2012-06-15

第4回■サイレン(欲望のマーメイド)

熱い夏だった。その年、1987年の夏が実際に熱かったかは、“天達(あまたつ)ーっ”のような気象予報士が検証すればいいことだが、私の体感では熱帯にいるようだった。焼けつくような日差しがアスファルトを溶かし、陽炎が浮かぶ。夜はその熱を冷ますことなく、湿気を孕みつつ、うだる。熱帯夜だ。

その夏の暑さは人々の思考回路を狂わせ、時には躁状態にもする。毎日が祭りのようだった。誰もが浮かれ、騒がしく、燥いでいた。

歌舞伎町とて例外ではなく、不夜城の住人達もサマー・カーニバルに興じていた。危険な香りを纏う夜の紳士達も百鬼夜行のごとく、跳梁跋扈する。甘い誘惑はキャッチ・ガールだけではない。客引き、ぽんびきが、通りの交差する十字路に立ち、道行くカモどもを狙う。かのロバート・ジョンソンというブルース歌手に「クロスロード」という名曲があった。ロバート・ジョンソンは夏のある日、十字路でギターがうまくなるために自分の魂を売ることを悪魔と契約する。彼はブルースで名声を得るが、その日から地獄の番犬に追われ、ほどなく契約通り命を奪われた……という伝説もあるくらいだ。

いまでこそ、街頭カメラや迷惑防止条例などが抑止効果となり、しつこい客引きなどを表面上は見かけることは少なくなったが、まだ、時代は混沌としている、世界に冠たる東洋一の歓楽街。メインストリートのならず者の如く、歌舞伎町のそこかしこに出没し、ほろ酔いの千鳥足で歩く、物欲しげな眼差しの男達に、「5000円ぽっきり」や「いい子がいます」などと、甘い言葉を投げかける。時には、客ともめ、警察沙汰になることもある。交番にカモどもが泣きつくが、当時は暴力事件などが起こらない限り、警察は民事不介入で取り合わなかった。警察は昔も今も私達の味方だった例がない。

私も歌舞伎町通いを続け、この街の住人らしくなり、しつこくつきまとう客引きなどを、やんわりとかわす術を身に付たと思っていた。

ところがお盆の最中(帰省とは無縁の東京生まれ、東京育ちの都会人の私だ)にもテレクラ通いを続けていたとき、夜食を取りに通りに出たところで、客引き達につかまってしまった。

お盆で客が少ないこともあって、焦燥感か、彼らも必死、かつ、高圧的だった。普段なら話かけることはあっても腕をつかまれることなどない。ところが掴んできたのだ。それを振り切るため離せと怒鳴り、無理やり解くと、彼らの態度が変わった。いきなり胸ぐらをつかみ、金を出せ、と、客引きから恐喝に変わったのだ。

財布を出すようにいわれ、しぶしぶ、ジーンズのポケットから出すと、彼らは財布の中身を見た。中には小銭しかなく、ほとんど空だった。彼らが呆れ、諦めた隙をついて、一気に通りを駆け抜け、逃げ切った。

実は、予め財布から札を抜いている。札は靴下に忍ばせていた。歌舞伎町は危険な街だ。それくらいの備えが必要ということ。備えあれば憂いなし。何事も用心し、慎重であることにこしたことはない。風俗情報誌で、客引きにつかまった時の傾向と対策を予習していた成果だ(笑)。

テレクラ修行僧

相変わらず、私の修行時代は続くが、その頃にはだんだんとコールが取れるようになってきた。受話器を耳にあて、フックに指をかける。鳴ると同時にフックを上げる。それが随分と迅速にできるようになった。同時に、集中していると、電話が鳴る前に着信ランプの点灯を一瞬に確認、コールが取れるようになる。さらには点灯する前に、コールが回線の中を疾走することを瞬時に察知し、コールを取れるようになってくるのだ。

錯覚みたいだが、コールが回線を駆け巡る瞬間、まるでフローリングの床にパチンコの玉を落とし、転がるような音や、鍵穴に合鍵を差し込んだ瞬間のような音がするのだ。擬音化すると、カチッとなる。そのかすかなきっかけを逃さず、フックを上げると、コールが取れる。

恐ろしいまでの集中力。多分、当時は動体視力と反射神経も高かったはず。くだらない話だが、フリーター時代を経て、ある企画会社に短期間おせわになったとき、そこでも会社の電話に瞬時に反応し、早取りをしてしまうことがあった。いわゆるテレクラあるあるではないが、電話が鳴ると、思わず身体が反応してしまうという同志も多かったはずだ。

幼少期、家が裕福だったため、算盤や習字、お絵かきなど、いろんな習い事をさせられ、青年期にはギターやピアノなどにも手を出したが、どれも続かず、ものにならなかった。一角の人物になるため、親が整えてくれた環境はどれも無駄になってしまった。ところが好きこそものの上手なれ。テレクラ術(というか、コールの早取り術!)だけは恐ろしいほどの熱心さで習得に励んだ。不思議なもので、そんな努力はまったく苦にもならない。むしろ、創意工夫しながら、楽しんでいた。

