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[第8章●地理情報コミュニケーション] 15… 平成の町村大合併後の地名 |
[2006.04.11登録] |
石田豊 |
20代のころ、運送会社のオフコンシステムを書いたことがある。運送会社といってもぼくのことであるゆえ、零細企業だし、業務システムとはいえ、ぼくのことゆえ、ショボイものであるんだけれど。しかし、おかげで、全国の市町村名の名前を覚えていることには自信があった。ナニナニ町だとか、ドコソコ村と聞くと、だいたい何県のどのあたりというのがわかる。なにぶんたくさんあるので、わすれちまったものも相当あるし、それに、もちろん実際にその地を踏んでの知識ではなく、単に路線便のルートを机上でつかんだだけのものだから、薄っぺらで頼りない知識でしかない。町村名は知っていても、どのような風土であるのかなどはまったくわからない。 しかし、名前を知っているだけでも、いままでいろいろな場面で大いに役立ってきていた。「ご出身は?」「鹿児島なんですけどね」「ほほー市内ですか?」「いやセンダイ」「仙台って東北じゃなかったっけ」というような会話に横入りして「カワウチと書いて川内があるんすよね」などと。これだけのことで当方を見る目がグンと変わったりする。 しかし、この知識も平成の大合併とやらで、半分くらいが役に立たないものになった。なにやら知らない名前の自治体がうじゃるほどできてしまった。 先日、呼吸装置の管を抜いたとかどうとかのニュースがあった。その舞台は「射水市民病院」だった。射水市? しらんぞ、どこじゃ? 調べてみると、この病院は以前は新湊市民病院だったということがわかった。新湊だったら記憶にある。富山県だ。高岡の隣だ。立川志の輔の出身地だ。そういや射水郡ってのがあったような記憶がうっすらと。ほほー、新湊市が周辺町村と合併して射水市になったのか。なんてことを思いながら射水市民病院の沿革を見ていると、昭和25年7月高岡市立新湊病院として発足。昭和26年3月新湊市立新湊病院と改称(同年1月、市制施行により高岡市から分離、新湊市となる)とある。 昭和26年に新湊は高岡から「分離独立」したわけだ。今回、中央政府から合併の圧力が高まったときに、高岡と合併しないで射水郡の各町と一緒になったわけだ。なにやらいろんなドラマやら経緯があるんだろうな、と思った。 Wikipediaの「射水市」の項目には 全国的な「平成の大合併」の流れの中、この地域では射水郡の4町村の合併による市昇格、新湊市を含む5市町村の合併、また高岡市、氷見市、小矢部市、福岡町を含めた広域合併などが検討されたが、住民アンケートや2003年2月に行われた小杉町の住民投票の結果などを受けて、2003年5月14日に新湊市を含む5市町村による合併協議会が設置された。とある。やっぱ、いろいろすったもんだがあったわけだ。なんで高岡と一緒にならかったのか、とか、小杉町は2回も住民投票をやっているが、それはなんでか、または、なぜに途中で小杉町長は新湊との合併を忌避したのかとか、いろんなギモンが浮かんでくる。ちなみに、ここに「広域合併」候補として上げられている市町村のうち、福岡町は高岡市と合併し、小矢部市、氷見市は以前のままであるようだ。 どこの地域にしても、隣接地域との間には歴史的経緯があるだろうし、合併などにはいろいろな思惑や愛郷心なんかもからみあってくるだろうから、遠くに住んでいるものには、とうていわからない難しい事情があるのだろう。 そういえば、昨年大きな話題になった「南セントレア市」ってのがあった。愛知県知多郡南知多町と御浜町が合併してこういう名前の市になるという予定だというので、全国からおおきな批判が寄せられたということだった。なんぼなんでもその名前はアカンやろ、というわけだ。第一、セントレア、つまり中部国際空港は常滑市にあるんだし。 当事者じゃないヨソものたちの批判もうけ、あらためて新市の名称アンケートをおこなったところ、1位「南知多市」で2位「美浜市」。3位が「南セントレア市」だった。