2012-09-28

第18回■女ぎつねon the Run〜僕、どうなっちゃってるんだろう

妙な収まり具合

「たかが、一度や二度、寝たくらいで、彼氏ヅラするんじゃねーよ」
多分、いまだったら、そんな言葉を吐かれてていたかもしれない。勿論、あの時代は、そんな鉄火肌の表現をする女性は、まだ、多くはなかった。そんな言葉が女性誌などで頻繁に飛び出すようになるのは、誰とでも気安くセックスをするようになってからのことである。

彼女とめくるめく箱根の夜を過ごす。そのため、あまり寝ることはできなかったが、朝食を急いで食べ、早雲寺にほど近い旅館を早めに出た。彼女は午前中から仕事があり、遅くても10時までには出社しなければならない。旅情に浸る間もなく、小田急を東京へと急ぐ。

表参道で、二人は乗り換えだ。ともに銀座線。彼女は数駅して降り、私はずっと先まで乗っていった。彼女が下車する前、また、今度の日曜日に会う約束を取り付けていた。場所や時間は決めていないが、日曜日にまた会えると思うだけで、自然とにやけた顔になる。いまにして思えば、相当な阿呆面だったはず。

2泊3日の箱根への旅行。考えれば、随分と長い時間、彼女と過ごした。テレクラがあったからこそ実現した出会いだが、まさか、いきなりこんな展開があるとは思っていなかった。会って数日で旅行をともにするなど、普通の恋愛関係では、あまりないことだろう。二人の距離はいきなり縮まる。急接近である。

そんな時間の中、私自身、まさかという感情が芽生えてきた。ただセックス出来ればいいというだけではなく、恋愛感情めいたものも伴ってきたのだ。彼女に対して惚れたとか、可愛いとか、魅力的だなどと感じ、そんな言葉を前回、敢えて散りばめたのも、私の感情の奥底に溜まった声を形にして、吐き出しておきたかったからだ。

つくづくセックスとは強烈なものだ。「セックスから始まる恋愛がある」。そんなフレーズは、“セックスが自由解禁”(「アンアン」のセックス特集ではないが、80年代後半から90年代にかけ、レディスコミック、レディスマガジンなどにもセックス礼賛漫画や企画が増えてくる)された90年代以降の表現だが、セックスをしている時の高揚感と安心感みたいなものがそう思わせるのだろう。フィット感といってもいい。妙な収まり具合。何か、二人でいることが必然でもあるように感じるのだろうか。

多分、その時は、それほどではなかったかもしれない。薄らとした恋心くらいか。といっても流石、張芸謀(チャン・イーモウ)の『初恋の来た道』(1999年・中国映画)ほどの純粋さはない。当たり前だ。

留守電

日曜日に“デート”(!?)の約束をしたが、具体的な待ち合わせの時間や場所は決まっていなかった。自宅の番号を聞いていたので、電話をする。彼女は出なかったので、留守電に、折り返し電話をしてもらうように吹き込む。私は実家住まいだったが、自分専用の電話(勿論、携帯電話という時代ではなかった)があり、留守電も外から聞けるように設定していた。

ところが、彼女から折り返しの電話はなく、何度かかけるも、留守電に繋がってしまう。繰り返しかけたが、後に社会問題化するストーカー(同語が日本で定着したのは90年代に入ってからで、事件として規制対象になるのは2000年からのこと)ではない、繰り返し電話をかけるといっても常識の範囲内である。

結局、電話をかけ続けるが、連絡が取れないまま、その日が来てしまう。当日も、おそらくいるであろう午前中に連絡をするが、やはり、出てはくれない。私はいてもたってもいられなくなり、彼女の家へ行くことにした(一回目の家庭訪問で、次も来ることを考え、場所や道順はしっかり把握していた!)。後年、将棋棋士・中原誠名人が当時、愛人だった林葉直子との間でスキャンダル事件(1998年)が起こり、林葉の留守番電話に中原が「今から突撃しま〜す」と吹き込むなど、話題になったが、私自身はそんな“討ち入り”感情はなかった。むしろ、連絡が取れないことで、その安否が気になっていた。変な事件や事故に巻き込まれていないか、心配だったのだ。私の時で明らかなように、初めて会った男性とすぐにホテルへ行ってしまう、その行動は危険極まりない。危なっかしい女性である。何が起きてもおかしくはないだろう。

私の家から彼女の家までは1時間ほどだった。最寄駅から家への道は、しっかり覚えていた。迷うことなく、辿りつく。チャイム(オートロックではなかった。その普及にはもう少し時間がかかっていたのかもしれない)を押す。しかし、返答はない。ドアに耳を押し当て、聞き耳を立てるが、水道や空調、テレビなど、生活音はしない。部屋には誰もいないようだ。

