・フレンドリーだ』ということは、正しくない」

 それは、日本においても同様だと、わたしは相槌をうった。

 ゲイのパリ市長、ドラノエさんも自著の中で、パリのゲイタウンの賑わいでもってして、フランスはゲイに寛容だ……と早合点してはならないと、記されていた。田舎のゲイは「日陰」に追いやられる状態が続いているとも書いていた。

「ところで、日本でホモセクシュアルは何といわれているの?」

 と彼は私に振った。

「日本でも同性性愛者(ホモセクシュアル)やゲイといわれています。ホモというと、差別的だと怒る人もいますけど」

「ホモってのは、あくまで性指向を表す用語でしょう。ゲイというのは生き方もさす」
「私もそう思います。ゲイというのは、性的指向を表す語であるとともに、政治的な用語です。実際、男性に欲情する人でも、自分がゲイだという自覚のない人もいますからね。でも、日本ではそれがしばし、混同してつかわれます」

 彼はつづけて、

「ところで、東京ではゲイの社会は受け入れられているの?」

 と聞いた。

「うーむ、とても難しい問いですね。マレ地区のように、ゲイ・タウンが東京の一部にはある。でも、それはあくまで一部であって、パリみたいにゲイの広告が町中に貼られたり、ゲイ雑誌がキヨスクで売られることはない。マレ地区のような特殊の地域では受け入れられているけど、それはあくまでその地域におしこめられているともいえます。東京全体で受容されているとは言い難い」

 いつのまにか、私たちの周りには、二つのカップルが座っていた。一人の男性と私の連れは知人のようで、両頬にキスを交わしてから、私を紹介した。

 近くに座っている白人男性が突然、

「日本のゲイとフランスのゲイって何か違いはあるの?」

 と聞いてきた。

「うーむ、それは簡単にはいえない。さほど、違いはないと思う。パリと同様に、クラブのイベントはあるし、ドラッグ・クイーンショーもあるし。ゲイを取り巻く社会の環境にはとても大きな違いがあるといえる。でも、ゲイ自体が異なるとはいえないなあ」

 日本とパリのゲイ違いって、はたして何であろうか。考えたこともない問いだったので、答えに窮してしまった。

 私の連れは体調がとても悪そうだったので、二時間ほどして私たちは店を出た。

「今日はとても嬉しかった。あなたにあえて幸せでした」

 と別れ際に私が云うと、

「また、会いましょう。今度会うときは、元気ですから」

といって、私を両手で優しく包み込み、両頬に親愛のキスをして、彼は去っていった。
寒さが肌に突き刺ささるぐらいの天候だった。頬に刻印された彼の体温が、しばらく残っていた。とてもやさしく親愛に満ちたキスだった。