2012-06-08
第3回■キャッチ22
“未来の恋人”とは、まだ、出会えずにいた。オルフェではないが、振り返ることなく、愛するものの手を引いて、冥界から連れも出すことも、振り向いて冥界に落ちることもできずにいたのだ。
あの時、振り返ることさえなく、踵を返してしまった。私は、冥界に落ち、もうひとつの迷宮を彷徨うことになる。
現在、ボストン・レッドソックス、当時、西武ライオンズの松坂大輔投手。1999年4月21日の対ロッテ戦では黒木知宏と投げ合い、0対2で敗北したが、その試合後に「リベンジします」と宣言。その言葉通り、松坂は、4月27日の対ロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1対0で完封し、リベンジを果たす。松坂によって、「リベンジ」という言葉が一般に認知された。松阪は1999年の新語・流行語大賞の受賞者にも選ばれている。
つまり、リベンジという言葉が一般に浸透するまでにはあと10年ほど待たなくてはならないわけだが、その時から、私の中には既にリベンジへの思い、雪辱しなければという気持ちが湧き上がっていた。
我ながら立ち直りが早いというか、その失敗や後悔が私の心と身体に火をつけた。あの日から三日と空けず、リターンマッチを開始。気づけば、週に何日も、時には連日というテレクラ通いが始まった。当時の身分はフリーター、要は家の手伝いやアルバイトだから残業もなく、定時に仕事を終えると、自宅で夕食を食べてから新宿へ繰り出すというパターン。歌舞伎町にいるのは終電までだが、時には始発までということもある。テレクラに何時間も粘ることがある(当然、テレクラに粘るというのは理想的な状況ではない)。
鳴らない電話をとるワザ
リベンジの第一ラウンドは、電話との格闘だ。テレクラで早取りの店に行ったことがある方ならわかると思うが、本当に電話が取れず、話すことさえできないという経験をした方はたくさんいるはず。それは会話術や口説き術以前の問題だ。
ボックスにはいわゆる複数回線の電話、当時のオフィスなどで見かけたものと同タイプものが設置されている。複数回線といっても10回線もなかっただろう。もし、そんなに回線があれば10部屋ほどだから全員にコール(女性からの電話)が行き渡るというもの。電話が鳴ってから受話器を取ると、もうすでにコールは取られているのだ。ならばどうすればいいのか。なかなか、思いつかない。
そこは、調子のいい私のこと、しっかり(というか、ちゃっかり)とお店の人に助言を求めた。そうすると、受話器を耳にあてたままにして、受話器のフックを指先で押さえればいいという。
確かにベルが鳴ってから受話器を取るのと、雲泥の差。随分と敏速にコールを取ることができるのだ。
自慢話ではないが、風俗遊びをしている頃から、私は不思議と店のスタッフや女の子に好かれていた。特に容姿端麗の好男子、贅沢三昧の金満紳士でもないのに、他の客よりは扱いがはるかに良かったように思う。
錯覚かもしれないが、店員がいい子を付けてくれたり、女の子から店内でご馳走される(何故か、寿司を出前してくれた)など、破格の扱いを受けたことも。思い当たるとしたら、それは、いかにも客という態度を取らず、働いている人達に敬意と信愛を持って、接していたことだ。決して、横柄な口をきいたり、横暴な態度を取ったことはない。時には、店の女の子だけでなく、店員にもさりげなく、差し入れまでする。姑息な手段かもしれないが、環境を味方につけろ、だ。それが風俗店などで、より効率、かつ、有効に遊べる方法ではないだろうか。
そんなわけで、他の会員より先んじるわけだが、フックに指をかけるなど、勿論、誰もがやっていること。その技を磨くためには、さらなる修行をしなければならない。
ボックスへ入り、電話を前に、リクライニングチェアーに腰を下ろすが、指先をフックにかけるため、寝っころがるわけにはいかない。前のめりの姿勢をとる。まるで、私の人生か(そんなわけない!)。
