イダヒロユキ[社会学者]●差別問題を否定せず、スピリチュアルなレベルの差別問題に発展させていこう
伏見さんの本について、詳しく検討・反論する文章「伏見憲明『欲望問題』の検討」(以下、拙稿 と記述)を書きました。
私のHPにアップしました。 http://www.geocities.jp/idadefiro/
伏見さんの本のプラス面もありますが、私は主にマイナス面を契機にして、私のジェンダー論を伝えるようなものにしました。ここでは、少しだけ述べます。
私も、一部の人から原理主義的というか、狭量というか、単純というような批判を受けたことはあります。男性がフェミニズムを語るのは奇妙だとかダメだとか、男性が女性学会幹事会を乗っ取っているとか、〈スピリチュアル・シングル主義〉に対して何も読まずに精神主義だといったり…。まあ、少し長く生きていれば、批判ともいえないような誹謗中傷もあるわけです。それが「敵対勢力」だけでなく、運動側から出さされることもあります。
でも、私は、「政治・運動」というものが時には単純になされざるを得ないということがあると思っています。だから、社会状況全体の中で、そこら辺をよくわかってバランスよく記述しないと、単純に運動批判になってしまうと思っています。
ところが、そうしたバランスが、今回の伏見さんの本には少ないと感じました。『欲望問題』出版記念プロジェクトの書評コーナーをみていても、伏見さん賛成という声が強いみたいなので、そうじゃない意見もあったほうがいいと思い、批判的に検討しました。
伏見さんや一部学者といっしょになって、運動のダメさを批判する、みたいなのは、私がしたいことではありません。私なりのバランスある答えを出している問題に対し、伏見さんともあろう人が、「社会運動か個人の性愛的幸福か」というような単純問題設定にしてしまって、二者択一の罠に自らはまって、結果、バックラッシュと近い物言いになっているところがたくさんあります。だから、「どうしちゃったんだ、伏見さん?」という気持ちで書きました。
伏見さんの提起を尊重して言うなら、私は、伏見さんが「差別問題から欲望問題へ」というのに対して、「差別問題を否定せず、スピリチュアルなレベルの差別問題に発展させていこう」と言い換えたいと思っています。
伏見さん自身、「あとがき」(p184)でちゃんとした批判なら歓迎するという旨のことを書いておられるので、そこに素直に応答したつもりです。
たとえば、2章の問題提起をジェンダーフリー概念と絡めていることが私には不満です。ジェンダーフリー概念の問題にしなくても、社会運動と個人の幸福の関係は考察できます。で、拙稿では次のように書きました。
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つまりジェンダーフリーとは、皆を中性にすることではない。100人が100通りの好きなファッションをすればいいということだ。人をさまざまな要素で区分することはある。そのとき、過剰にいつも男女2分法を中心化すること(男女性別の特権化)、過剰に典型的なモテ服に合わせようとすることをやめるということだ。男女の分割線は「常に完全廃棄」なのではなく、残るし、残す、なくさない(なくすことなどできない)。だが、その比重を落とす。その他の面、その人らしさに焦点を当てる。そのような別の「分割線」をたくさん入れる。「女性」を1色・1タイプに収斂させようとせず、いろいろな「女性」のあり方ができるようにしていく。画一化、1つのセクシー、1つの性のあり方というものを、もっと幅のあるものにしていく。従来の性秩序を強化するようなことに注意深くなる人を増やす。結果、一人一人の個性に敏感になり、皆がオンリーワンになるからシングル単位感覚。男1と男2、その他の違いを尊重するようにしていく。その意味での多数派の解体。現実には、以上の原則で、その場その場で、応用的に対応する(野口氏のような仕分けの原理を考える人がいてもいいが、それが完成しない限り実践的には何もできないというのはまったく間違い。空想的未来SF小説を書きたいなら思考実験もありだが、現実は、適切に人を男女だけでなく多様に見ていこうとする実践は可能だし、すでに実践されている。クオータ制の検討もこれに関わるので、「ジェンダー重視時代の新しい政治」畑山敏夫・平井一臣編『新 実践の政治学』法律文化社 2007年4月を参照のこと)。〈性別二元制〉=ジェンダー規範は、多くの多様な人を2色2種類のファッションにするということだから反対している。その過程で、皆が模索しつつも、適度に実践できている。そこが大事で、「ジェンダーフリーとジェンダーレスの区分が判らない」から何もできなくて立ちすくんでいるわけではまったくない。
以上の説明では、例えば「男女の境界線を残す」といように、ある種“固定的”に書いたが、付け加えておきたいのは、私たちの行為・実践の中で、私はなんらかの私、例えば「シングル単位感覚の男性」「男らしさ追及しない、おしゃれ、明るい性格、性分業反対、異性愛、ボーイッシュ女性好き、セックスにあまり興味なし、非論理的で感情的な男性」などになっていくということだ。行為の前から生物的男性はすべて1種類の男性であるというのではなく、家事を少ししてみる、人の話を聞く、ファッションをカジュアルなものに変えてみる、政治について勉強して考え方が変わる、職業を変える、恋人が変わる、(ゲイであると)カミングアウトする等という行為を(意識的/無意識的に)選び取り、重ねていくうちに、自分というものが変化し続ける。その結果をある瞬間切り取って「男性」というかもしれないが、別の属性・切り口もある。あらかじめ、固定的に男性/女性という主体が行為の前にあり、行為後も不変というわけではない。
