広瀬桂子[編集者]●かくも長き時間、かくも劇的な変化。
<もし私が二十代の頃、モテていなかったら、セクシュアリティの問題に関心を持つようにはならなかったかもしれません>。第2章『ジェンダーフリーの不可解』の冒頭をパクらせていただけば、こうなります。
なぜモテていたのかといえば、話は簡単、私は<背が低くて、色が白くて、顔が丸い>という、(ひと昔前には)男ウケする外観をしていたのです。もっとも本人は、怪しいミニコミ誌づくりにかまけ、恋愛にまったく興味がなく、特定の彼氏も持たず、もちろん処女のまま、大学生活を終了。24歳になったばかりで<いちばん強引に結婚を迫ってきた>6歳年上の男と結婚します。「仕事はずっと続ける」と宣言していたにもかかわらず、結婚相手が求めていたのは「完璧な主婦」。破局はあっという間にやってきました。
もし私がモテていず、必死にモテる努力をし、真摯に相手を探していれば、何もこんなにズレた相手と結婚することはなかったのではないか。あまりにもイージーな環境が、冷静な判断を鈍らせる原因だったのか?
バツイチなどという言葉もない、80年代末期、それなりに厳しい世間の目の中、27歳にしてゼロ地点に放り出された私は、めちゃくちゃに悩み始めました。時は、バブルのまっただ中、均等法以降、社会に出た年下の女性たちは、「仕事か結婚か」などという選択とは無縁のように華やかです。私はどこで間違ったのか……。
そんなとき出会ったのが、伏見さんの「プライベート・ゲイ・ライフ」。ここに描かれた図式は、私のすべての疑問をぬぐい去ってくれました。失敗した結婚の相手は<ランボー>で、<三つ指女>を求めていたにもかかわらず、私は<オスカル>だったので、これは無理です。でも外見が<三つ指>だったので、彼は間違えた。こんなはずじゃなかった! と思って荒れたのも無理はない。目からウロコが落ちました。「私が悪いのではない、悪いのは組み合わせだ!」という免罪符は、実に心強いものでした。
その後、幸運にも伏見さんと邂逅し、『スーパーラヴ!』を編集した私は、その出版パーティで現在の結婚相手(伏見さんの大学の同級生)と出会います。会って数時間で、完全に意気投合してしまったのですが、それは<男制に疲れていた(けっこうオンナな)彼>と<女制に疲れていた(けっこうオトコな)私>の組み合わせで、今思えば実にわかりやすい。この絶妙な関係性は、結婚9年になる今もまったく崩れていません。そのせいなのかなんなのか、非常に快適な結婚生活。
でもこの関係、『プライベート・ゲイ・ライフ』の図式には、もはや当てはまらないのです。見た目でいうと<ランボー×三つ指>、男制女制でいうと<お公家さん×オスカル>(本書の中では、「どうわかちあったらいいのかわからない二人??」となっています)。そして、このような、よくわからない、説明のつかないカップルが、20代から50代まで、さまざまに複雑にからみあっているのが現代です。こういう人々がメジャーとまではいいませんが、少なくとも、違和感はないし、世間的に認知もされている。
『欲望問題』を読んで思ったのは、「かくも長き時間が経ち、こんなにも世の中は変わった」ということです。20年前に思いもかけなかったようなことが、今は当たり前になっている。どの時代にも、そういうことはあったのでしょうが、ことセクシュアリティ、ジェンダーの問題に関しては劇的な変化です。そして、どんどん変化し続けている。
私なりに、20代から40代を生きてきて、今もっとも関心があるのは、「生殖」についてです。『ジェンダーフリーの不可解』には出てこないですが、これこそが、セクシュアリティーやジェンダーの束縛から自由になった、今の30代から40代の女性たちが直面している問題なのではないかと思います。言い換えれば、それは新たな<欲望>の表出です。
既に約束された自由の中で、自分らしい生き方を見つけなければならない困難、それに掛け合わされてくる<生殖>に対する欲望、もしくは迷い。事態はどんどん複雑かつ細分化していきます。いったい私たちはどこに行こうとしているのだろう(行ってしまうのだろう)ということを、考えざるを得ない今日この頃です。
【プロフィール】
ひろせけいこ●
1962年、東京生まれ。マガジンハウス編集者。