2006-12-22

アンゲリカとの出会い秘話 その1

今日は、前からお約束していた、アンゲリカとの出会いのお話をさせていただきます。

ちょっと漫画みたいな(笑)お話です。長いお話なので、何回かに分けてアップいたしますね。

・・・

25年前ほど前のことです。私はミュンヘンの大学に通っていました。

成人式の着物はいらないから、そのお金で短期間でいいから留学させて欲しいと父に頼み、オーケーをもらって、日本で通っていた大学を卒業してからすぐにドイツに旅立ちました。卒業式も欠席して出発し、先ずはマインツという、印刷のグーテンベルクや、シャガールのステンドグラスで有名な街の大学に入り、そこからミュンヘンの大学に移りました。ドイツでは、大学は国立でほとんどレベルの差がなく、一度入ったら基本的にはどの大学にも移ることができます。当時は授業料もなく、半年に一度の雑費(数千円)を払うだけで通うことができました。アメリカなどに留学するよりずっとずっと安かったので、私でも何とかなったのです。私は学生寮に入り、四畳半もないくらいの狭い部屋で生活していました。まぁ、言ってみればボンビー学生でした。でも、願いが叶ってとても嬉しかったですし、ドイツの文化に触れることができてワクワクしていました。

私は音楽やアートが大好きで、週に一度ジャズスクールと絵画教室に通っていました(授業料がとても安かったです!)。音楽はジャズもクラシックも大好きなので、よくコンサートに行ったものです。

そんなある日、私が通うジャズスクールで講師も務め、よくミュンヘンのライブハウスで演奏していらした日本人女性のピアニストさんと知り合いました。その方が私に頼みごとがあると言ったのです。

「淑子さん、実は私の知人が日本に3週間ほど行きたいと言っているの。日本のマッサージなどを学びたいんですって。彼女はドイツで鍼灸やアロマテラピー、ホメオパシーなど学んだ自然療法のスペシャリストなんだけれども、日本が大好きでね、もっと勉強したいんですって。でも泊まるところがなくて・・・。あなた、今年は日本に里帰りするでしょう? その一時帰国の時に、彼女を家に泊めてあげてくださらない?」

そのピアニストさんにも日本に家族がいらして、泊めることは可能だし、英語が話せるから問題ないけれども、やはりドイツ語が通じるところの方が楽しいでしょうし、という理由でした。

会ったこともないドイツ人女性を、日本の実家に突然3週間も泊める・・・・。普通だったら考えてしまうのかもしれませんが、私は「その人、きっとお金がないのね、それでも日本で勉強したいだなんて、偉いわ!力になりたい。」とすぐに思いました。両親もあまり気にするタイプではないですし、ラフに過ごせると感じたのです。なんとかなる、楽しい日本滞在のお手伝いをしたい・・・。私の中では、ちょっとした草の根文化交流の気持ちがあったのかもしれません。

ミュンヘンの有名なからくり時計のある市庁舎前で、私は初めてアンゲリカに会いました。でも、その時はたったの10分!お互いにとても忙しかったので、立ち話をそこでして、自己紹介をちょこっとして、「では私が成田に迎えに行くので、出口で待っていてね!」と言って別れました。

10分だけ話して、そしてその初対面のアンゲリカを我が家に泊める・・・しかも3週間・・・。

私は本当に、彼女がボンビーなのだと思ったのです・・・。

でも・・・皆さんもご存知のように、彼女はドイツ最高のハーブの老舗、サルス社の社長令嬢です! もちろん、ボンビーどころか、ものすごいお金持ちなわけですね。裕福なお嬢様なのです。でも、私はそういうことは全く聞いていなかったし、彼女も一切そんなことは説明しませんでした。しかも彼女の装いなのですが・・・、それほどのお嬢様だったら、日本ならものすごく高価なブランド品を身につけていると思うのですが、全くひとつもそういうものを持っていなくて、何と言いましょうか・・・非常に個性的な・・・金髪のロングヘアをなびかせて、カラフルでカジュアルな服装を身にまとい、とてもユニークな印象でした。どこかのお嬢様にはとても見えなかったのです・笑+汗。・・・というか、お嬢様だったら、当然日本で高級ホテルに宿泊するでしょうし、何もわざわざウサギ小屋のような我が家に、しかも見ず知らずの私のところに泊まりたいなどと言うはずもなく・・・。なので、最初から私は「アンゲリカはボンビー。だから我が家でお世話しましょう。」という気持ちでいたのです。

続く・・・