2005-03-22

植草一秀先生と映画評『Ray』……レイ・チャールズの生涯……

 明日(23日)、植草一秀先生の判決が言い渡されるそうですね。

 植草先生とは大学の研究棟が一緒だったため、よくエレベーターで一緒になりましたし、大学付近で一人、歩いているところをしばし、見かけました。

 早稲田大学は植草先生を免職してしまいましたが、有罪判決が出る前に、職を追っていいんでしょうかね。もし、無罪判決が出たら、復職させるんでしょうか。せめて、法学部を有する大学なのですから、推定無罪の原則を尊重して、「休職」扱いすべきだったのではないか……と思っています。

 冤罪事件の被害者である知人は、

「ありゃ、竹中平蔵の刺客にやられたんだよ」

 という陰謀論をぶちあげていました。とある警察ジャーナリストは

「植草さんが実際に、手鏡で以て、女子高校生のスカートを覗いたかどうかは分からない。ただ、捜査員がはじめから植草氏を狙っていたことは間違いないだろう」

 といっていました。判決に注目!であります。

 閑話休題。

 今年に入ってから、ノンフィクション的な映画を三本みた。
 『アレキサンダー』、ディカプリオ主演の『Aviator』、そしてレイ・チャールズの一生を描いた『Ray』だ。

 三作とも偶像破壊的な逸話も紹介している。アレキサンダーでいえば、主人公の同性愛指向についても踏み込み、『Aviator』であれば主人公の派手な女性遍歴を描き、『Ray』ではレイのヘロイン中毒ぶり、女性との不倫関係を如実に描写している。レイの女性への溺れを見ていると、「女好き」の沖縄ミュージシャンの姿と、重なった。

 不思議なことに三作ともなぜか、主人公の「幼少時代のトラウマ」が作品のキーの一つになっている。アレキサンダーであれば実父にいたぶられる母の姿、Aviatorでは母との関係、レイでは実の弟を見殺しにしてしまった体験が繰り返し、取り上げられる。レイでは、話の最初から最後まで、トラウマ体験から自由になれない主人公の苦悩が扱われる。

 同じモチーフが安易に遣われるのは、作り手の安易さ、想像力の貧しさを表しているのではないか。史実に基づき、ディテールを鋭く描き、主演男優がいずれも秀逸であるだけに、人間理解の浅さが目立ってしまう。

 とまあ、『Ray』にいくばくかの不満を覚えはしたが、満足できた。主人公の歌っている姿はまるでレイ本人のようで、感動的だった。レイの独特の話し方、歩き方、歌い方が愛くるしく思えた。

このエントリへの反応

  1. 植草氏の会社のHPができたようなのでリンクさせていただきます。
    『スリーネーションズリサーチ株式会社』のHPにリンクさせていただきます。
    http://www.uekusa-tri.co.jp/

    裁判の弁論要旨等のHP↓
    http://www.geocities.jp/yuutama_1/からもリンクを貼りました。

  2. C’est le nouveau site non officiel!

    http://uekusajiken.ganriki.net/

  3. C’est le BBS d’Uekusajiken.

    http://9123.teacup.com/uekusajiken/bbs