2007-08-27
仏・極右政党トップが6年前に吐いた正論(下) 9.11テロを絶対視したが故の禍根
『オーマイニュース』に次のような記事を執筆しましたので、転載いたします。
主題:仏・極右政党トップが6年前に吐いた正論(下)
副題:9.11テロを絶対視したが故の禍根
【本文】
フランスの極右政党「国民戦線」のイラク戦争反対論を「上」に続いて考察したい。
「反省すべきはアメリカだ」
仏・極右政党トップが6年前に吐いた正論(上)で紹介した9.11テロが起きた2週間後の演説の中盤で、ジャンマリー・ルペン「国民戦線」党首はボルテージをあげ、「反省すべきは米国である」と喝破した。ルペン氏は次のように言う。
「ニューヨーク、ワシントンテロによって、世界に生じ、世界中のメディアによって組織化された感情のうねりや、共犯者として見なす(或いは罰する)という米国の恫喝のもとに外国諸政府が発した声明は、征服された人々、貧困に喘ぐ人々、小国の不幸と紛争を生じさせた世界の無関心と比較した場合、大げさすぎるといえるであろう。
衝撃的な心情の中で、自らが理解不能な攻撃の被害者であるとアメリカ国民は心から信じているように思える。しかしながら、災難の中とはいえ、アメリカ国民は政府に対して自己批判を求め、責任の一端があることを認めるよう迫らなければならないと私は考えている。
というのは、アメリカが世界にもたらした覇権的政治によって、ひどい苦しみ・巨大な不正が引き起こされ、尽きることのない恨み・憎しみが生みだされたているからだ。そのことを米国民は知らなければならない」
「米国の悲劇を絶対視してはならない」
米国民に反省を促すルペン党首は、「米国の悲劇を絶対視してはならない」と続ける。
「アメリカが悲劇的な状況下にあるとはいえ、彼/彼女らの涙によって、我々は目をくらまされてはならない。なるほど哀しみ、喪に服す時期もあろう。フランスは同盟国の不幸、被害者の苦しみ、遺族の心痛に同情しなければなるまい。かといって、アメリカ合衆国によって提唱された報復の政治というものに無条件に同調するわけにはいかない。
アメリカは大きな国だ。欧州諸国の臆病や責任放棄の故に世界の至るところで介入しているとはいえ、自らのルールを世界に課す力を持ちうる(ないし、世界に課そうと思っている)超大国である。まるで、ジョージ・オーウェルが描いた『ビッグブラザー』のように振る舞っている。責任の範囲と能力の限界を見誤っている。
10年にもわたるイラクにおける米国の経済封鎖によって、貧困や治療の欠如が原因で100万人の子どもたちが死ぬという災害がもたらされた。その数では、世界貿易センタービルの犠牲者の200倍にあたる。惨劇と呼ぶに相応しいニューヨークの哀れみは、しかし、絶対視されてはならない。非人間的な不正の政治を、再考することに心を傾けることも同様にしなければならない」
この演説を読み、これが極右のいうことかと驚かれる方が多いかもしれない。が、これがルペン党首、国民戦線の一貫している主義主張なのだ。
9.11テロを絶対視しないルペン氏と国民戦線は、イラク戦争の開戦に際して、極めて冷静な対応を取った。アメリカに開戦の不条理を訴え、欧州議会や国内集会で開戦に反対する意志を明確に示した。
2005年11月、私はパリ西郊外にある豪邸でルペン党首にインタビューする機会を得た。その際に、改めてなぜ、イラク戦争に反対したのかを尋ねた。以下はそのやりとりである。
「イラクはフランスの古くからの友人」
────イラク戦争についてお尋ねします。これまでの経過から見て、あなたの立場はとても明確です。湾岸戦争、イラク戦争ともに反対し、米国の侵略戦争として弾劾されている。この点でも日本の保守・右翼勢力とは全く違います。国連を中心とした世界平和の秩序を守る立場なのか、それとも別の立場からこの戦争と占領を弾劾されたのでしょうか?
