2013-02-26

第27回■クリスタルな愛人Ⅲ(3000円の愛人契約)

 交際、出会い、出張、社交、鑑賞会、露出、SM、変態、パーティ、マッサージ、熟女、人妻、ぽっちゃり……。一定の世代なら、『内外タイムス』や『レジャーニューズ』の“三行広告”に心を躍らせた記憶があるだろう。わずかな文字から想像を巡らし、勇気を出して電話を掛ける。怪しい風俗との出会いの契機がそこにはあった。

 その中にはセックスをお金に変える出会いを謳ったものも多かった。90年代半ば以降、「援助交際」などと婉曲な表現もされたが、いわゆる売買春である。ソープランドやホテトルなどが代表的だが、愛人紹介なども“自由恋愛”“当人同士の話し合い”としながらも、その実は、売春そのものである。基本的に交際相手を紹介するだけで、恋愛やセックスは両者の合意があれば自由とされているが、そこには金銭が介在し、代価、対価としてセックスが行われている。管理売春ではないものの、その実態は限りになく売春のあっせんに近いものがある。中には一回限りではなく、長期的な付き合いもある。そのものずばり、“愛人バンク”などという名称も一般化し、一斉を風靡したこともある。ちなみに、愛人バンクは1982年に筒見待子が始めた「夕ぐれ族」がヒットして、当時全国的にブームになった愛人紹介業ビジネス。1983年に全盛を迎え、全国的に類似ビジネスが乱立した。実態は売春の斡旋であるため、警察は1983年に売春防止法違反等により14軒を摘発し、595件、68人を検挙。いわゆる愛人バンクという形態は鳴りを潜めたが、その後も類似ビジネスは存続している。

 バブル時代は、店舗や交際倶楽部などはなく、個人事業主として、生業としているような女性も多かった。その後、援助交際の主役は高校生や主婦などにうつるが、それ以前は、バブルの吹き溜まりに耽溺していた女性にも、同様の行為が蔓延していたような気がする。

 当時、羽振りの良かった不動産業や金融業などの経営者が愛人を囲っていたり、一回、セックスをしたら何万も貰ったという話がたくさん転がっていた。決して、映画やテレビの世界のことではなく、私の身近なところでもそういう女性はたくさんいた。セックスをお金に変えることのカジュアル化みたいなものが加速度的に広がっていた。いわゆるその場限りの売買春ではなく、愛人契約みたいに、長期的な交際を約束するようなものもあった。
 平成の毒婦といわれ、複数の被害者を出したとされる婚活詐欺女性の事件を聞いた時、婚活としながらも、その実態は当時の交際倶楽部などに所属した女性と相通じるようなものを感じた。時を経ても変わらないものがある。多少、自分に性的な商品価値があることを知る女性の中には、セックスをお金に変えてきたものも少なくはない。勿論、その価値は時代によって変わり、オプションそのものも代わる。

 さて、ひろみの話に戻そう。彼女の白金のマンションに家庭訪問し、しこたま酔っていながらも、私に持ちかけられた意外な話とは……。

○○××△△○□□××○○

 と、「……」と「○○」を入れて、テレビドラマのCM跨ぎのようなことをしたが、彼女から持ちかけられた意外な話とは、「3000円くれたら、セックスさせてあげる」というものだったのだ。

 売買春を持ちかけられたのも驚きながら、その料金(!?)もある意味、法外(勿論、安価という意味である!)である。3000円だ。30000円ならわかる。当時でいえば、ワンツー式というソープも珍しくなかった。入浴料10000円、サービス料20000円で、30000円である。相場といったら変かもしれないが、売買春の対価としては、30000円なら妥当ではあった。当時は、愛人契約をして月に30万貰ったとか、後に援助交際で高校生が5万などという高値を呼んでいた。セックスが値崩れする前の時代の話だ。3000円はいかにも低料金である。まるでデフレ時代のようだ。

 当時のテレクラでは、いわゆる街娼、たちんぼが客を求めてテレクラに電話することはあったが、援助交際時代ほど、売りのコールが頻発することはなかった。私自身、これまで書き綴ったセックスしてきた女性にお金を渡したこともなかった。ある意味、幸せな時代だったのかもしれないが、ここにきて、まさか、ひろみのような女性から、それも3000円という料金で、売春を持ちかけられるとは思ってもみなかった。

あまりにも突然の申し出に、一瞬、なんのことかわからず、訝しがったが、何度も3000円と連呼するものだから、勢いに任せ、財布から3000円を出し、渡してしまった。彼女は嬉しそうに受け取り、笑顔を作ったかと思うと、3000円を私へ投げつける。千円札が3枚、宙に舞う。その刹那、彼女は私に抱きつき、いままで飲んでいた居間から寝室へと誘う。寝室は和室で、ベッドではなく、畳の上に布団が敷かれていたのをよく覚えている。

