2012-09-14

第16回■ニンフォマニア

「私って、ニンフォマニアって言われているの」
“彼女”はそう呟き、妖しく微笑んだ。

熱い夏は漸く終わりを告げたが、それでも夏の名残はあり、暑さを感じさせながらも少しだけ秋の気配が忍びこもうとしていた。彼女と電話で、話したのは、その日の前夜のこと。久しぶりの“HOME”、新宿・歌舞伎町の「ジャッキー」だったと思う。渋谷を主戦場にしていたが、たまには、里帰りも必要、馴染の店には顔つなぎは欠かせない。ホームはいつもと変わらない、やさしさといい加減さで、迎えてくれた。

その20代半ばという会社員と電話が繋がったのは、終電前くらいかもしれない。どんな話をしたか、あまり詳しく覚えてないが、行きつけのバーやレストランの話で盛り上がり、なんとなく気が合い、話がうまく転がる。

阿吽の呼吸や掛け合い漫才ではないが、時々、テレクラで話をしていて、なんの不自然さもなく、自然と会話が弾むことがある。後でわかったことだが、その彼女、モーターショーやレースなどにコンパニオン(パニオンも当時の合コンなどでは花形だった。まだ、岡本夏生がいまのようになるとは想像もつかない時代だ!)を派遣するイベント会社の営業で、人と話を合わせるのはうまいはず。私自身も企画関係の仕事をしていた関係で、そのような人種の扱いは慣れていて、“業界ノリ”になんとなく乗ることもでき、軽口のいい加減な話も辻褄があってしまったりする。もっとも、それ以前に、最初から相性の良さみたいなものもあったのもかもしれない。特にエッチ系の話などは振っていないが、なんとなく(という表現が多くなるが、まさにそんな感じなのだ!)気が合ったことから、すんなりとアポを取り付けた。

テレクラ経験者には、そんな体験をした方も少なくないと思う。親和性が高いというか、話していて、最初からしっくりくることもある。もっとも、話がしっくりいっていても、いきなり電話を切られることもあるから、テレクラは奥が深い(笑)。彼女とは渋谷のバーで、飲もうという約束をした。勿論、時間も時間だったので、これから直ぐではなく、翌日の夜になった。

現れた美女

夜にアポがある、こういう時は、仕事は浮足立ち、上の空になるかというと、そうでもない。夜に楽しいことが待っていると思うと、却って、普通でいられる。逆にいうと、ルーティンを乱したくないから、変に力んだり、手を抜いたりはしなくなるもの。勿論、約束の時間に間に合うように時間通りに切り上げることだけは忘れない。

彼女とは、渋谷の宮益坂(最近の主戦場がある。すっぽかされたら、ここへ駆け込もう!)にあるシティホテルのロビーで待ち合わせた。約束の時間より、少し早めに着いて待つ。

数分後、約束の時間になると、ホテルの館内放送が流れる。私の名前(勿論、偽名)を呼び、電話がかかっているという。電話に出ると、彼女からだ。仕事が伸びて、少し遅れるという。先にバーへ行って、待っていて欲しいとのこと。バーは昨日、電話で話題になった公園通りにある“お洒落な店”。バブル時代だから絢爛豪華の内装ばかりかというと、逆に黒や白など、モノトーンを基調としたシックな店なども流行っていた。待ち合わせのバーは、後者だった。

バーのカウンターでギムレット、とチャンドラーを気取りたいが、そんなわけはなく、もともとアルコールが強くないので、軽めのジントニックなどを飲みながら、待つ。30分ほど経つが、彼女は来ない。あれだけ電話で盛り上がっても、いざ会うとなると別ものか――と、疑心暗鬼になりそうなところで、漸く、彼女が現れた。