従来、家族単位的に生きてきていても、部分的に、2分法ジェンダーを乗り越えるジェンダーフリー的言動をとるということもある。男女2分法ジェンダー意識をもっていても、生活形式として独身、離婚、単親家庭、同棲など非標準になっていることで、意識が変化していくということがある。フェミに触れて影響を受けて、意識的にシングル単位的言動を増やしていくということもある。その結果のある局面のある人を複雑に全体で見れば、単純に、男性か女性かの2種類に分類できるかというと、できない(あえて分類しても意味がない)。男女で分けようとおもえば大方の人はあえて分けられるが、細かく見ればもっと細かい分類になるし、最終的には一人一人違うということ。つまり、男女2分法(男女境界線)は、存在し続けるであろうが、もっと各人の個性が際立つ。「従来の男ならこうしろ」というジェンダー規範からの逸脱も増える。そういう社会はまともだろう。そういうことをフェミは実践している(こういう理解があるから、男性はフェミニストになれない、男性が女のことに口を出すな、などと本質主義的なことをいうのは、私はとても古くて固定的なフェミだと批判する)。
ちなみに、過去、「男性か女性かの2種類」に入らない人には名前がなかった(存在を承認されていなかった)が、いまや、インターセクシャル、トランスジェンダー、FTXのTG、サードジェンダー、トランスヴェスタイトなどと名を持つようになってきている。多様な人が多様な差異を保持したまま承認される社会に近づいている。〈性別二元制〉は永久不変ではない。フェミはそのことを言ってきたし実践してきたのであって、伏見さんやバックラッシュがいうような「中性化」「性別否定」を求めているのではない。
こんな基本の基本に対し、フェミニズムの主張を豊富化する文脈ならわかるが、フェミニズムを見くびるような記述の中でジェンダーフリーを「中性化」「性別否定」だと、バックラッシュ的な言辞で言ってしまう感覚には、ちょっと引いてしまった。伏見さんはどうしたんだろうとやっぱり思う。
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伏見さんの「差別のためだけに生きているのではない」ということの言わんとすることはわかるが、本の主張全体のバランスが悪すぎると私は思っています。過去の差別反対運動の教条主義、倫理主義を批判したいのはわかる。だが、そのためにこれまでの運動を一面的に悪く言いすぎだよ、マイノリティの立場性というものの積極性を否定しすぎだよ、というのが私の批判です。
伏見さんのこれまでの全体からは、彼が信頼するに足る、マイノリティ運動側の人だと思っています。だから、本書を「悪く読みすぎた」のかもしれない。だから、原稿を書くとき私には迷いがありました。どこまでが伏見さんの主張の本質的な間違いで、どこからは「まともな問題提起だが少し表現が悪い(下手な)だけ」の部分なのか。
で、拙稿ではとりあえず、『欲望問題』の文言に限っての「批判」をしました。伏見さんが続編を書かれて、言わんとすることをより適切に示してくださる時、私はもっと賛成するように思います。
いだひろゆき●
1958年大阪生まれ。社会学者。主にジェンダーについて研究、執筆、講演活動を行う。立命館大学、大阪経済大学非常勤講師。
ブログ http://blog.zaq.ne.jp/spisin/
ホームページ http://www.geocities.jp/idadefiro/
【著作】
貧困と学力(岩川直樹・斎藤貴男らとの編著)/明石書店/2007.4
これからのライフスタイル/「仕事の絵本」シリーズ5/大月書店/2007.2/¥1,890
続・はじめて学ぶジェンダー論/大月書店/2006.3/¥1,995
Q&A男女共同参画/ジェンダーフリー・バッシング━━バックラッシュへの徹底反論(日本女性学会・ジェンダー研究会編)/明石書店/2006.6/¥1,680
はじめて学ぶジェンダー論/大月書店/2004.3/¥1,995
スピリチュアル・シングル宣言/明石書店/2003.4/¥2,520
シングル化する日本/洋泉社新書/2003.4/¥756
いろんな国、いろんな生き方━━ジェンダーフリー絵本第5巻(堀口悦子らとの共著)/大月書店/2001.4/¥1,890
シングル単位の恋愛・家族論−ジェンダー・フリーな関係へ/世界思想社/1998.4/¥2,415
シングル単位の社会論−ジェンダー・フリーな社会へ/世界思想社/1998.4/¥2,415
21世紀労働論——規制緩和へのジェンダ−的対抗/青木書店/1998.2/¥2,940
樹木の時間——もう鼻血もでねえ/啓文社/1997.12/¥1,050
セックス・性・世界観(編著)/法律文化社/1997.12/¥1,995
性差別と資本制−シングル単位社会の提唱/啓文社/1995.12/¥3,466