2012-10-29

第20回■“お嬢様”の誕生日

「梶木さん、ナルシシズム入り過ぎですよ〜」
と、この連載を担当している美人敏腕編集者に言われてしまった。うっうーっ、がっくしである(アスキーアートを使ってみると“orz”という感じだ)。

分別のある五十男。己というものを知ってはいる。当然、ナルシシズムなど、日常生活では浸ることはありえない。しかし、せめてテレクラ物語の中ぐらいは耽溺させてくれ……。束の間のヒーロー気取りをしたいのだ。
“女狐”と行ったコンサートで、アーティストは、アンディ・ウォーホールの“誰でも一日だけならヒーローになれる”という言葉を引用した歌を歌っていた。私も自らの恥を晒すような真実を語ることで、ヒーローになれるかもしれない。束の間でもいい、ナルな気分に浸らせていただき、暫くはナルシシズム溢れる週刊“実話タイムス”にお付き合い願いたい。

さて、話を戻そう。田園調布に住むお嬢様を籠絡し、それを契機にこの国を支配する上流階級にのし上がろうというハードボイルドな“野望と妄想”(笑)を抱きながら、私は彼女の後についてお嬢様のお屋敷を目指した。桜並木(かどうかは、良く覚えていない)を歩いていくと、果たせるかな、10分もせずに、お嬢様の家へと辿り着く。玄関から母屋まで数分はある“お屋敷”を想像していたが、実際に目の前にあるのは普通の2階建の木造の一軒家。田園調布だから、地価などを考えれば安くはないだろうが、特に広いとも思えない、近郊都市にある建て売り住宅のような作りだ。値踏みをするようで嫌らしいが、下町と山手という地代を差し引いても、私の実家の方が平米数も広く、建物自体4階建のビルだから、資産価値は高いだろう。

いきなり拍子抜けである。私の“野望&妄想”は脆くも崩れ去る。確かに、田園調布というブランドに惑わされていたふしもある。田園調布だからといってお屋敷ばかりではない。普通に庶民(!?)が暮らす住宅だってある。もっとも、小さくても田園調布の一戸建てだから、ある程度の富裕層であることに間違いはない。

彼女の家に入ると、すぐにリビングがあり、ピアノがあった。当然、グランドピアノかと思っていたら、アップライトピアノだった。これまた予想外である。陽の当たる広い部屋に白いグランドピアノが置かれている、これではジョン・レノンの家のようになってしまうが、そんな風景を想像していたのだ。

家には幸い、両親はいなかった。親を紹介されるという、最悪の事態は免れる。何しろ、テレクラ男など世の親の敵だろう。財産や閨閥目的であれば親との面談は必須だが、そんな淡い夢は、数分前に崩れたばかり(笑)。

彼女の部屋にも通されたが、小さなベッドと勉強机(デスクというより、勉強机というのが相応しい)があるぐらいで、普通の女の子の部屋という感じで、これといった特色はなかった。人形やぬいぐるみが所狭しと置かれていたり、クローゼットに高級ブランドの洋服やバッグがぎっしりだったら印象も変わるのかもしれないが、そういう面では精神的な安定や経済的な堅実さが部屋に表れていた。壁紙やカーテン、インテリアなども女の子らしい風情はあるが、変にファンシーでないのも自分的には違和感はなかった。

テレクラを通して女性の自宅へ何度となく家庭訪問をしてきたが、そのほとんどは独居女性で、いわゆる実家みたいなところは今回が初めて。流石、彼女の部屋で、ベッドに押し倒すような危険な真似はできなかった。父親は房総へゴルフ、母親は二子玉川へ買い物に行っているらしいが、変なこと(!?)をしているところに鉢合わせなんていうのは避けたい。どことなく落ち着かず、長時間の滞在は避けるべき、と、家を出ることにする。本当に短時間の家庭訪問だ。東急東横線を渋谷へ1駅戻る形になるが、自由が丘へ行くことにする。

カメレオンマン

当時、既に自由が丘は、若者向けのお洒落な街になりつつあった。しかし私としては駅前にあった餃子店(自由が丘・餃子センター)へ行ったくらいで、あまり縁のないところだった。その餃子センターに行ったのも、自由が丘にあった名画座、武蔵野館にウディ・アレンの『カメレオンマン』を見に行ったのがきっかけだ。カメレオンのように周囲の環境に順応する能力をもつ男、レナード・ゼリグの生涯を、ドキュメンタリー調で描いた1983年の作品。ちなみに、日本公開時には吹き替え版が上映されたが、UFO番組でお馴染みの矢島正明のナレーションが印象的で、字幕スーパーだと思っていたら、いきなり日本語が飛び出してきて驚いた記憶がある。いささかこじつけ臭くなるが、周りに合わせ、自分を変えてしまうというカメレオンマンぶりはテレクラマンとしても大いに参考になった、なんてね。

と、“自由が丘・青春プレイバック”をしてしまったが、私にとっては縁遠い場所(AWAY)でも、お嬢様にとっては地元(HOME)。流石に馴染みの店も多く、お洒落な店もたくさん知っている。彼女の行きつけという、いまでいうなら、イタリアン・バールのような雰囲気の、パスタやリゾットが美味しい店へ案内された。