ミディアムヘアーに軽いウェイブがかかっている。背はそれほど高くないが、均整が取れている。濃紺のジャケットに、同色のスカート(長くも短くもない、品のいい長さだ)。まるでリクルートスーツ(この言葉は70年代からあるらしい)だが、シルエットやボタン、切り返しなど、こじゃれた細工がされ、シックながら、キュートである。職業柄(後から知ることだが)か、流石、洗練されている。その顔だが、当時、個性派女優として映画やテレビなどに出ていた女優に似ていた。目鼻立ちが整う、美人女優の面持に、今様、現代的な風情が加わる。おそらく、誰が見ても綺麗や可愛いという評価を貰うだろう。いわゆるテレクラ基準とは別なところにある。

私の顔を見るなり、初めまして、と軽く頭を下げて、挨拶をする。その辺は業界の挨拶風で、そのまま名刺交換をしそうになる(笑)。私はカウンターの横の席を勧める。優雅に腰を滑らせる。席と席の間隔は自然に肩が付くようになっている。とりあえず、私の顔を見るなり、嫌悪感を示したり、逃げ出すような態度を取られず、安心(安堵!)する。

テレクラなどで待ち合わせに行って、顔を見られて、失望されて帰られる(逃げられる)ことはあまりなかった。特に顔が良く、スタイルもいいというわけではない。当時、既に“三高”(高学歴、高収入、高身長の男性のこと。1980年代末のバブル景気全盛期に、女性の主流層が結婚相手の条件にこの三高を求め、流行語、俗語にもなっている)という言葉はあったが、“イケメン”(多分、男性が散々、女性を綺麗とか、可愛いとかを価値判断で長年、騒いでいたことへの女性からの意趣返し)などという軽佻浮薄な言葉もなく、容姿などでは足切りはされなかった。

私の身なりだが、清潔感は意識したが、特に高価なものを身に付けたり、纏ったりはしていなかった。バブルに踊らされることなく、ベルサーチなどは着ず、シップス、ビームスのライン。無難ではあるが、どこにいても違和感を抱かせないものにしていた。それも好印象を与えることに奏功したのかもしれない。彼女は職業柄、バブル紳士には辟易しているはず。

また、女性に対する自然な立ち居振る舞いや、インタビュー千本ノック(企業の広報誌を編集した関係で、同誌の仕事でいろんな人にインタビューをしていた)の経験を生かした、相手の警戒を解き、すんなりと懐に入っていく術を体得してもいた。おそらく、そんなところがキャンセルやチェンジ(風俗店か?)を食らうことが少なかった理由だろう。

いまや昔ではないが、体型も変わり、容貌も相当(いや、多少くらいにしておこう)、劣化したが、当時は、少なくも相手に嫌悪感を抱かせるようなことはなく、それなりの見映え(というほどでもないが)をしていた。そういえば、一度だけだが、“読モ”(読者モデル)もしたことがある。といっても、学生時代に、あるアウトドア―雑誌の「北アルプスを走破する」みたいな企画で、奴隷のようにこき使われただけだった(と、さりげなく、自慢しておく)。

意外な大物

無事、面接試験(!?)にパスすると、電話の時のように、いい感じで話が転がっていく。彼女の仕事のなどの話を聞いて、その時、初めて、コンパニオンを派遣している会社に勤めていることを知った。一瞬、彼女を通じての「アンド・フレンズ作戦」(新たな交友関係ができると、その交友関係から紹介やコンパなどで、新たな交友関係が生まれる)&「コンパニオンほいほい」も浮かんだ。もっとも、それ以前に、彼女をどう料理する(なんて言いたいところだが、流石、そんな不遜ではない)を考えを巡らしていた。

当時、それなりの遊び人は自分の中にクリシェのような、女性を落とす技や必勝法を各人が持っていた。男性週刊誌などでも女性を口説き落とす“アイテム”や“シチュエ―ション”は紹介されていた。ドライブや夜景、遊園地、観覧車、海岸など、様々なものがある。その中で、私は夜景を得意技(!?)としていた。素敵な夜景を見たら、女性は落ちる。いまにして思えば、随分、単純な話だが、いまだに素敵な夜景の見えるところがデートスポットになっているのだから、案外と女性心理とは変わらないもの。

