2007-09-15

【人物ルポ】 情熱的に生きる同性愛者のパリ市長

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インターネット新聞・JANJAN』に【 情熱的に生きる同性愛者のパリ市長 】という記事を書きましたので転載します。

【本文】

 2001年3月、フランスの歴史に深く刻まれる事件が起きた。

 パリ市長選挙で、社会党の政治家であるベルトラン=ドラノエ氏が保守系のジャン=ティベリ市長を破り、市長の座を手にしたのだ。ジャック=シラク前大統領が大統領になる前の1977年から95年までの間、パリ市長をつとめ、首相と兼任する時期があったことからも分かるように、フランスの首都であるパリ市において市長の席は常に右派が制してきて、左派系市長の誕生は画期的な出来事だった。

 ドラノエ氏当選が歴史的な瞬間だった理由は、もう一つある。ドラノエ氏はフランスの中央政界で初めて、自らが「ゲイ(男性同性愛者)である」とカミング・アウトした政治家なのだ。地方政界においては、1971年からフランス南西部の都市ポーの市長を2006年5月に永眠するまで務めたアンドル=ラバルル氏が、ドラノエ市長がカミング・アウトする1年前の1997年、自らがゲイであることを宣言していた。

 ドラノエ氏はフランス史上、初めての左派系パリ市長であると同時に、はじめてゲイを宣言した市長でもあるのだ。

 ノートルダム大聖堂からセーヌ川右岸に向かって橋を渡ったところにパリ市庁舎はある。

 ルネッサンス様式の荘厳な市庁舎は、初めて見る者を圧倒する。市長選挙投票日の夜、パリ最大のゲイ・タウンであるマレ地区から歩いて5分ほどにある市庁舎前は、選挙結果を待つ多くのゲイ&レズビアンであふれていた。その数は1000人を超えていた。

 ドラノエ氏当選の報が届けられたとき、広場は歓喜とともに戸惑いの雰囲気で包まれた。そのうち、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の象徴であるレインボー・フラッグが高らかに掲げられ、会場には同性愛者が好んで歌う曲『I Will Survive』がかけられ、ゲイとレズビアンはそれに合わせて、踊りに興じた。

 フランスのゲイサイト『Gay. com』の編集者・オリヴィエ=モノ氏は、そのときの空気をこう要約する。

「会場にいたゲイやレズビアンの中には、(選挙結果を)なかなか信じられず、我が耳を疑う人たちもいました。その日の夜は、それまで体験したことのない雰囲気に包まれていましたね」

テレビ番組でのカミング・アウト

 パリ市長、ベルトラン=ドラノエ氏とはいかなる経歴の持ち主か。

 1950年5月30日、チュニジアの首都チュニスで生まれたドラノエ氏は、幼少時をチュニジア北部にある人口約9万人の都市・ビゼルテで過ごす。彼が思春期を迎えた頃に、フランス人の家族と共にフランスへ移住する。彼が政治の世界に入ったのは23歳の時で、アヴェロン県にある社会党の事務所で事務員として働きはじめた。1977年にはパリ市議会議員に選ばれ、81年には社会党本部の広報官になり、93年にはパリ社会党の代表になった。1995年には、上院議員に選出され国政入りし、上院外交国防委員会に配属される。上院議員とパリ市議を兼務したドラノエ氏はパリ市議会の野党・代表を1995年から2001年まで務める。

 ドラノエ氏は上院議員だった1998年11月22日、民間のテレビ局「M6」の報道番組『立ち入り禁止地帯』に出演した。その当時、異性カップルのみならず同性カップルの権利も保障する準結婚制度・パクス(PACS)が論争の火中にあり、ドラノエ氏は賛成の立場からの出演だった。
インタビュアーから「ドラノエさん、 あなたは異性愛者なのですか、同性愛者なのですか」と質問された。

 ドラノエ氏はキッパリ応えた。「そうです、私は同性愛者です。今日(この場で)、行っている議論の重大さを私は承知しています。しかし、私はもう48歳です。自分の信念を持って生きなければならない」「私が同性愛者であることなど、フランスの市民は気にしないで欲しいと思います」といった。 
 
 さらに、ドラノエ氏はこう言い切った。 
 
 「自分のキャリアなど、私にとっては最も重要なことではない」 
 
 この告白よって自らの政治的生命が絶たれる危険性を覚悟した上での勇気ある発言だった。しかし、ドラノエ氏の発言は好意的に受けとめられ、2001年3月には現職市長を破ってパリ市長に当選する。

パリ市長の自叙伝が出版

_12_0144.jpg そんな異色のパリ市長ベルトラン=ドラノエ氏の著書『リベルテに生きる パリ市長ドラノエ自叙伝』がポット出版から今年の6月末に出版された。

 『リベルテに生きる』は邦訳通り自叙伝であると同時に、平和やテロ、貧困、格差、自由、人権、平等、友愛、連帯、芸術、民主主義、都市、グローバリズム……といったテーマに関する同氏の哲学が披露されている思想書だ。

 ドラノエ市長の体内で燃えたぎっている精神……、それは「自由だ」。ドラノエ氏の思想は次の一文に集約されている。

「すべての人権の中で、最も大切なのは自由だ。文明化された人間の根底には、意志、生活、交際、好み、教育、呼吸、娯楽、その他の至上命令のために、自由を犠牲にしなくてはならないという考えを認めることは、私にはできない。そうした類いの論理は共産主義体制の正当化に使われた。その結果、共産自分が何者としてどう生きるのかを自ら決める、完全無欠の侵し得ない権利が主義体制には、デモクラシーも正義もなかったのである。
 自由は個人の権利の中で最大のものであり、他のすべての権利の前提条件である。たとえばもし、個人に与えられていることをまず先に認めなければ、どうやって差別―――民族、宗教、性別、アイデンティティに由来する―――を撲滅することなど出来るだろうか。個人の生活にも、集団生活にも、自由ほど神聖なものは他にない。」

 ドラノエ氏は政治家として一貫して、反ユダヤ主義、イスラム教徒への差別、同性愛者への差別、性差別と闘ってきた。性差別を例に挙げよう。パリ市長に就いてからドラノエ氏は同市の男女比を勘案して、33人いる助役のうち女性を18名、男性を15名にした。さらに、パリ市役所においてあらゆる男女差別を撤廃した。受付や秘書を女性にだけやらせるということはなくなり、女性が要職に就くようになった。パリの21ある部局のうち、部局長は女性が11名、男性が10名になった。

 「女性であるから」「イスラム教徒だから」「ユダヤ教徒だから」「同性愛者であるから」という理由で個人が不利益を被って生きることは、「自由に生きられない」状況である。だから、あらゆる差別の根絶をドラノエ氏は目指す。先天的な理由で個人が差別されて生きているとしたら、彼/彼女は「自由」を享受していないのである。

 自由、平等、友愛がフランス第五共和制の国是である。「第五共和制の支持者」と語るドラノエ氏の胸中には次のような考えがあるだろう。

 「個人が自由に生きるためには人々が平等でなければならない。そして、困った時には友愛の精神の下、相互で助け合う。これこそが美しいフランスの姿だ。」

 自由を愛するドラノエ氏の著作は「生きる情熱」であふれ、時に熱情的に、時に落ち着いて自由の素晴らしさを讃える。一読をオススメしたい書物である。

このエントリへの反応

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