もし、近くに買い物などで出ていれば、部屋の前で待っていればいいのだが、訳もなく前にいるのは流石に怪しい。不審者と間違われてしまう。近所の住人に通報でもされたら、それこそ、洒落にならない。時間を少し置いてから、また、来ようと思って、暫く彼女の家の周辺をぶらりとする。駅周辺の表通りには店などが点在しているが、裏通りに入ると、すぐに閑静な住宅街。犬の散歩をさせているご婦人も見かける。下町とは違う山手感が漂う。

彼女の家の周回(!)も2、3周目に入ったところで、いきなり坂の上から目の前に白いベンツが現れた。助手席に座っていたのは彼女だ。思わず、目を疑う。彼女も驚いたような顔をしている。運転席側の窓が開くと、今でいう(といっても既に死語ではあるが)“ちょい悪”風の男性が「あんた、誰!」と、どすの聞いた声で、恫喝とも取れる言葉を残し、そのまま走り去った。言葉を返すことも追いかけることもできなかった。

一瞬、何のことか、わからず、頭が混乱した。彼女は、私の彼女で、今日は、デートの約束をしていた。ところが、それはすべて、こちらの思い過ごしで、勘違いではないかという気持ちにさせられてしまう。

元々、テレクラなどは敗者のゲームと認識していたが、その敗者のゲームでも敗者になってしまった気分だ。流石、悔し涙にくれるということはなかったが、釈然としない気持ちのまま、この日は撤収を決め込む。そこにいてもいいことは起こりそうにない。

迷走

この日から私の“迷走”が始まったといっていいだろう。ニンフォマニアを自認する“女狐”を再び捕まえ、我が掌中にしようと足掻いたのだ。本来なら、相手は自分より一枚も二枚も上のプレイガール、関わると火傷をするだけ、諦めが肝心と、ケツをまくるのが妥当だろう。何しろ、粋を任ずる私のこと、引きずり、執着することなく、綺麗さっぱりと諦めるのが私らしいというものだ。しかし、そうすることができなかった。

セックスに一縷の真実があるかわからない。ただ、欲望を剥き出し、求め合っていた時、お互いが必要と思い、かけがえのない同胞に出会えたような気がしていた。その刹那に永遠を感じたといったら、嘘くさいかもしれないが、それほど、強烈で、彼女の磁力に引き込まれてしまったのだ。

電話などしなければいいものの、凝りもせず、何度も電話をかけてしまう。留守電に吹き込むものの、当然、折り返しの連絡はない。また、その電話も悪戯電話のように何十回も何百回もかけるようなことはしなかったが、深夜、早朝、お構いなしにかけてしまう。

連絡が取れなくなると、余計、熱くなる。彼女への思いが沸騰する。少なくとも何故、電話に出てくれないか、その理由だけでも聞きたくなる。私にしてみれば、何の断りもなく、いきなり、門前払いをくらわせられた。晴天の霹靂。納得できないというのが正直なところだ。

しかし、その理由を知ることはできない。出てはくれない電話と格闘して、数週間(実際は数日間かもしれないが、とてつもなく、長く感じた)がたったある日、多分、日曜日の昼だったと思う、彼女が電話に出てくれた。

話かけるものの、暫く無言が続くと、いきなり、見ず知らずの男性が出てくる。少し甲高く、声も若々しい。若干、震えてもいる。
「もう電話をするのはやめてください。彼女は本当に迷惑しています。これ以上、しつこくしたら、警察に通報します」

これでは、まるでストーカーである。何度も書いているが、まだ、日本ではストーカーという言葉も認識されていず、その当時は法規制もできていなかった。流行の先駆けと、自画自賛したいところだが、当然の如く、その時はそんな余裕などはない。

私が反論する間もなく、その電話は切られてしまう。声の主は、彼女の家で鉢合わせしたちょい悪の男性ではない。これでもう一人、男性の影が浮上したわけだが、流石、ニンフォマニアである。他にもまだ、いそうだ(笑)。

彼女の家に電話をかけることもままならなくなった私は、次は彼女の会社へと向かう。最初に会った翌朝、彼女から名刺を貰っていた。
会社の前まで行き、まちぶせをする(石川ひとみか!?)。何度か、試みるも都合良く鉢合わせなどはしない。空振りは続く。