例によって、終電近くまで粘り、いい感じで、酔ってきたところで、バーを出る。当然、駅を目指さず、渋谷駅とは反対、公園通りを上る。渋谷公会堂を過ぎ、NHK辺りになると、建物も少なくなり、風が吹き抜ける。火照った身体に心地良い。彼女は自然に腕を絡めている。今度は、前回と違い、振り払う理由はない(笑)。

公演通りを上り切り、国立代々木競技場へ向かう。別に競技や試合、コンサートを見るのではない。同所から原宿駅へ抜ける遊歩道は小高くなり、渋谷の夜景が見渡せる絶好の夜景スポットになっているのだ。バブル期である、必要以上に眩い照明に煌めく渋谷の街。その夜景は、キラキラと輝いている。

二人で夜景を見つめながら、身体は自然と密着し、抱きしめ合い、口づけを交わす(奪うでも貪るでもなく、交わすが相応しい。なんとなく、二人は唇を求めていたようだ)。そして、先の言葉が彼女の口から呟かれたのだ。

「私って、ニンフォマニアって言われているの」
そう呟きながら、彼女は妖しく微笑んだ。まさか、そんな言葉を聞くとは思ってもいなかったが、そんな言葉を呟かれたら、男は“イチコロ”というもの。落としたつもりが、落とされた。意外な展開に、一瞬、たじろぐ(うまい話に男は疑心暗鬼になるもの)が、そこからは、めくるめくような展開が待っていた。

と、余韻を持って終わりたいところだが、一回の連載分には字数不足(かわからない!?)、なので続けさせていただく。

彼女は「行きたいホテルがある」と、言葉を重ね、さらに渋谷から246を三軒茶屋へ向かい、商業地と住宅地の間の奥まったところにある“ブティックホテル”の名前を出す。いまでは、ブティックホテルなど聞きなれない言葉かもしれないが、ラブホテルにような華美さや猥雑さがなく、シティホテルのゴージャスさとラグジュアリーさを兼ね備えた“ラブホテル”のこと。現在もラブホテルの別称であるらしいが、当時の女性誌などにもお洒落なところとして、紹介もされていた。

私は利用したことはなかったが、一度、行ってみたいとは思っていた。その最初が彼女なら、今回もその誘いを断る理由がない。急いで、タクシーを拾う。多少、246は渋滞していたが、15分ほどで、到着する。

高台に建つ同所は、ヨーロッパのリゾートホテルのような外装で、まわりの風景に違和感を醸し出すことなく、ひっそりと佇む。過剰な淫靡さもないから入りやすい。室内も間違っても回転ベッドなどはなく、外国製のキングサイズのダブルベッドが悠然と置かれていた。室内装飾も品のいい壁紙に瀟洒なインテリアが囲む。バスルームには猫足のバスタブが設置されている。女性が憧れ、これなら入りたいと思うのもわかる。

私達は、シャワーを浴びる間もなく、抱き合い、唇を求めると、キングサイズ・ダブルのベッドにダイビングする。ここは、遊泳禁止区域ではない、自由に泳ぎまわっていい場所だ。服を勢いよく、脱ぎ捨てると、二人は夜の海を泳ぐ。彼女は、恥ずかしそうにはにかみながらもニンフォマニア=色情狂の面目躍如(!?)、言葉に違わぬ積極性と淫乱性で、私を翻弄していく。はにかんだ表情は悪戯っぽい微笑みを湛えつつ、さらに妖艶さが加わる。その眼差しは男を捉えて離さない。自ら快楽を貪ることで、自身の官能の指標が上がっていくようだ。時間が経つほど、大胆になっていく。大当たりである。とてつもないものを釣り上げてしまった。そこには単なる大人のエッチを超えたワンランク上のエッチがあった(笑)。まるで、三流の官能小説だが、リアル“フランス書院”か、リアル“マドンナメイト”か。事実は小説より奇なり。そういうものだ(So it goes!)と、思わず、我が敬愛するカート・ヴォネガットの決め台詞を呟きたくなるが、めくるめく展開は、さらにめくるめく――。