耳をこらし、指先に神経を集中する。ベルが鳴り、フックを離すがそれでも取れない。先達はどこにでもいるものだ。“全てのことはもう一度行なわれてる。全ての土地はもう人が辿り着いてる”。かつて、かのムーンライダーズが歌ったように、「マニアの受難」である。そんな状況に焦りを覚えつつも、私の頭の中では、数年前に流行り、ラジオやテレビ(当時はMTV番組も結構、たくさんあった)で頻繁に流れていたFrankie Goes To Hollywood の「Relax”」が鳴り響く。フランキーも“リラックス!”といっているのだから、落ち着かなければ。
落ち着いたからといって、すぐに取れるものではないが、コールバック(一度、回線が繋がるものの、気に入らない相手だとフロントに戻されるコール)くらいは取れるようになる。いわゆる余りコールだから、当たり前。
もっとも、そのコールは、基本的にテレクラの客が相手にしないものだ。悪戯だけでなく、明らかにキャッチ・ガールという場合も多いからだ。
流石、欲望と陰謀が渦巻く街・歌舞伎町だ。遊びにも常に危険が付きまとう。犯罪の匂いが漂う。歌舞伎町ではキャッチ・ガールという、ほろ酔い気分で、すけべ心丸出しの男性を文字通りキャッチして、ビール1杯などで、法外な料金を請求する“ぼったくりバー”に引きずり込む行為が横行し、問題化もしていた。
勿論、情報通は、風俗情報誌などで、情報収集に余念がなく、傾向と対策を講じていた。その危険性を充分に理解し、一切、関わらないようにしなければならない。
キャッチ・ガールの口説き文句は、「もう少し飲みたいから、私の知っている店にいきませんか」というもの。通常は路上で、声をかけるが、カモを求めて、テレクラにもかけてくる。常連(!?)のキャッチ・ガールは2人いて、1人が40代の女性、もう一人が20代の女性だ。
大体、どこから掛けてるくるかもわかっていた。コマ劇場の前の電話ボックス。ある意味有名人なので、店員や客同士でも噂になり、情報も回る。
本来、風俗店で客同士の対面など、ばつが悪く、会話など弾むはずもない。ソープやヘルスなどでは、待合室で和やかな会話があるわけでもなく、下を向いて黙っているか、新聞や雑誌を見ているもの。
それを思えば、客同士の会話が成立するくらい、そのテレクラがある種の特別な“場所”だったということだろう。そんな仲間達との艶笑喜劇のようなエピソードは、またの機会に譲らせていただく。
彼女達が出没するのが午後10時から11時くらい。1軒目でほろ酔いになり、2軒目、3軒目を探し、ふらふらしている男性をカモにするのだから、そのくらいの時間がいいのだ。終電間際だと、最終電車に乗るために、酔客とはいえ、足早に駅を目指し、声をかけても立ち止まらない。私は勝手に、“キャッチ22”といっていた。勿論、かのクレイジーでコミカルな反戦映画にちなんでいる。
キャッチ・ガールとの危険なカニデート
そのキャッチ・ガールだが、前述通り、テレクラだけでなく、路上でも酔客に手当たり次第に声をかけている。彼女達は街の有名人。歌舞伎町を根城に遊んでいれば、幾度となく、見かけることになる。
その20代の女性は、意外と美形で、自称・女子大生。歌舞伎町には似つかわしくないハマトラ風の出で立ちで、キャバクラ嬢みたいに華美でないだけに、まさか、キャッチとは感じさせない、女子大生という言葉にもなんとなくリアリティーがある。
何故、そんなに詳しいかというと、デート(!?)をしたからだ。虎穴に入らずんば、虎児を得ずではないが、例え、キャッチ・ガールでもテレクラで女性と会うという経験を、まず積む必要があった。どんな女性であれ、電話を介して会うという経験がやがて、次の展開に繋がると考えていたのだ。勿論、あわよくばという下心もあった。そういう意味では、なんと求道的なこと。放漫経営が原因の保証人騒動で学生仲間と作った会社を親に強制終了させられ、それ以来、熱くなるものがなかった当時の私にとって、初めて熱くなれたものかもしれない。
