2005-07-12

スーパーマンなんていない

●本日のお仕事
○仕事内容の反省、ブログ更新
○ゴミ捨て、お茶入れ等雑務
◯ポット会議
◯デザイン部門打ち合わせを聞かせていただく
◯参考書で勉強

最近、ポットは仕事が沢山でバタバタしているため極力皆に迷惑はかけられない。仕事をやりつくし何もすることがない時は、指示を仰ぐよりも自分のデスクで何かをするようにしている。ポットの会議室にある莫大な量の参考書を読みすすめたり、ポットの皆さんのメールを読んで皆がどのようにクライアントの方と接しているのかを学んだり、以前の実習生の日誌を読んで色々なことに思いをめぐらせたり。この以前の実習生の日誌というのが面白いのだ。同じようなことを経験しているはずなのに、それに対する印象の受け方がまったく違っている。彼は、僕がまったく感動しなかったことに感動したり、僕が全然気がつかなかったことに気づいていたりする。

それにしても、本というのがあまりにも簡単に(簡単に見えるだけでそこまでに色々な努力と編集者の睡眠不足があるわけだが)世にでていくので拍子ぬけしてしまう。というのは、僕は本を作っているのは自分と同じ人間だと頭ではわかっていながら、どこかで彼らが自分とは違う種類のすごい人間だと思っていたから。本とかテレビとかの情報は無条件に信じてしまってもいいような、そんな説得力を感じていたから。でも、そうじゃないのだとわかった。そこにある情報に説得力があるのは、僕と同じような人間が並みでない努力をして多大な時間を費やしているからなのだと。スーパーマンなんていないのだな、と目が覚めた。この世界は誰もがやれるほど簡単に動いている。でも、やるためにはすごい労力がいるのだ。メディアの出す意見というのは、いくつもあるうちのひとつにすぎないのだ、ということがわかった。頭ではわかっていたことだったけれど、実際に発信側にまわってみてはじめてちゃんと理解できた気がする。目立つから、大量流通だから、本当だと思ってしまう。情報の植民地化みたいだ、と思った。ポットに来て、メディアを見る目が変わった。実習をしたら自分の目標とかやりたいことだとかがクリアになると思っていたけれど、もっと混乱してしまっている自分がいる。本当に理想的なものなんて実はどこにもない。頭ではわかっていても、しゃあしゃあと自分がその流れにのるのには戸惑ってしまうのだ。「客観」という実態のない切り口に妥協したくない。メディアが何か発信すればするほど見えなくなっていく真実があるのだと知った時、出口のない迷路に迷い込んでしまったような閉塞感を感じた。やはり最後は主観しか信じられない、と。