そんなある日、夜遅くだが、会社の前に行ってみると、既に灯りは消えていた。誰もが退社していた。会社はビルの2階にあって、外階段を上って入るようになっている。どんなところか気になり、階段を上ってみると、会社の窓が少し開けっ放しのままになっていた。入ろうと思えば、入れる状態になっていたのだ。彼女のデスクを見てみたい。引出などを漁ってみれば、彼女のことが何かわかるのではないかという思いが込み上げる。実際、窓を少し開けてみて、どうしたら、侵入できるかを考えていた。同時にまわりの様子も伺っていた。人が来たら、見つかってしまう。

これでは不法侵入だ。間違いなく犯罪である。あと少しで窓枠に足を掛けそうになったが、寸でのところで理性が働き、思いとどまる。ほんの少しで、犯罪を犯すところ。翌日の新聞に私自身が乗ってしまうところだった。

しかし、そんなことまでしようという、まさに“僕、どうなっちゃてるんだろう”である。本当に常軌を逸していた。恋患いとは、人の心を狂わせてしまうものだ。

そんな“嵐の季節”に足を踏み入れつつも、その時、仕事が忙しかったこともあり、多少なりとも忘れることができ、犯罪を犯すまでには至らなかった。しかし、少しでも時間があると、また、彼女のことを考えてしまう。本当、いつもの自分らしくない。
彼女のことをどれだけ思っていたかなどは口にして敢えて言う必要はないが、その行動がすべて語っているだろう。

日々の忙しさが彼女を失った痛みを忘れさせていった。なかなか立ち直れないでいたが、そうもいってはいられない。後ろ向きのままではいられない、前向きに生きていくしかないのだ。

スキャンダル

それから数ヵ月後、事態は思いもかけない展開を見せた。ある週刊誌が彼女の会社の接待疑惑や贈収賄をスクープし、そのスキャンダルの中心に、彼女がいた。コンパニオンを派遣する会社と、派遣先である大手企業との関係が取り沙汰され、彼女は“愛人”という名の肉弾接待の主役を演じていたのだ。当時、F1などもブーム(日本では1990年から1992年にかけて、社会現象化した。特に後年、1994年、レース中に亡くなるアイルトン・セナが人気だった。ちなみに木村拓哉の1996年のヒット・ドラマ『ロングバケーション』の主人公の名前も瀬名だった)になりかけていて、そういったものに大きなお金が動く時代でもあった。

詳述は避けさせていただくが、そういうことを考えれば、私が鉢合わせをしたちょい悪の男性は、肉弾接待の相手だったかもしれない。妙に辻褄が合ってしまう。

彼女に突然、降りかかったスキャンダル。まさか、彼女自身もそんなことになるとは思っていなかったはずだ。幸い、そのスキャンダルは一誌だけで、他が追随することなく、暫くして、人々の耳目から消えていった。しかし、彼女の傷や痛みは大きいに違いない。

余計なお世話かもしれないが、落ちこんでいるであろう彼女を励ましたかった。これを利用して、復縁(!?)を迫ろうなどとは考えてもいなかった。本当に励ましたかったのだ。

何度か、電話をかけたが、幸い、彼女が出てくれて、少し話すことができた。どんな言葉をかけたか忘れてしまったが、その翌年90年の春に来日するアーティストのコンサートに行くことを約束した。敢えて、名前は出さないが、ビッグ・アーティストで、スタジアムでの公演である。

それから数ヵ月後、私はとっておきの席を取り、その日、彼女とスタジアムで、再会した。騒動の傷は多少、癒えたものの、まだ、心からの笑顔は取り戻せていないようだ。それを隠そうと、モード系のとびきりお洒落なファッションに身を包み、髪は緩いウェイブをしっかりと固め、メイクも凛とした彩を施す。どこかしら、近づきがたいような美しさを漂わせている。彼女をエスコートする自分を誇らしいとも思えた。

そのコンサートは後に伝説となり、語り継がれるものになったが、すべてを忘れさせるような音の洪水が彼女に纏わりついたものを洗い流したようだ。

コンサートの後、六本木のお気に入りのビストロで、彼女と食事をした。ワインを飲み、少し上気した彼女の顔に、久しぶりに笑みを見ることができた。

彼女とは、また、会う約束は特にしなかった。それっきりになってしまうが、それでいいと思った。復縁を目論んでいたわけではない。ただ、少しでも嫌なことを忘れ、楽になってもらえばいい。また、私の“いい人気取り”が出てしまったわけだ。彼女の人生に、私はいない。彼女が解決しなければならない問題は、自らが解決しなければならないだろう。

六本木の夜は、もう春だというのに、少し肌寒くはあった。そんな日はぬくもりを求めたいところだが、一人で、寝ることにする。こんな時に、誰かと温めあったら、また、勘違いをしそうだ。