2012-07-06

第7回■相棒

仲間達との“男子会”(女子会はすっかり定着したが、いまだにこの表現はあまりされないようだ。男とはつるむものだろうか?)に興じながらも、私達をゴミ呼ばわりする隠れ家のコールが薄くなってきていることを感じていた。援助交際や悪戯が頻発していたわけではなく、後年のように荒むという状況ではないが、なんとなく、いいコールが取れなくなっていた。アポする気もない暇つぶしの常連か、アポを取ってもすっぽかしという女性に当たることが多くなっていた。深夜料金をろくに払っていないものがいう台詞ではないが、コストパフォーマンスが落ちている。コールは、店の営業努力やマスコミの露出などに左右されるが、なんとなく、コールの波が来ず、凪いでいるような状態だったのだ。

ならば、狩場、釣り場を変えてみるしかない。このあたり、ハンティング・ワールド(否、ハンティング・ワード)満載だが、まだ、男達が狩りや釣りに精を出していた時代だ。出会い系など、姑息(!?)な言葉出現以前、ナンパという言葉が大手を振って、市民権を得ていた。

もっとも場を変えるといっても店を変えるくらいで、新宿・歌舞伎町からは離れがたかった。いわば、同じ山系の尾根と峰、同じ河川の上流と下流くらいの差異だろう。

ソープが林立し、古式ゆかしい名曲喫茶がある通りの端にあった「ワイズ」というチェーン店に行くことにした。パチンコの景品交換所の2階にある店舗で、都内だけでなく、近郊にも数店舗を有する大型店だ。それゆえ、店内も広く、アダルトビデオや風俗情報誌の品揃えも豊富だ(笑)。

ここは「ジャッキー」とは違い、早取り制ではなく、取次制である。フロントが女性のコールを取り、年代などの女性の希望を聞いて、該当する男性がいるボックスに回すという仕組み。一生懸命に習得した早取りの秘技を駆使する機会がなくなってしまったが、その分、ビデオを見たり、雑誌を読んだりできる。その分、心地よい緊張がなくなり、ルアーやフライのフィッシャーとしての張合いもないが、胃が痛くなるような思いをしないで済む。楽をさせていただいた。

ちなみに、ビデオボックスとしてのテレクラで見ていたのは、多少、時代の前後はあるが、早川愛美や東清美、村上麗奈、葉山レイコ、秋元ともみなど、可愛い&綺麗の美少女系のAV。あまり、AVには詳しくはないが、かの村西とおるが「ナイスですねー」なんて言っていた時代で、AV女優達はアイドル的な人気も得ていたと思う。

私自身は、実家住まいで、近所のレンタルビデオ屋が同級生の店という環境ゆえ、おいそれとAVを見る機会がなかった。唯一、見れる場所がビデオボックスという個室ビデオ店(ビデオが大量に陳列され、それをボックスタイプの個室で鑑賞できるところ)。まさに昭和の風俗だ。ビデオボックスがテレクラに変わったという感じだろうか。熱心に見た記憶はないが、AVや風俗情報誌を見ながら、時間をつぶしていた。

同所では、暫く、お付き合い(!?)する、離婚経験&子供ありという30代の肉感的な女性と出会っている。その女性とは居酒屋で落ち合ったが、酔った勢いで、キスマークが残るほど首筋にキスされ(というか、噛まれ)、さらには、その勢いのまま、彼女の自宅まで雪崩こむことになった。

肉感30代女性との出会いについてはまた、改めさせていただくが、その前に、前回に続く、ホモ・ソーシャルな出会いを語らせていただくことにする。テレクラ・ボーイズなので、当時の男性の行動や思考を書き留めることも、私の使命である。官能の情交描写は暫く、待ってもらいたい(笑)。

混線で男とデート!?

縁とは異なもの。不思議なこともある。

私が女子大生とアポを取っていたところ、まったくの偶然で電話が混線し、男性の声が聞こえてきたことがあった。会話中に時々通じなくなり、スムーズに話すことができない。それでも待ち合わせ時間と場所を決め、お互いの服装や容貌など、待ち合わせの目印は教えあった。少々心もとないアポだったが、とにかく待ち合わせ場所に行くことにした。

アポの場所は新宿ではなく、五反田。電車移動なので急いで個室を出なければならない。慌てて身支度をしてから個室を出ると、同じように個室から慌てて出てくる男性がいた。お互い、同じように焦っているので可笑しくなり、顔を見合わせる。初対面で、当然、面識も交流もなかったが、何故か、急いでいるにも関わらず、話し込んでしまう。

聞けば、先ほど、混戦していた女子大生とアポを取ったという。その女性は二人と同時に話していたわけだが、それに気付かなかったのだろうか。良く見ると、私達は年恰好も服装も似てはいた。

ダブル・ブッキングか。半信半疑だが、二人で、待ち合わせの場所まで行くことにする。その彼は、車で来ていたので、同乗させてもらうことにした。

同じアポを取った女性のところへ一緒に向かう。偶然とはいえ、かなり変なシチエ―ションである。何故か可笑しくなり、笑いが込み上げる。車中は、多少、ばつの悪さもあり、当たり障りのない話に終始したが、相手を出し抜いてやる、といった競争心みたいなものはなかった。それは運転している彼も同じで、特に焦ることなく、こんな状況を楽しんでいるかのように見えた。

