2006-11-24
イラクと国民戦線
湾岸戦争後、米英両国を中心にして行われた経済封鎖によってイラクでは医療品が不足し、乳幼児が150万人死んだ。フランスの極右政党・国民戦線はこれを「テロ」だと非難し、イラクの子ども達を救うためにNGO『イラクの子ども SOS』を結成し、ジャンマリー=ルペン党首のワイフ・ジャニーさんが代表に就いた。
国民戦線の立場は一貫している。湾岸戦争にもイラク戦争にも猛反対した。湾岸戦争のときはルペン党首がイラクに乗り込み、フセイン大統領と面会し、ヨーロッパの人質解放を実現させた。イラク戦争のときは、戦争開始後、「がんばれ!イラク」というキャンペーンをはった。
『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』(花伝社)では、『国民戦線』のジャンマリー=ルペン党首、同党ナンバー2のゴルニッシュ全国代理にインタビューした。イラク戦争についても多くをかたってもらった。
国民戦線は、フセイン政権は独裁体制とはいえ、イラクを統治する上ではやむをえない……という立場だった。なるほど、フセイン大統領はときに自国民を虐殺しさえもした。しかし、フセインによって殺された数を遙かに上回るイラク人が湾岸戦争・イラク戦争・内戦で死んでいっている。
ゴルニッシュ氏は今年の2月、私がインタビューしたときに、こう云った。
「私たちのイラク戦争反対論が間違っていたという人はいまいないでしょう」
*:写真はゴルニッシュ氏。オイカワが撮影。