赤ワインを嗜みながら、お嬢様を籠絡するという野心は既に消え失せたが、根がいい人である私は、またもや熱心に彼女の恋愛相談に乗ることになる。女性心理はわからずとも男性心理はわかる。彼女が二人の恋人から聞かされている言葉の真意などを尋ねられる。当人ではないので正解はわからないが、男の狡さというものを加味して、詳らかにしていく。彼らの真意を変に捻じ曲げず、多少、露悪的になるところもあるが、そんなところも含め、男の心理みたいなものを語っていく。二人の恋人の言動や行動からは打算めいた深謀遠慮みたいなものも感じたので、そんなところもさりげなく指摘していく。逆に、私の行為は打算がなく、無償の行為のように感じたらしく、知らぬ間に私の好印象度はさらに上がっていくことになる。

テレクラなどは、ある種、手練手管や権謀術数を弄するところだが、それらを放棄することで、逆に好印象を抱かせてしまうのだから、不思議なものだ。物事は道理のようには進まない。愛の不可逆性とでもいうのだろうか。

家庭訪問後の自由が丘では、軽くお酒を飲んで、食事しての健全デートだった。普通であれば、そろそろ欲望の牙を剥き出し、肉体関係モードに持っていくところだが、私自身にそういう気持ちが起きてこない。別に女狐の後遺症で好きな人でないとセックスができない、なんて、乙女チックな御託をいうつもりはない。以前、“エロブス理論”でも触れたが、一般的には魅力的とされる女性でも自分にとっては性的な魅力に乏しく、欲望に火がつかない。やる気が起きないのだ。当然、不能などではない。性的なモチベーションは、可愛いとか、綺麗とか、育ちが良いとかとは別なところにある。テレクラ男子たるもの、選り好みはご法度、やれるもの拒まずだが、流石に10代20代のやりたい盛りではない、そんなに飢えてもいない。『粋の構造』信者の私としては、武士は食わねど高楊枝ではないが、痩せ我慢の美学みたいなものもあった。

お嬢様からのアプローチ

そんなわけで、私としては、そろそろ、お嬢様を放流状態(キャッチ&リリースがゲーム・フィッシングの基本だ!)にしたいところだが、お嬢様の方から食らいついてくる。その頃には、餌付けもしてないし、釣り糸も垂らしてない。彼女にとっては、男の本音を知ることのできる数少ない情報源、逃したくないのだろう。

あまり会うことはなくなったが、それでも頻繁に連絡はくるし、相談は受ける。そしてこれまた意外な申し出というか、お誘いを受ける。それがなんと、誕生日を祝って欲しいというのだ。誕生日など、クリスマスと同様、本命の彼氏・彼女の“仕事”である。私達、隙間産業たるテレクラ男子の出る幕ではない。二人の彼氏のうちのどちらかに祝ってもらえばいいものを、私におはちが回ってくる。

多分、ゴールデン・ウイークだったと思う。正確な日時などは覚えてないが、その誕生日に起こったいろいろなことがそう記憶させている。
待ち合わせは渋谷だった。渋谷の百軒店に行きつけの台湾料理屋があり、そこに案内したと思う。イタリアンやフレンチではなく、ここも変化球を繰り出す。ひょっとしたら、変化球ついでで、台湾料理ではなく、桜ヶ丘のロシア料理屋にしたかもしれない。その辺の記憶は曖昧で不確かだが、店選びに関して、お嬢様には徹底して変化球を投げ込んだはずだ。

誕生日ということで、プレゼントも用意した。特に目論見も打算もなかったので、とりあえず、コストパフォーマンスを考え、スタージュエリーのネックレスにした。流石、ティファニーやカルティエをプレゼントする関係でもない。考えてみたら、当時からティファニーも随分と身近になったものだ。私でさえ、ティファニーの3連リングをプレゼントしたことがある(残念ながらテレクラで会った女性ではない!)。しかし、かのヘップバーンも価値暴落(価格が安価になったという意味ではない。特別な階級の持ち物ではなく、20代や30代のサラリーマンが平気で、買えるようになったということ)を嘆くだろう。既に“ミツグくん”も出没していた。

私自身、イベントやサプライズは大好物。放流しようという女性の誕生日を祝うなど酔狂なことだが、イベントをプロデュースする感覚で、それなりに楽しんでしまう。おそらく、彼女的には上々の誕生日になったはずだ。それに気分をよくしたらしく、思いもかけない“お礼”をいただくことになる。“プレゼントのお返しは私!”みたいなベタな対応をしてきたのだ。折角の申し入れだが、正直、気乗りはしないというか、我が“エロブス理論”(ちなみに“ブス専”というわけではない)に照らしても、積極的にしたいという気も起らなかった(セックス目的でテレクラ利用をしているにも関わらず、もったいないことだが、性的魅力以前に面倒なことは避けたかったというのもあったかもしれない)。

