斎藤綾子[作家]●股間にズドンと衝撃が。

 何でも誰かに責任転嫁し、全てをいい加減に済ませて、自己対峙せずに生きてきた私は、差別問題なら「難しいことってわかんな〜い」と済ますこともできた。だが、伏見憲明が命がけで書いたのは、『欲望問題』なのだ。欲の向くまま気の向くまま、好き勝手に生きてきた私が、「わかんな〜い」というわけにはいかない。今までの人生で、これほど真剣になったことはないと断言できるほど、真剣に評を書かねばと思う。
 まず一章の、少年愛の「痛み」、について。
 その前に私事を一つ。私は年下には全く興味がなかった。同い年にも興味がもてず、ゲイ語録で言えば「老け専」と呼ばれてもおかしくないほど、年上の男性と付き合うことに情熱を傾けてきた。ところが、である。四十も半ばを過ぎ、自分自身が老けに突入した途端、信じられないことが起きたのだ。何と、二十三歳も年下の男性に、身も世もなく惚れてしまったんである。生物として卵子が元気な時に妊娠し出産していれば、今頃、その彼ぐらいの年齢の息子(娘)がいたはずだ。今やっと、自分が年上の男性が好きなのではなく、年齢差に欲情するのだと自覚した。
 欲望とは恐ろしい。欲望の対象や量が、予測可能と思っていたら大間違いなのだった。私の場合、もうすぐ五十歳という時に、二十三歳年下に嗜好が急変したから、まだ犯罪にはならないが、三十代で二十三歳年下に欲情したら、それはもうとんでもないことになる。
 この章は、そんな衝撃を、股間にズドンと打ち込まれるところから始まる。
 二章では、私が胸を張って「わかんな〜い」と言える言葉が登場する。ジェンダーフリーとジェンダーレスだ。
 性別というのは、男と女、そのふたつだけだと小学生の時から思わされてきた。しかし私は自分の股間を弄り、大陰唇の中に硬いタマが隠されていないか、触っていたものだった。親が持っていた何かの本に、「フタナリ」という人間がいるというのを見つけたからだ。いくら待っても股間に「チンコ」は生えてこないし、小学四年生になった途端に「初潮」はきちゃうし、胸はどんどんデカくなるし。自分は「男に違いない」と思っていたので、第二次性徴には愕然とした。そんな時に知ったフタナリの存在。マンコのどこかにタマさえ発見できれば救われる。私は必死にタマ探しを続けた。それがいつの間にか恍惚を生み、気づけばオナニーに耽る日々。
 見かけは女でも中身は男。フェミニズムの方たちからもそう非難されたし、私自身、そう思っていた。フリルやレースの付いた服は苦手で、スカートは男を引っ掛ける時だけに穿くものだった。とっても孤独だったけれど、セックスに不自由したことはなく、大好きな女のコたちとは一緒にお風呂に入り、同じベッドで眠ることが出来た。彼女たちにオーラルセックスしたい衝動さえ我慢できれば、そして男たちと長いこと付き合わなければ、女というジェンダーに感じる違和感をどうにかやり過ごすこともできた。
 自分がバイセクシュアルだと自覚した頃、私は『欲望問題』の著者、伏見憲明と出会う。当時、好きになる相手が、みんな異性愛の女のコということに私は頭を抱えていた。たまに体を開いてくれるヘテロ女性はいたが、彼女にとってそれは「遊び」でしかなく、「本気」で相手はしてくれない。そんな寂しくてシオシオの私に、伏見はヘテロやゲイだけじゃなく様々なセクシュアリティの存在を、活字や実物で具体的に紹介してくれた。
 私は、論理や観念だけの性差別に対する議論には全く興味がもてない。眼に見える、現実的で具体的な話しか記憶に残らない。フェミニズムが縁遠く感じたのも、男から受けた酷い行為だけが執拗に語られ、それに対する明るい対処法にリアリティを全く感じられなかったからだ。
 その点、伏見から受けた情報は、特に性的欲望の多様性は、現実的で具体的だった。それを知ることで、かなり孤独感を拭うことができた。そして、今のままの私でいいじゃん、と思えるようになったのだ。
 三章まで読み進むと、その想いは一層募る。差別問題を掲げて、何が正しくて何が間違っているのかを裁き合い、敵対することよりも、己の欲望を自覚し、欲望の異なるもの同士が共感できるものを探し合って、己の変化も受け入れつつ、共有できる社会をつくる方が絶対に面白い、と。そのためにも『欲望問題』を考えることが大事なのだ、と。
 私は今、年齢差に欲情する私の欲望を、年下の彼に受け入れて欲しいと思う。だが、それがダメなら、彼の欲望に少しでも関われる何かをしたい。
 自分の欲望に添わないからと蔑視したり、無闇に自己嫌悪するのはもうやめよう。『欲望問題』は、愛情いっぱいにそれを伝えてくれている。活動や運動に全く縁のない私にも、それぐらいはちゃんとわかる一冊なんだ。

【プロフィール】
さいとうあやこ●
1958年、東京生まれ。小説家、エッセイスト。雑誌『宝島」連載「性体験時代」(単行本『愛より速く」’81年刊)で作家デビュー。

【著書】
ハッスル、ハッスル、大フィーバー!!/幻冬舎/2006.1/¥1,400
欠陥住宅物語/幻冬舎文庫/2005.2/¥571
良いセックス悪いセックス/幻冬舎文庫/2003.8/¥571
欠陥住宅物語/幻冬舎/2003.3/¥1,400
知らない何かにあえる島/幻冬舎文庫/2002.6/¥533
フォーチュンクッキー/幻冬舎文庫/2001.8/¥495
男と女のためのPの話(監修)/新潮OH!文庫/2001.7/¥752
男を抱くということ(南智子、亀山早苗との共著)/飛鳥新社/2001.5/¥1,400
良いセックス悪いセックス/幻冬舎/2001.1/¥1,400
知らない何かにあえる島/愛育社/2000.7/¥1,300
ヴァージン・ビューティ/新潮文庫/1999.11/¥400
スタミナ!/幻冬舎文庫/1999.8/¥457
愛より速く/新潮文庫/1998.10/¥438
フォーチュンクッキー/幻冬舎/1998.2/¥1,400
Hの革命(松沢呉一、南智子、山口みずからとの共著)/太田出版/1998.2/¥1,300
快楽の技術/河出文庫/1997.11/¥600
結核病棟物語/新潮文庫/1997.6/¥400
ルビーフルーツ/新潮文庫/1996.11/¥400
ヴァージン・ビューティ/新潮社/1996.10/¥1,300
スタミナ!/毎日新聞社/1995.6/¥971
快楽の技術/学陽書房/1993.7/¥1,456
ルビーフルーツ/双葉社/1992.7/¥1,262
愛より速く/思想の科学社/1990.9/¥1,600
結核病棟物語/思想の科学社/1989.11/¥1,553
愛より速く/JICC出版局(宝島ブックス)/1984.8/¥780
愛より速く/JICC出版局/1981/¥780