それに、芸能人や事件などに体当たりで突撃するワイドショーのリポーターように、まずは当たって砕けろ、だ。そんな心意気と前向きさで、この危険な賭け(!)に挑んだ。
彼女との短い会話(この手の女性は長いこと話して、カモを選り分けるなどという面倒なことをしない)を交わすと、アポを取り付ける。待ち合わせはコマ劇場の前。すぐ次に移れるように、お互いにとって、ロスの少ないところで、場所を決める。
流石、その女性の知っている店へ直接行くのは怖いので、テレクラの面した通りにあるカニ料理の店へ行くことにした。まずは偵察、内偵を入れる。そうだ、俺はテレクラ探偵だ(笑)。その女性(名前は聞いたと思うが、全然、思い出せない)は、遠慮もなしにというか、おかまいもなしに、どんどんと料理や飲み物を注文していく。この辺の感覚、バブル景気に華やかなりし頃のアッシー、メッシー、ミツグクン(男を運転手代わりに送迎させたり、財布代わりに食べたり、買い物をしたりする)にも通じるものがある。そんな言葉が世に流布されるのは89年だから、既に言葉以前に、そんな土壌が出来つつあった。
蟹しゃぶや焼き蟹、蟹の天ぷら、カニ寿司など、まさに蟹のフルコース、蟹三昧である。何を話したか、いまとなっては覚えてはいないが、学校のことやファッションのこと、趣味のことなど、他愛もない話をしたと思う。ちゃんと、事情聴取するつもりが、その食いっぷりに、あっけにとられ、食べる姿を見つめるばかりというところか。
そして、食事を終えると、ついにきた、「私の知っている店に行きましょう」という決まり文句。危険な世界の扉が開く魔法の呪文である。
実は、その女性が連れ込む店はわかっていた。彼女が男性を連れ込む光景を何度も見ている。その店は、同じく、テレクラのある通りのどんづまり、寿司屋の前にあるスナックのような店。小さなビルの1階にあり、通りに面している。決して、路地裏で、迷路のように入り組んだところにあるわけではなく、むしろ、通りに面しているから入りやすく、逆にいえば出やすい。同時に鉄の門扉ではなく、ガラス戸である。
最悪、ビール一杯で、有無をいわせず出てしまえばいい。いまにして思えば、向こう見ずというか、危険な賭けをよく平気でやったものだ。
その女性と、曰くある店に入る。中は場末のスナックという感じで、パーマ頭の中年の女性がママをしている。当然のごとく、キャッチ・ガールとママはぐるだから、ものすごく仲がいい。軽く耳打ちをしているところを見逃さない。どのように身ぐるみを剥ぐかを算段しているかのようである。
ここは、まずビールにする。勿論、まずだけで、次は頼まない。その女性からの追加注文も受け付けない。店内を見回しても誰か隠れるようなスペースはなく、何かあれば、外からその筋の方が駆けつけるのだろう。
とりあえず、女性2人だけだから、逃げ時さえ、間違わなければ大過はないと、心づもりをする。ビールを飲み干すと、店を出ることをきっぱりと告げる。ママはあっけにとられたみたいだが、会計はしっかりと5000円だった。ビール1本が5000円。間違いなく、ぼったくり。予想したことだ。顔色を変えることなく、5000円を払い、店を後にする。ドア越しにケチ! という罵声が飛んでくる。
今考えてみれば、ビールに睡眠薬などが入っていなくてよかった。後年、ぼったくりは悪質化、凶暴化し、アルコールに睡眠薬を混入させ、酔いつぶれているうちに財布から現金やカードを抜きとるという行為も横行した。なかには昏睡状態のまま、寒い冬空に放置され、そのまま凍死してしまうという事件も起きた。
まだ、新宿・歌舞伎町が歌舞伎町らしい時代だ。街が浄化されると、環境がよくなるかもしれないが、しかし、そうすると無くすものも多くなる。その時、まだ、歌舞伎町は様々な欲望と希望と混沌と喧騒…を抱え、金環食のような繁栄を極めようとしていた。
私の修行時代は、さらに、続く。駆け引きと思惑だらけの街で、ファム・ファタールと、出会うことはできるのか――。