契約成立(!?)である。私は遠慮なく、彼女の唇を貪ると、ひろみも同じ勢いで貪る。淑女から雌へと変わる。私など、単なる相談員で、男性として、それも性の対象として見られていないと思っていただけに、彼女が私を男性として、それも性の対象として見ていることに驚く。やや焦りながらも、勢いよく、彼女の服を脱がす。特にグラマラスで魅惑的という肢体ではないが、大酒飲みの割には贅肉のない身体に、透き通った肌が目に飛び込んでくる(実際には部屋が暗くしてあったので、薄ぼんやりと見えただけだ)。

布団に押し倒すと、彼女は思いのほか、恥じらうそぶりや躊躇うこともなく、積極的に求めてくる。激しく、荒々しい。まるで性的な飢餓感を埋めるようだ。ただ、アドレナリンやホルモンを全開にし、欲求をぶつけている割には何故か、それがこちらにはぶつかってこない。どこか、違う方向に欲望の矢が放たれているよう。変な表現だが、二人でセックスという行為をしているにも関わらず、それが向き合ってなく、自らの欲望や欲求を、その出所にぶつけているようでもある。お互いの身体を使って、自慰行為をしているような感慨すら抱いてしまう。

勿論、それだけでも彼女の嬌態や媚態は凄まじく、下品な表現だが、“入れて出したら終わり”ではなく、夜中から朝まで、何度も繋がった。普通なら、向き合わないセックスなどは徒労感が付きまとうものだが、3000円が介在したことで、思いや気持ちではなく、快楽や快感に身を任せられると割り切ることができたのかもしれない。変な罪悪感や疲弊感はなかった。

朝、尿意とともに目覚める。布団の中には、昨夜の居間でのように、自らの恋愛の不毛を嘆き、食って掛かってきたひろみではなく、何かつきものが落ちたように安らかな顔をした彼女がシーツに包まる。幸せそうな寝息を立てている。

私は起きて、急いでトイレとバスルームを借り、シャワーを浴びた。服を着て、帰りしたくをする。居間に投げ捨てられ、床に落ちていた3枚の千円札を取り、自らの財布に入れるのではなく、きちんと四隅を伸ばして、居間のテーブルに置いておいた。まだ寝ている彼女を残して、そのままひろみのマンションを出た。

何故、ひろみが3000円の愛人契約を持ちかけたかはわからない。同時に、本当にセックスをしたかったのかどうかもわからない。私なりに類推するなら、誰でもいいから抱かれたい夜というのがあるのだろう。一人ではなく、二人でいる、繋がることで、孤独が癒される。彼女は恋の敗者だが、それでいてプライドだけは高い。孤独を癒す相手は誰でもよくはない。特に彼女をよく知る者には、恋に破れ、孤独に沈み、癒しを求める自分は絶対、見せたくはない。しかし、私ならそれを見せられ、かつ、所詮、身体目当てのテレクラ男だ。そんな男にならセックスをおねだりすることだって構いはしない。ほいほいと涎をたらし、従うに違いない、といったところか。しかし、ここでも小さなプライドがあって、いきなり甘えておねだりするというのは、いままでの関係性からはしたくはない。ならば、そこに金銭を介在させることで、セックスを成立させようとする。多分、彼女のまわりには、アッシー、メッシー、ミツグくんなどを侍らせながらも、愛人契約をしているような女性が身近にいたのではないだろうか。そんなこともあって、売春するということでセックスする理由としたのだろう。

後年、援助交際がブームになった頃、主婦売春をする者の中には、生活苦など金銭を求めてするのではなく、性的欲求を満たすためにしていた者もいたのと似ている。彼女らは、夫とのセックスレスに悩んではいるものの、ただセックスがしたいとはいえず、援助交際を隠れ蓑、言い訳にしていたのだ。

本当のところはわからない。ただ、ひろみは私に向かい合おうとはせず、自らの欲求だけに向かい合っていたとしたら、それはそれで、彼女なりの誠実さだと思う。勿論、私自身も肩すかし感を抱きつつも、分は心得ている。彼女の要望に応えるだけで充分と割り切っていたのも確かだ。

ひろみとはそれ以来、連絡を取ることはなくなった。流石、3000円では長期的な愛人契約を結ぶことは困難だ(当たり前!)。そろそろ潮時だったのかもしれない。不思議なもので、当然の如く、喪失感などはない。いたって平静な私である。これまた、当り前のように、テレクラ通いが続く。

ちなみに今回、敢えて、テレクラ女性に、ひろみという名前を使わせていただいた。これまで“その女性”や“彼女”という表現を使っていたが、仮名にしろ、名前を出したことはなかった。今回は対価や代価が発生した。バブル時代だからではないが、エルメスやグッチのように、ひろみというブランド品を買ったという意味合いで、名前を敢えて出させてもらった。いうまでもないが、仮名である。某作家の知り合いにひろみなんていう女性はいるかといったら、いるわけはない。調べようとしても無駄である。勿論、20年も前のこと、いまさら、調べようなんていう酔狂のものはいないだろう。しかし、泡沫の時代には、そんな珍しい話ではなく、どこでもあったことかもしれない。そんな時代だった――。