2005-12-07

自爆暴動

暴動に参加した若者を容赦なく獄にぶち込む政策をニコラ=サルコジ内相は断行している。外国籍の若者であれば問答無用で祖国へ強制送還している。

12月6日、映画を見終わってから22:05頃レアール駅構内に行くと、警官二人に壁際に立たされた黒人の若者が口論している。高圧的に身分証明書を見せろ、持ち物検査をさせろ、という警官の要求に激しく抗っていた。電車に乗り遅れては、という思いがあり、最後までその口論を見ることはできなかった。他の人々は目をやることもなく通り過ぎていく。このような光景はあまりにも日常茶飯事だからだろう。しかし、日常的に警官が若者を捕まえてはハラスメントしていくことは問題なのではなかろうか。わたしは時間が許す限りその都度とまり、会話に耳を傾ける。

シラク大統領は暴徒もふくめて「共和国の子ども達」と表現した。ダニエル=ミッテラン前大統領夫人に取材したときも、何度も「子ども達」という表現をつかった。暴力・暴動によってしか自己表現できない教育水準の低い若者はたしかに「ゴロツキ」に見えるかも知れない。しかし、なぜ「ゴロツキ」が特定の地域・特定の年齢層で発生したのか。ひとえにいえば、都市政策・移民政策の失敗、すなわち政治の機能不全が原因だ。暴動を発生させた歴史的・社会的背景を抜きにして、さもゴロツキが突然出現したかのようにいい、「社会のクズ」と罵るニコラ=サルコジ内相は歴史的健忘症といえよう。

先週土曜日の取材で、サルコジ内相のまさに眼前に私は立ったとき、その小身が気にかかった。おそらく165cmもないのではないか。だからどうだ、ということではないのだが。

このたびの暴動を名付けるならば、「自爆暴動」とでもいおうか。なぜならば彼らは自らが住む町を壊すのみだったからだ。シャンゼリーゼ通りに大挙して、富の象徴とも癒えよう新装開店したばかりのルイヴィトン本店に乗り込み、ガソリンをまき散らし放火する……ということをすることもなく、ただただ自らが住む町の建物・車を破壊し続けた。

これは何を意味するのか。

けっきょくのところ、彼らの行動範囲の狭さを示している。
暴動に参加した人は自分の縄張りのみで暴れることができる、そういう人たちだった。
自らが暮らす町のインフラを破壊する行為は「自爆」としかいいようがなかろう。

この暴動を「叛乱」として、政治的意味を付与しようとする人もいるが、政治的意図は「サルコジ討伐」といったこと以外にはない。