2006-12-24

アンゲリカとの出会い秘話 その3

アンゲリカは、日本でそれはそれは頑張ってレッスンを受けました。わからないことはとことん質問し、ノートにとり、家で私や両親をモデルにして練習しました。父や母のことを、「私の日本のパパとママ」と慕い、習いたての日本語で「オットサン、オッカサン(?)」と連呼して仲良しになりました。(汗・・・発音、間違っているんですが・・直りませんでしたね・・。)

彼女は肉を全く食べないのですが、魚は大好き。野菜はもちろんですが、お寿司や焼き魚なども喜んで食べていました。それに外国人にしては珍しく、納豆も好きでしたので、当時朝食が和食だった我が家のメニューを、問題なく全て口にすることができました。のりや梅干、おしんこ、それにとろろや塩辛も大丈夫でした。

なので彼女の滞在中、本当に全く献立を変えることなく、通常通りの食生活をしたのでした。

あっという間に3週間が過ぎ、アンゲリカは大満足して、そして私たちに心から感謝して帰国しました。

・・・

その後、私もミュンヘンに戻ったわけですが、大学が始まる前にアンゲリカから招待を受けました。「淑子、私の両親がぜひ淑子にお礼を言いたって。だから我が家に週末に1泊で来てくれないかな?私が車で迎えに行くから。」

ミュンヘンから車で約1時間ほどの、ある小さな村(?)にご両親は暮らしているとのこと。当時はアンゲリカもその家に住んでいましたので、そこから迎えに来てくれると言ってくれました。そんな大げさなことはしなくていいから、と私は断ったのですが、どうしても招待したいというので、その気持ちをありがたく受けることにしたのです。でもそんなに無理することないのに、とも思っていましたが・・・汗。

アンゲリカは、私の小さな学生寮に迎えに来てくれました。私はその時も、彼女がお嬢様だとは気づかなかったのです。(お馬鹿さんな私ですね・・・)ドイツのセレブは、大体BMWやメルセデス・ベンツなどを所有しているものですが、アンゲリカはフォルクスワーゲンのワゴンに乗って来たので、バイエルンのセレブだとは思いもよりませんでした。でもほんの少しだけ、「この車、やけに新しい感じだし、ワゴンで大きいし乗り心地がいいし、すごいなぁ」などとは思ったのですが・・・。

・・・

小さな村・・・アンゲリカとご両親が暮らす村は、牧歌的な風景が広がる本当に自然がいっぱいの、まるでハイジが現れそうなところでした。車でたっぷり1時間かかって、ようやくその村に到着したのですが・・・何だか、公園の入り口ような大きな門の前に車が止まりました・・・・。まぁ、そこが彼女達のおうちだったわけですね・・・・鬼汗。

その後の私の驚愕具合は、皆様のご想像にお任せいたしますが、とにかく腰を抜かしたことはお伝えいたします・・・。

アンゲリカのご両親は、それはそれは素敵で、ちゃんとバイエルンの正装である民族衣装を身にまとい、私に対して最高の敬意を払って迎えてくださいました。「娘が日本でお世話になったそうで。本当にどうもありがとうございます! あなたを歓迎する用意をしましたので、ゆっくりくつろいで楽しんでくださいね。」とご両親はおっしゃいました。

・・・

そんなふうにして、アンゲリカと少しずつ仲良くなっていきました。

彼女は、私のことを信頼できる友達だと言ってくれます。日本でのことが忘れられないのだそうです。
その後も、彼女が一人で来日する時は、必ず我が家に泊まります。もう、当たり前になってしまいました。

私の両親は、「アンゲリカは私たちのドイツ人の娘」と言います。それくらい、彼女は自然に我が家になじんでいますね。

25年が過ぎて、一緒にサルスの仕事をすることになり、感慨深いものがあります。

きっとこの展開は、必然なのだと感じています。