永江朗[ライター]●簡単に語ることをためらわせる本である
この本のプルーフを読み終えたあと、「まいったなあ。レビューを引き受けるんじゃなかったなあ」と一瞬だけ思った。内容がつまらなかったからではない。伏見憲明が投げかける問題があまりに重く大きくて、軽い気持ちで語ることをためらわせるからだ。とりわけストレート(異性愛者)である評者にとっては。
伏見がこの本で扱っている問題は大きく3つにまとめられる。欲望、ジェンダー、アイデンティティである。どれも簡単に答えが出る問いではない。
第1ページめからガツンとやられ、ノックアウトされてしまった。伏見に寄せられた少年愛者の悩みからこの本は始まる。相談者は男性同性愛者であり、なおかつ「大人になる前の少年が好きなのです」と打ち明ける。
同性を愛することはかまわない。少年が好きなのも、まあいいだろう。だが、現実に少年と性行為をすることは許されない。たとえ相手と合意の上であっても、現実には難しい。同性愛者だからではない。相手が少年だからだ。
異性愛で考えればよく分る。いくら少女が好きだからといって、少女と性行為をすることは許されない。それどころか、最近は児童ポルノ法によって、少年少女を性的対象として扱っている写真集やビデオ、DVDのたぐいは、所持しているだけで罰せられることになった。少女を好む異性愛者の男性は「ロリコン」と呼ばれて世間から排除される。児童ポルノ法の適用対象を漫画やアニメにまで広げようという動きもある。犯罪は個人や組織などの財産や生活権益が侵害されたり危険にさらされたときにのみ成立すべきものだと考えているので私は反対だが、しかし禁止領域の拡大が世論の一定の支持を得ているのは事実だ。いまや欲望すら禁じられる時代になったのである。
だが、欲望において正常と異常の境界線を明確に引くことは可能だろうか。近代の同性愛の歴史は、この境界線をめぐる闘いの歴史だった。境界線をずらしたり曖昧にしたり、あるいは境界線そのものをなくすことで、同性愛者は存在領域を獲得してきた。同性愛に限らず、あらゆる差別との闘いは境界線をめぐる闘いだった。境界線は幻想にすぎない、常識や正常/異常なんてものはマジョリティの偏見のたまものにすぎない、という考え方は、いまや現代人の「常識」といってもいいだろう。
一方で、近年の欧米で、幼児性愛など犯罪を起こした異常性愛者に「治療」をほどこすようになっている事実を伏見は紹介する。異常性愛は「病気」であり、「治療」の対象としてカテゴライズされているのだ。同性愛もかつては病気とされ、治療の対象と考えられた時代があった。同性愛の歴史は脱「病気」化の歴史でもあった。
それでは、少年愛者と幼児性愛者の間に明確な線を引くことは可能だろうか。あるいは、少年愛者と(非少年愛の)同性愛者との間に線は引けるのだろうか。
性的嗜好の切実度を客観的に測ることは難しい。私はこれまでポルノ誌などでの仕事を通じて、SM愛好者をはじめ「異常」な性的嗜好の持ち主の何人かに会ってきた。彼らのなかには、たんなる嗜好のレベルではなく「そうしないではいられないのだ」と切実な心情を打ち明ける人も少なくない。のちに逮捕されることになったロリコン男性にも会ったことがある(逮捕を伝えるニュース映像のなかで、顔を隠すことなく罪を認めている姿が印象的だった)。異性愛と同性愛の間に線を引けないのなら、同性愛と彼らの性的指向(嗜好)の間にも線は引けない。
実際問題としては結局のところ、個人のふるまいは他者の権利を侵犯しない限りにおいて自由である、という原則に忠実であるしかない。少年との性行為は許されない。ならば他者の権利を侵犯せずにはいられない「異常者」は、どうすれば幸福に生きられるのか。「治療」か、それとも隔離か。「許されない」と言ったところで、問題が根本的に解決されるわけではない。
第二章「ジェンダーフリーの不可解」も難しい問題だ。性差別をなくすことと、社会的性差をなくすことの間に境界線を引くことは可能なのかどうか。さらに、社会的性差が完全に消失した社会は楽しい社会なのかどうか。少なくとも、現在の私たちのエロス的快楽は、かなりの部分が社会的性差に由来するものなのだから、社会的性差からの解放はいまある快楽の放棄を意味するだろう。もちろん快楽を放棄した社会が平板でつまらないものとは限らないし、社会的性差なんてなければないで、新たな快楽を見つけだせばいいのだからという態度もありだけれども、欲望は(たとえそれが常に他人の欲望であったとしても)そう簡単には変えられない。
伏見憲明の『欲望問題』を読み終えて、私は途方に暮れるしかない。唯一確かなのは、欲望もジェンダーもアイデンティティも、同性愛者(だけ)の問題ではなく、異性愛者も含めて私たちすべてにあてはまる問題であるということだ。しかも、「私たち全員の問題だ」などと言って分ったような気になるのが最も悪質な態度である類いの問題なのである。どうする? オレ。
【プロフィール】
ながえあきら●
1958年、北海道生まれ。ライター。風俗業界から出版業界まで、取材するテーマは幅広い。とくに元洋書店員というキャリアから、「出版」にまつわる著作が多い。
【著作】
ブックショップはワンダーランド/六耀社/2006.6/¥1,600
あたらしい教科書2・本(監修)/プチグラパブリッシング/2006.3/¥1,500
話を聞く技術!/新潮社/2005.10/¥1,300
メディア異人列伝/晶文社/2005.3/¥2,200
恥ずかしい読書/ポプラ社/2004.12/¥1,300
作家になるには/ぺりかん社/2004.12/¥1,170
いまどきの新書/原書房/2004.12/¥1,200
狭くて小さいたのしい家(アトリエ・ワンとの共著)/原書房/2004.9/¥1,800
批評の事情/ちくま文庫/2004.9/¥820
〈不良〉のための文章術/日本放送出版協会/2004.6/¥1,160
平らな時代/原書房/2003.10/¥1,900
ぢょしえっち(岡山らくだとの共著)/ワイレア出版/2003.7/¥1,300
ベストセラーだけが本である/筑摩書房/2003.3/¥1,600
インタビュー術!/講談社現代新書/2002.10/¥740
批評の事情/原書房/2001.9/¥1,600
アダルト系/ちくま文庫/2001.9/¥740
消える本、残る本/編書房/2001.2/¥1,600
出版クラッシュ!?(安藤哲也、小田光雄との共著)/編書房/2000.8/¥1,500
不良のための読書術/ちくま書房/2000.5/¥620
ブンガクだJ!/イーハトーヴ/1999.12/¥1,500
「出版」に未来はあるのか?(井家上隆幸、安原顕との共著)/編書房/1999.6/¥1,500
アダルト系/アスキー/1998.4/¥1,500
不良のための読書術/筑摩書房/1997.5/¥1,600
菊地君の本屋 ヴィレッジバンガード物語/アルメディア/1994.1/¥2,200