ルペン イラクはフランスの古くからの友人です。我々の所有しない資源(原油)を我が国に供給し、彼らの所有しないもの(特に軍備)を我々が彼らに供給してきました。とりわけ、シラク現大統領が、かつて若手政治家としてイラクとの通商に熱心だったのです。
そこから、『CHIRACとはCH-IRAQ』と呼ばれていました。それはともかく、イラクを巡る紛争については、国連の諸規則・諸条約に沿って解決すべきだというのが私の立場です。この紛争は、地域的レベルで解決されなければならない、従って、私は、はじめから大国の外部からの介入に反対でした。それで、米国の介入に反対したのです。
イラク戦争に怒りを覚えるとともに、湾岸戦争以後つづけられた、とりわけイラクの乳幼児の死亡率を飛躍的に高めた、殺人的な経済封鎖措置に対しても強烈な怒りを感じています。この経済封鎖は、人道に対する犯罪だと我々は考え、その中で医薬品や救急車などをイラクに届けるため、『SOS イラクの子どもたち』というNGOを発足させたのです。
私が初めてイラクへ行ったのは、湾岸戦争の時でして、イラクで人質となったフランス人たちを救出する為でした。フランス政府は妨害しましたが、ともかく現地に赴き60名以上のヨーロッパ人の解放に成功しました。
その時、サダム=フセイン大頭領(当時)は、救出された人々を欧州に輸送する、ストラスブール行きの航空機を用意してくれました。ストラスブール到着と同時に、フランス政府は航空機をスイスのバーゼルに向かわせ、そこで我々は、どういうわけか、完全武装の機動隊と警察犬によって迎えられたのです」
「イラクは政教分離した現代的な国だった」
────サダム=フセイン大頭領(当時)とは友人関係だったのですか?
ルペン 彼とは、2、3回会っただけですが、一定の評価はしています。西側諸国の権益を、擁護する数回の戦争にもかかわらず発展過程にあり、政教分離を達成していた現代的なイラクは、現在そうした面影もなく大混乱に直面しています。民族、宗教間の均衡をとるのが難しいこの国で、イスラム少数派(スンニー派)が支配してきたのが現実です。
もし、世界がこの国の民主主義を尊重するというのであれば、国民の99.9パーセントは、反米だということ、同国ではシーア派が多数を占め、シーア派はイランの圧倒的多数を占める宗教だという事実に留意する必要がありましょう。
しかし、イラクで行われている『民主主義』によって現実にテロと死を生産しているのに、それでもあなたは、その民主主義を擁護しますか。それがイラクの伝統を無視した欧米の民主主義の名のもとに同国で起きている現実なのです。欧米民主主義は、イラクの伝統とは乖離しています。イラクには、自らの政府について独自の伝統があり、それをもって彼らが、我々以上に間抜けだとはいえません。もし彼ら自身のやり方があるとすれば、そのやり方が、彼らの必要性に応えるものであるといえるのではないでしょうか。
イラクには、シーア派、スンニー派、それとクルド族の対立があります。この国を統治する(賢明な)やり方は、少数派による統治しかないのです。多数派(シーア派)による統治は、どうしても少数派を押し潰してしまうからです。しかも、そうなればテヘランとバクダッドの枢軸ができてしまい、それは欧米諸国も望んでいることではありません。
米国は、政教分離のイラクを解体し、イラン、シリアの解体も狙っています。既に米国は、バルカン半島の2つのイスラム国家を我々(欧州)に押し付け、今、もう1つのイスラム国家トルコのEU加盟を画策しています。これらは、米国の政策であって、フランスの政策でもEUの政策でもないのです。米国が、彼らの国益に基づく地政学的な戦略を構想するのは彼らの勝手だが、彼らの構想と行動は、我々の国益と両立しないばかりか、その反対物です。
────そうすると、あなたは米国の一極主義的な世界戦略を認めず、多極的な世界を構想しているのですか?
ルペン もちろんです。彼らの世界構想が優れていることを証明できないのだから、米国が一方的に支配する世界ではなく、何らかの均衡の取れた世界を構築しなければならないのです。米国は、アラブ世界と何をやっているのか?
米国はアラブ諸国へのツケを我々に支払わせ、米国はその分をイスラエル支援に充て、アラブ諸国には外交的、政治的埋め合わせを行っているに過ぎないのです。私は、これが世界の平和的均衡に妥当するものとは思いません。
イラク後の混乱を予測した!
ルペン氏は、2005年11月のインタビューで、開戦後のイラクの混乱を口にした。しかし、これは起きてから云ったのではなく、開戦前から「フセイン後のイラクは、崩壊状態になるであろう」と予測していた。
極右=民族主義=反米主義ゆえに、米国主導のイラク戦争から距離を置く見識を持ち合わせていたのである。
米国との同盟関係を最優先し、イラク戦争に突入していった英国と、いち早くその戦争を、明確に支持した日本。ジョージ=ブッシュ米大統領、英国のトニー=ブレア前首相、日本の小泉純一郎前首相は、後世で、戦争犯罪人として記憶されるだろう。彼らのメッキは、すでに剥がれている。
写真脚注:自邸でインタビューに応じるジャンマリー=ルペン「国民戦線」党首(2005年11月、パリ郊外で、及川健二・撮影)