2007-05-12
「政治を変えたい」が出馬の動機 激戦の東京でチャレンジする川田さん
『日刊ベリタ』に【「政治を変えたい」が出馬の動機 激戦の東京でチャレンジする川田さん】というタイトルの記事を執筆しましたので転載します。
【リード】
今夏の参議院選挙に川田龍平さんが出馬を表明したのは、31回目の誕生日にあたる2007年1月12日のことだった。定員5人の東京選挙区から無所属で出馬すると宣言した。「正直、ここまで生きられるとは思っていませんでした」。出馬の記者会見で龍平さんはそう呟いた。
【本文】
川田さんは生後6カ月で血友病と診断され、治療のための輸入血液製剤投与で10歳の時にHIVに感染した。HIV/AIDS治療が確立していなかった当時は、HIVに感染すれば約10年で死亡するといわれていた。長く生きられたとしても20歳ぐらいまで...と川田さんは医師から冷たく宣告された。感染を告げられたときは、31歳まで生きられると思いもしなかっただろう。
▽ 菅厚相の英断で決着した薬害エイズ
川田さんが国と製薬会社の責任を問う薬害HIV訴訟の原告になったのは1993年のことだ。95年に19歳だった龍平さんは記者会見を開き、公の場で実名を公表した。20歳にもならない若き感染者の告白をメディアは一斉に報じた。
それ以後、龍平さんはメディアに積極的に出て、薬害エイズの理不尽さを訴え、世論を喚起した。村山富市首相の辞任に伴い1996年1月11日に首相に就いた橋本龍太郎内閣で、「新党さきがけ」(当時)所属の菅直人氏が厚生大臣に就いた。
就任するなり菅氏は厚生省の犯した過ちの徹底的調査を役人に厳命し、厚生省の対応に落ち度があったことを立証した。菅氏は国の責任を認めて謝罪し、原告の実質勝訴という形で和解が成立した。菅氏の側近は当時を振り返る。
「菅さんはそれまでの厚相がなぜ、役人に唯々諾々と従い、薬害エイズを究明できなかったのか独自に調べ上げ、「同じ轍は踏むまい」として厚相に就いた。
「橋本首相にあらかじめ、『徹底的に真相究明しますよ。それでもいいんですか』と確認しました。厚生族といわれていた橋本さんが『ご自由になさってけっこうです』といい、菅さんの行動を黙認しました。橋本さんからお墨付きを得た菅さんは厚生省の役人を上手く使い、『存在しない』といわれていた会議録を発見させ、国の責任を立証した。当時は菅さんの英断ばかりが持ち上げられましたが、首相が全てを任せたてくれたから、真相が究明できました。橋本さんの判断も評価されてしかるべきでしょう」
▽ドイツに2年留学後、松本大の講師へ
和解後、龍平さんは大学生活に戻った。人生の大きな区切りがついたことで、日本から離れたいという気持ちが湧いてきた。母から了解され、ドイツに飛び、2年間、留学生活を過ごす。友人の1人は「遠い異国の地で学生生活を満喫でき、思う存分楽しんだようです」という。
突然帰国することになったのは2000年秋のことだ。
「民主党」衆院議員の秘書給与詐称による辞職に伴い実施される補欠選挙に、母親の川田悦子さんが無所属で突如、出馬することになったのだ。龍平さんは日本に戻り選挙運動を手伝い、悦子さんは無事、当選した。母親の議員活動を支えるために、龍平さんは日本での生活を再開した。
しかし、2003年11月の総選挙で「2大政党ブーム」が起き、悦子さんは落選し、議員の職を失った。
2003年4月から務めていた長野県の松本大学・非常勤講師の仕事に専念するため、龍平さんは2004年春、松本市に引っ越した。講演するため時折、長野を離れる以外、龍平さんは松本にとどまった。政治活動はたまに人前で講演し、ホームページでメッセージを発信し、個人通信を発行するぐらいで、大学生を教育することに没頭し、政界と縁がなくなった。
▽参院選出馬の真意
周囲の証言によれば、昨秋から龍平さんは参院選への出馬を考えるようになったという。10年以上付き合いがある田中康夫「新党日本」党首と昨年10月22日夜、都内の中華料理店で2人だけで会食した。同党関係者によれば、田中氏は龍平さんに「新党日本から比例で参院選に出てみないか」と打診した。「出馬を考えているが、決心がついていない」と理由から龍平さんは依頼を断った。
では、いつ出馬の意志は固まったのか。関係者は「12月下旬」だと証言する。昨年末に同世代の知人が10人ほど集まり龍平さんを囲み都心で忘年会を行った。参加者の1人は、「龍平さんがおもむろに立ち上がり、『まず内緒だけど、参院選に東京選挙区から出馬する』と宣言しました。寝耳に水だったので、みんな、驚きましたよ」と証言する。
川田悦子さんの元秘書は、「無所属で選挙を戦う大変さも、政党に属さずに国会で活動することの大変さも、悦子さんの間近にいて、龍平さんは重々承知しているはず。それでも、出馬するというのですから、よほどの覚悟があるのでしょう」と語る。
困難を承知で何故、無所属で参院選に出ると決心したのか。知人の1人が心情を代弁する。