つまり、従来の町名を新市名としたいとする人々が多く、双方に公平な案としては、やはり南セントレアであったわけだ。結局、この合併計画は白紙に戻って、なくなってしまったという。 3200ほどあった市町村が1800ほどに集約されたそうな。その後ろ側で数千にものぼる複雑でヤヤこしいドラマがあったんだろうな。すべての事情は知るべくもないが、少なくともその全体像はざっくりと知りたいものだと思っていた。かといって、本やら地図やらをこの時点で買うほどのこともないような気がして、先日までうっちゃらかしていたのだが、日曜日の東京新聞を開いて驚いた。 東京新聞の日曜版別刷には毎回見開きで「世界と日本 大図解」ってのが掲載されている。なにしろ新聞2ページを使って(しかも広告なし)でワンテーマであるから、毎回ずっしりと濃い内容になっていて、とても面白いのだが、今回のテーマは「平成の大合併市町村逆引き検索マップ」というので、中央にデカく日本地図があって、今回合併等で変更があった市町村の部分だけが人口別に色分けされ名前が書いてあり、地図の周囲には、都道府県五十音別に旧市町村→新市町村名の全リストが一覧になっている、っての。見応えあります。かんずりの新井市は妙高市になっちゃったんか、などと発見・感慨満載。 今回初めて知ったのだが、この「大図解」というのはA2判カラープリントという形で400円(送料込み)で販売しているのね(東京新聞/大図解)。買おうかしら。 この地図、見飽きることがない。面白いです。 よく話題になる合併に伴う飛び地問題も、この地図を眺めていると随所にあることがわかる。 青森県津軽半島あたりの市町村の飛び地ぶりはすごい。マピオン > 青森県の地図を見ていただくと一目瞭然なのだが、まず、この半島の「頭」の部分は西から、中泊町−外ケ浜町−今別町−外ケ浜町−蓬田村−青森市というふうになっている。つまり外ケ浜町は今別町が中にはさまった形で分断されているわけだ。西側の三厩村と東側の蟹田町・平舘村が合併してこの町になったのであるが、今別町はどうしてこの合併に加わらなかったのか。ネットを検索してみると、こういう記事を見つけることができた。 五町村合わせ一万六千人余の人口、県内最少水準の予算規模の上磯地区は、合併協議で妥協点を見いだせず、今年三月末に任意合併協議会を解散した。五カ月経過しようとしている今も、合併論議は低調。本年度になり県が提示した青森市と東郡六町村での「東青合併」も、青森市からアプローチがなく、そっぽを向かれた格好だ。 同じ東奥日報のサイトには、4町の中で今別町だけが借金が少ないという要因を説明しているページもあった。うーむ。 中泊町もまた飛び地になっている。津軽半島の内陸部は中泊町−五所川原市−中泊町−五所川原市と、相互にサンドイッチするかたちになってしまっている。同じ順序で旧市町村名を並べると小泊村−市浦村−中里町−金木町−五所川原市であった。この小泊村と中里町が合併して両者の名前一文字ずつとって中泊町となり、間に挟まった市浦村、金木町は五所川原と合併したわけだ。これも同じくWeb東奥(Web東奥・連載[飛び地合併/北五5市町村の選択)に複雑な事情を伝える記事がある。 遠くから無責任に感想を言うだけなら、飛び地はまずかろうと思うけれど、当事者には当事者の深い事情があるんだろう。そういうことを想像したり、ネットで検索したりしながら大図解の地図を眺める。とてもおもしろい。 この大図解は日本全体の合併状況を俯瞰するのにはたいそう便利なのだが、個々の市町村の合併の変遷をたどるのにはむいていない。また合併していない市町村の名前は記していないところもちょっとナンだ。 そこで見つけたのがつかんぼやと/市町村変遷パラパラ地図。ここはすごい。市町村の合併の変遷を「ぱらぱらマンガ」のように見せてくれる。さきほど述べた津軽半島の飛び地状態の形成等も、このサイトの青森県の地図を見ればもっとすっきり理解できる。 平成の大合併だけでなく、かねてよりもっと知りたいと思っていた全国の県名の変遷なども、ここをみてはじめてすっきり時系列で理解できた。 |
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