しかし、ここで断っては、女性の面子をつぶすことになる。あまり熱心にいうものだから、生来のスケベ心(笑)もあり、渋谷の円山町のラブホテル街を彷徨うことになる。ところが、どこのホテルも満室で、空室がない。まるでバブル時期のクリスマス状態だが、ラブホテル難民となる。たぶん、ゴールデン・ウイークだったから、おのぼりさんを含め、いつも以上に稼働率が上がっていたのだろう。十何軒(どんだけ、熱心なんだ!)も当たってみるが、どこも満室。30分ほど歩きまわり、疲れてきたので、そろそろ、今日は日が悪いから撤収しようかというところに、絶妙なタイミングで空室のあるホテルが見つかる。円山町もかなり奥まったところだったと思う。

セックスの不等価交換

ラブホテルに入れば、やることは同じ、久しぶりにねちっこく&じっくりと情感たっぷりに官能描写といきたいところだが、そのセックスには、残念ながら特筆すべきものがなかった。私自身は、ある程度、相手に不快な思いをさせず、同時に、ある種、誠意の伝わる対応をしたつもりだが、彼女からはその対価に見合うものは与えては貰えなかった。かのビートルズは“結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい”と歌ったが、等価ではなかった。もっとも、お嬢様の技術が拙く、魅力的な肢体ではないことが原因ではなく、それ以前に私の男性性に火をつけるもの、欲情を喚起するものが不足していた。そういう面では対価を要求する資格もないのかもしれない。

テレクラ時代以降、ただセックスをするだけでなく、どんなセックスをするかに拘るのは、ある程度テレクラでセックスができるようになると、回数や人数ではなく、量より質みたいな拘りも芽生えてきたからだ。私からしたら、淡泊なセックスだった(本音をいえば、味も素っ気もなく、情感不足だった)。短時間だが、枕を交わし、身体を重ねるも、泊まることなく、終電に間に合わせる(!)。

不思議なもので、そんなしつこくない、あっさりとした対応が逆に相手には好印象を与え、変に身体目的でないこと(私自身は身体目的に何の問題を感じてはいないが)に余計、信頼感が増したらしく、いままで以上に懐いてきてしまう。何が幸い(?)するか、わからないものだ。

そんなわけで、誕生日後も頻繁に電話がかかってきたり、セックスなしのデートを重ねることになる。いい人気取りの私も、そろそろ次のことを考え、だんだんと“親身”の度合いを薄くし、揶揄するような態度も見せ始めることにした。ある種、偽悪的に、ろくでなしな振る舞いをするようにしたのだ。いい人ぶるのに疲れたというところだろうか。そんな豹変(!?)に彼女も気付いたらしく。ある日、こんな手紙を寄越してきた。
「いつも会うたび、二人の恋人のことをおもしろおかしく聞いてくるけど、どうしても興味本位で聞いているとしか思えない。私の友人達は本当に親身になって助言をしてくれるけど、梶木さんはとてもそうは思えない。誠実なものを感じない──」
多分、もうちょっと辛辣なことも書かれていたと思うが、まさに彼女の言うとおりだ。そこに書かれていることに間違いはない。お嬢様だからといって、世間知らずかというとそうでもなく、本当にの心配や気配りと、そうではないものの区別はつく。もっとも私自身、故意に馬脚を現すではないが、私と関わっているとろくでもないことになると思わせるようにもした。私達のような人種に誠実さを求めるのは土台、無理な話であり、親身に相談に乗っていても、それはあくまでも興味本位や物見遊山でしかない。ハードボイルドにいうと、“お嬢さんがこんなやくざな男とつきあっていると、火傷してしまうよ”という感じか。私的には、私の父が愛したギャング映画の名作『汚れた顔の天使』(1938年・アメリカ映画)のジェームス・キャグニー気取りでもある。テレクラ男など、美化されてはいけない。

そろそろ、潮時だ。いい人ぶるにも限度というものがある。そんな気持ちが私の中を支配し、行動や言動も自然と、そんな思いを体現するものになっていった。

田園調布戦線からの撤退だ。逃げ足は速く、切り替えは早い。フットワークの軽さは、テレクラ男子ならではだ。彼女からの手紙を“最後通牒”と判断し、以後、関わらないことに決めた。彼女のテレクラ相談員という役回りは、辞退させていただくことにする。彼女が寄越した手紙に返事を出すこともせず、ほうっておいたら、自然と連絡も来なくなった。基本的にこちらから連絡を取るような立場ではない。時間がある時に立ち寄ってもらう飲み屋のようなものだ。何年か後、来たくなったら来ればいい。“開いていて良かった”と思ってくれれば充分である。そのくらいがテレクラ男子には分相応であろう。

田園調布とは縁遠くなったが、渋谷を前線基地とし、そこに地歩を固めながら、別の沿線に網を張ることにした。そうすると、同じ渋谷基点でも井の頭線方面に釣果が出てくる。それが今度は、私にとって、“開いていて良かった”的な“居酒屋”や“スナック”のような女性と出会うことになった。