ボディコン+ソバージュの女

早取り術を習得した私は漸くコールが取れるようになった。これでテレクラというレースに初めて加われるというもの。そんな中で、一番、嬉しいのが公衆コールという、公衆電話からの電話だ。公衆コールは、既に歌舞伎町などにいて、これから会おうという気でかけているから、アポも取りやすいのだ。勿論、そう美味しい話は転がっていない。

その女性は外資系の企業に務める20代後半のOLで、会社帰りらしく、新宿駅の公衆電話から掛けてきた。ロングのソバージュ(椿鬼奴の髪型を想像してもらいたい)で、ボディコンだという。既に死語となっているが、いわゆるイケイケ系(派手で、恋愛やセックスに積極的)だ。

新宿東口の老舗書店、紀伊国屋の階段のところで待ち合わせた。
彼女がやってきた。その女性は、恰好そのものは確かにボディコンにソバージュ。しかし自称年齢に優に20歳から30歳は足さなければならない容貌だった。ソバージュというより、ただのおばさんパーマ。化粧が厚塗りで、浮いている。また、あきらかにブランドものとはほど遠い、紛い物を纏っている。どこが外資系のOLなのだろうか。いくら、基本、嘘やかりそめが許される世界といえ、20、30のサバ読みは掟破り、ルール違反だろう。

とりあえず、飲みに行きましょう、と、声をかけ、歌舞伎町へ向かう。靖国通りに面した安そうなチェーン店の居酒屋へ入ることにする。その店は階段を下りた地下にあるのだが、まず彼女に先に下りてもらう。その女性の視線から私が消える、その隙に、一目散に逃げ出した。いまにして思えば随分と悪いことをしたが、時間と金は無駄にしたくなかった。付き合う気もセックスする気もない女性と酒を飲むのも、その金を払うのも無駄なことだ。“time is money”、“greed is good”の時代だ。欲望に忠実、対費用効果、効率的であることに躊躇いはない。

思えばこの時代、逃げ足だけだが、随分と俊敏で、俊足になったような気がする。born to runではないが、走らなあかん、夜明けまでのように、連日の如く、歌舞伎町を疾走していたようだ。ものすごい運動量だぜ。

もっとも、全力疾走しつつも歌舞伎町からは抜け出せずにいた。この街の住人達との小さな物語を紡いでいるだけで、ストリートの先のロードへのチケットは、持ってはいなかったのだ。

女子寮からのコール

“A boy meets a girl,A girl meets a boy”の物語は突然、やってくる。
その電話は、いかがわしいキャッチや怪しい公衆コールをやり過ごし、少しコールが落ち着いた、終電の1、2時間ほど前の1本だった。その女性の電話は自宅(後で知ることになるが女子寮)からだった。住んでいるのは京王線の先、東京と神奈川の県境あたりだという。公衆コールではない、新宿にいるわけではないから、すぐには会えない。後日、会う約束を取り付けなければならない。その分、どっしりと構え、じっくりと話さなければならない。

聞けば、看護師で、明日は丁度、休日だという。どんな休みを過ごすかみたいな話になったと思う。年齢は20代半ばで、新人ではないが、病院では中堅というところらしい。いうまでもなく、看護師の仕事は時間が不規則。土日も休みということはない。それゆえ、友人と時間や休日が合わず、なかなか約束をすることもできないという。

そんな時、私は都合のいい男になる。フリーターみたいなものだから時間はいくらでも作ることができるのだ。

どういう経緯で、アポを取り付けたかは定かではないが、彼女がシティホテルのプールへ行くことに興味を示したことは覚えている。ホテルのプールなど、バブル時代だからか。プールサイドで、素敵な女性の水着姿を横目で眺め、文庫などを読むなんていうのが流行っていた。そこにトロピカルドリンクなどがあればいかにもという感じだろう。

私自身、決して裕福という状況ではないが、ある外資系のシティホテルのプールは夕方になると極端に料金が割り引かれ、2000円もしないことを知っていたので、そんな優雅な気分と淡いアバンチュールを求めて、何度か利用したことがあった。実際、プールサイド・ナンパもかつて成功させたこともあった、と自慢しておく(笑)。

シティホテルの最上階にあるプールで泳ぐという話を振ると食いついてきて、どういうわけか、二人で、泳ぎに行こうということになる。翌日、そのホテルのロビーで待ち合わせをすることになった。待ち合わせは、プールの割引になる時間に合わせているはずだから5時過ぎだったと思う。

私に運命のマーメイドがやさしく微笑みかける。人魚姫と欲望の海を泳ぎ切れるのか。それは甘美なるロードムービーの幕開けでもあった。そこには星空のドライブが待っている。