「『薬害エイズがあったのに、政治家、官僚、企業、学者・医者たちの癒着は続き、命や人権よりもお金や企業利益が優先される政治が続いている』と常に政治への不満を口にしていました。『何とかして政治を変えたい』という日ごろからの思いが出馬に至った根底にあります」
無所属にこだわるのは、次の理由からだという。
「護憲派の龍平さんは当然、改憲派の民主党をよく思っていません。共産党や社民党のことは、一定の評価をしています。しかし、政党に入れば議員個人の考えより『党』組織が優先され、個人の意志で自由に発言できないし活動できない現実を龍平さんはみてきた。『個人の良心』より『組織の利益』を優先する『組織人』になることに強いアレルギーを持っています。だから、政党に入りたがらない」
▽各党総力の大激戦
出馬会見で龍平さんは動機について、「いま、何もしないで、あきらめてしまうのではなく、最後まであきらめないで生きていきたいと思います。薬害エイズのときもそうでした。『どうせ、何をしたって無駄だ』とあきらめるのではなく、周りの人達と一緒になって取り組んできたことが、1人ひとりを動かし、その1人ひとりが行動したことが画期的な裁判の和解へとつながったのです」と説明。「いのち」「人権」「平和」の擁護を前面に訴えると強調した。
多くの市民が良心から立ち上がり、世論が沸騰したことで解決した薬害エイズの時のような盛り上がりを龍平さんは期待する。しかし、当選のハードルは低くはない。
全政党が東京を重要な選挙区の1つと位置づける。これまでに立候補を表明しているのは、自民党の保坂三蔵・参院議員、民主党の鈴木寛・参院議員、同党新人の大河原雅子・前都議、公明党の山口那津男・参院議員、日本共産党の新人・田村智子氏、社民党の新人・杉浦ひとみ氏だ。それにくわえ、自民党が「無党派層の票をとれる」有名人を2人目の候補として擁立する方針で、国民新党も候補擁立の方向で調整を進め、小林興起・前衆院議員の名前が上がる。著名人が無所属で「電撃出馬」する可能性も否定できない。各党・各候補が支持拡大を図り懸命に運動し、すでに本番さながらの様相を呈している。
当選ラインは「60万票」といわれる。今春の都知事選(投票率54・35%)では建築家の黒川紀章氏が15万9126票、発明家のドクター中松氏が8万5946票、タレントの桜金造氏が6万9526票を得るに留まった。
著名人にとっても60万というボーダーは決して低くはない。日本共産党が全力を挙げて支援した吉田万三氏が62万9549票を獲得し、わずかにボーダーを上回った。2004年の参院選東京選挙区で5位につけた青島幸男・前知事でも得票数は59万6272票だ。
▽メディア戦略が勝敗を決する
参院選の勝敗を決すると見られるのが、投票率と無党派層という2つの要因だ。今年は12年に1度の統一地方選挙と参院選が重なる年だ。前回の1995年は都知事選で青島幸男氏が、大阪府知事選で横山ノック氏が政党候補を敗って当選した年で、無党派の票を得るために参院選には著名人が大量に立候補した。しかし、投票率が史上最低の44・5%と低く、無党派狙いの候補はのきなみ落選した。有権者の選挙疲れによる低投票率という事態は今夏の参院選でもありうる。その場合、組織力で野党を大きく上回る与党の圧勝が予想され、組織のない無所属候補が当選する目はない。
ただ、高投票率が野党や無所属候補を利するとは必ずしもいえない。67・51%という高い投票率だった2005年衆院選のように、与党が無党派層を上手く取り込めば、野党は負ける。
2004年参院選では与党は惨敗した。だが、民主党の一人勝ちで、他の野党や無所属候補の票は伸びなかった。
川田龍平さんが当選するには、投票率が上がり、民主党よりも無党派層の票を多く取り込まなければならない。知名度で他候補を勝るとはいえ、厳しい戦いが予想される。同陣営の選対で働く区議は次のようにいう。
「薬害エイズから12年経ちました。頻繁にメディアに出ているわけでもなく、『川田龍平』という名前だけで大量に票がとれるとは思っていません。安倍晋三内閣は争点を『改憲』にするといいます。民主党も『改憲』を目指す点で与党と変わらない。『いのち』『人権』『平和』を守り、憲法を尊重し、格差社会と戦う...安倍政権と真っ向から対立する市民派候補という点で、龍平さんは大いにアピールできます。31歳という若さも売りです。無党派層への浸透を地道に目指します」
ただ、政策・主張の近い共産党や社民党も候補を立て全力で臨む。3候補が票を奪い合って全滅するという事態もありうる。選挙を長年、仕事にしている人物は語る。
「テレビ・新聞の情報をも基にして投票する候補を決める有権者が圧倒的に多いことは、様々な調査で立証されています。無党派層でこの傾向が特に顕著です。メディアを通じて、有権者に何をアピールするか、候補者のどのような点を強調するか入念に検討する必要があります。今夏の参院選では通常よりも多くの時間・スペースを割いて、メディアは報道するでしょう。賢いメディア戦略で他候補を圧倒するようでなければ、当選できませんよ」
参院選まで3カ月をきり、選挙戦は過熱する一方だ。龍平さんがこれから、どのような戦いを進めていくのか、関心が集まっている。