野口勝三vs沢辺均ロング対談・第五話
相互の「自由」を実現させるには?
━━『欲望問題』のその先にあるもの
沢辺●それ、大変だよね。相互の自由をうまく調和させましょう、折り合わせましょうというところに立つこと自体がけっこう大変だよね。
野口●具体的に政治の決定システムの中に入っていくのはなかなか難しいところは確かにあるとは思うんだけど、例えば現在同性愛者に対し、その存在を全否定して、殺してしまえばいいと主張する政治家はいない。一般の人でもそんな人はほとんどいないわけですよね。そうすると、普通の感覚で生きている人を説得できるプランを実現していく可能性はあると思う。
沢辺●ただね、僕は会社をつくって仕事をしているわけですけど、そこにはもれなく不測の事態というのは年がら年中おこるわけです(笑)。
例えば今日6時から彼女とデートを設定していても、トラブルが起こってどうしても仕事を残ってやらなければならないということがおこる。だけどみんな自由だよね、ということを前提にすると、まだ「僕の自由だからトラブル放っておいて帰ります。それが僕の自由でしょ」そういう程度の自由観が多数なんじゃないかな、と。
野口●そういう意味か(笑)。公共性を作り上げていく志向性があんまりないんじゃないかということですね。各自の自由に対する感度はあがってきたけれども一緒にコストを払っていくという感覚が。
沢辺●ひとたび仕事で稼ぐということであればそのトラブルに対処しなければいけないわけだよね。例えば担当者が僕と野口さんの二人だったとします。「じゃあ野口さん、今日の彼女はどうしても落としたいから今日は頼むよ。今度は僕がやるからさ」と僕がいう。野口さんは野口さんで誰かと飲む約束していたりして、そうやってお互いの自由がぶつかるわけだよね。
そうやって二人の自由は両立しえないということがある。もちろんそこには原因であるトラブルを減らすという解決策もあるけれども、それは明日からのことで今からはできないよね。あるいはその仕事を断念する。客には売らなくてもいいとする。それも自由ではあるよね。
野口●自由についていえば、最初から絶対的な自由というものがあるわけでなく、各人がお互いを認め合うことではじめて自由な存在になることができるわけで。
沢辺●そうそう。ところがその自由という感覚はお互いの自由を調和させてうまく実現させていかない限り、自分の自由すら実現できない。そういうところまでは自由がみんなのものになっていない。
ただそのことを後ろ向きにまだまだだよね、と評論家的に言っていてもしょうがなくて、それをさまざまな形で「昼飯をおごるから」とか「今度は俺がやるからさ」とか、あるいは「なんで沢辺おまえだけしらんぷりするんだ」と文句言ったりして対話するとか、さまざまな組み合わせのなかで、じゃあそういうトラブルがあったとき交替で対処するくらいはしょうがない、ということを了解し合う。
そうやって徐々に具体的な解決策が出来てくるんだけど、今の我々は、その解決策を山ほどつくっていく鳥羽口、いや2合目くらいにいるのかなという感じなのね。………………つづく