待ち合わせ場所に着くと、果たせるかな、アポを取った女子大生は来ず。当たり前だ。混線して会話した二人の男性と会おうなんていう女性はいない。私達は当然の結果として、すっぽかしを食らう。

そこで解散しても良かったが、離れがたいものがあり(何度もいうが、私は異性愛者である!)、一緒に居酒屋に行くことになった。車なのにアルコールというのは、あの時代ゆえのこと。お許しいただきたい。

まずは、乾杯後、簡単な自己紹介。その男性、年齢は、私より少し下で、20代後半だった。ビル管理の会社に勤務していて、勤務時間が変則的で、時々、テレクラの朝までコースを楽しんでいるという。彼は同チェーン店の常連で、それなりの戦績(こんな表現が、ナンパ華やかなりし頃ゆえのこと)を上げているという。お互いの嬉し恥ずかしい武勇伝を披露しあうが、意外にも盛り上がったのが村上春樹の話題だった。

1987年に国民的ベストセラーとなった『ノルウェーの森』は、当時の男子の嗜みのような模範図書だったが、二人とも『風の歌を聞け』や『羊をめぐる冒険』など、彼のデビュー直後から注目していたことを誇らしげに語る。勿論、春樹以前、ヴォネガットやブローティガンなど、米文学にも精通していた。村上春樹的世界とは対極(でもないか)にいるような、生臭い遊びをしているにも関わらず、二人とも気分は文学青年。浪漫症候群でもあった。

後に、二人で夜更けに車を飛ばし、『パン屋再襲撃』と怒鳴りながら、大いに盛り上がったものだ。当然、深夜ゆえ、パン屋などはやっていない。マクドナルドは24時間営業だったかもしれないが、襲撃するような根性は持ち合わせていない(笑)。

いまにして思えば、男性が村上春樹噺で盛り上がるなど、若干の気持ち悪さもあるが、まだ、随分と若かった頃だ。それゆえ、お許しいただきたい。

その日以来、彼とはつるむことになるが、最初の再会の場所は、テレクラではなかった。

“アンド・フレンズ作戦”

新しい男性関係は、新しい女性関係を生む。私は、“アンド・フレンズ作戦”と名付けていた。

ある程度、そこそこ、ちゃんとした男性であれば、出会いがないといいつつも一人や二人くらいの女友達がいる。その女性とは恋愛関係になくても(むしろ、ないほうが望ましい)、飲み会(いわゆる合コン!)には、数合わせ、人数調整のため誘われるものだ。

そんな飲み会に私も駆り出されることになる。新しい男性関係は、そこから新しい女性関係に繋がる。ましてや、欲望を秘めた者同士、最初からお互いお里が知れている方が男性も連携しやすく、団体戦へ持ち込めるというもの。

その彼も私のように、会社も生活環境も違う、利害関係のない人間の方が気安く、声をかけしやすかったのかもしれない。

再会の場所は、新宿でも五反田でもなく、池袋である。結婚式場に隣接するレストランだった。その彼の知り合いの女性が主催したもので、男女3対3だったと思う。主催者は20代半ばの家事手伝いをしているお嬢様然とした女性。自由が丘に住んでいるという。下町生まれ、下町育ちの私からすれば、生息地(居住地)だけで、お嬢様と認定したくなる。育ちの良さそうな佇まいと、鷹揚な物腰。実はその女性、彼がテレクラで押さえておいたのだ(性交渉などには及んでないが、なんとなく、友達関係を維持していた)。合コン好きらしく、人材募集のためのテレクラ利用だった。勿論、そんなことはおくびにも出さない。

合コンそのものは、差し障りのない会話ながら、それなりに盛り上がった。私自身、普通の会社員ではなく、フリーランス(フリーター!?)だったため、物珍しがられ、私が振る話題も普段聞けないことが多かったようだ。

私の服装もスーツなどではなく、カジュアル(といってもそこそこ、お洒落はしていたつもり。何しろ、シップスにミウラ&サンズ時代から通っていたし、ハリウッド・ランチ・マーケットも外苑時代に行っている!)。ある意味、毛色が違うということで、合コンの彩として、しきりに声を掛けられることになる。

混線電話の彼とは、その後も“相棒”として、テレクラだけでなく、合コンやねるとん(もはや、説明が必要だと思うが、お見合いパーティとでも訳しておこう)、異業種交流会など、時間や場所を変え、転戦していた。彼のお蔭で、人間関係が飛躍的に広がった。当然、仕事などでも人脈は広がるものだが、仕事の場面では、自らの狩猟本能を隠蔽し、慎ましやかに謹厳実直を演じていた。遊びの人間関係の拡大は、彼がいなければ、なし得なかったこと。

不思議なことに、後年、その彼の結婚式へ出席して、私は友人代表として挨拶までしている。ちなみに、テレクラ仲間ということは二人だけの秘密で、周りには村上春樹ファンということで知り合ったなどと、まことしやかに説明している。勿論、彼の奥様も知らないことである(ちなみに、彼は奥様とは学園祭のねるとんで知り合っているが、それは周りには秘密にしている)。

あれから20数年経つが、いまだに年賀状は来る。数年に何度かは、会ってもいる。思えば、不思議な縁である。テレクラ・ボーイズの“絆”は、意外と強いもの。それに比して、男と女の関係とは脆く、儚い――。