2012-05-25

第1回 バブリーエイジ――テレクラのあった10年

いまや“出会い系”としては、絶滅危惧種となったテレクラ。しかし、テレクラは伝言ダイヤル、SNSなど、今に続く出会い系サービスの先駆けであり、見知らぬ男女が出会うための初めての社会的“装置”だった。

この連載では、出会い系の元祖たる、テレクラの黄金時代を振り返ってみたい。そこからこの国の男女はどう変わっていったのか、それとも変わらなかったのか、みえてくるものもあるかもしれないと思うからだ。

語り部の梶木俊作こと、私を簡単に自己紹介させていただこう。東京の下町に生を受け、同所で育ち、半世紀を生きる生粋の東京人。“下町の電通”と自称(詐称!?)する自らの企画会社で、真面目に仕事に打ち込む傍ら、日夜、どうしたら女性と出会い、セックス出来るかばかりを思考し、実践する。「一生懸命、遊ぶ」をモットーとする真面目な遊び人である。ストリートや合コンから、テレクラや伝言、ネット、SNSまで、出会い系は、ほとんど体験済。今回は“持ちネタ”の一部を公開させていただく。

なお、文中の名称などは、プライバシー保護(勿論、私のプライバシーが最優先だが)の立場から、一部仮称、創作であることをご了解いただきたい。


初めてつながったコール

「まさか、彼女じゃないだろう」という言葉を心の中でつぶやく、数時間前のこと。私は慣れない(というか、取れない)電話と格闘をしていた。ベルが鳴った途端、すぐに受話器を取るが、既に誰かに先を越されている。電話を掛けてきた相手と話すことさえできないのだ。

テレフォン・クラブ(テレクラ)。テレコミなどと隠語で表現されることもあったが、電話一本で、男と女が繋がる夢のような装置だ。その店、「ジャッキー」は、不夜城といわれる新宿の歌舞伎町にあった。“テレクラ初めて物語”は機会を改めさせていただくが、今考えると、もしその場所との出会いがなければ、あの時節は実に無味乾燥なものになっていたと思う。そのテレクラに足繁く通う、というか、入り浸る契機となったのが“彼女”だった。

その店は早取り制(取次、順番制などもあるが、それらは、またの機会に説明する)、ベルが鳴り、最初に電話を取った者が話すことができる。外から女性が電話をかけ、テレクラの店内にいる男性が取る。店の営業努力(レディマガの広告や店名入りのティッシュ配布など)や時間帯にもよるが、時々、通話が集中し、電話が余り、その“コール”を難なく取ることができるのだ。

多分、彼女と話す契機は、その余りコールからだったと思う。聞けば、仕事で嫌なことがあって、憂さを晴らしたいという。20代半ばでデザイン関係の仕事をしていて、嫌なクラアントに駄目出しをされ、腐っているようだ。誰でもそんな時はある。逢魔が時ではないが、たまたま、目にしたテレクラのティシュにあったフリーダイヤルの番号に電話してしまう。テレクラに電話するのは初めてで、勿論、相手と会ったことなどもないという。いまとなっては自分がどんな話をしたか覚えていないが、私の優しそうな声(に聞こえたらしい!?)に安心したらしく、お酒を飲むのを付き合って欲しいといわれる。

下品な表現だが、“やれる!”とは考えていなかった。とにかく、会えることの驚きが勝り、先のことなど思いもしない。イノセンスなどというと、これから語ることにもっとも相応しくない言葉かもしれないが、テレクラという装置への無邪気な好奇心みたいなものがあった。もし、その時、下心らしきものがあるとしたら、彼女が仕事で抱えた憂さを少しでも晴らし、僅かでも重荷を解き放ち、軽くしてあげること、余計なお世話だが、そんないい人気取りであったように思う。

白い開襟シャツの女

テレクラでちゃんと話したのもアポを取った(待ち合わせする約束を取る)のも初めてのこと。新宿・歌舞伎町で、気の利いた待ち合わせ場所が思いつかない。彼女からは、歌舞伎町の一番街を入ったところに「キャッスル」というカフェバー(カフェとバーが合体した当時のトレンディなスポット。西麻布のラ・ボエムや麻布のプレゴなどがはしりか。ただのカフェやバーではなく、イタリアンも出した。ナイトクラビングの根城)があるので、そこはどうかといわれる。私は心当たりがなかったため、当時、コマ劇場の斜め前にあったディスコや居酒屋、ゲームセンターの入っているビルの1階の「ロイヤル」という喫茶店はどうかと提案した。ところがなかなか決まらず、噴水の前やコマ劇場の入口など、待ち合わせ場所が二転三転する。最終的には、「ロイヤル」になったと思った(と、敢えて、そう表現させていただく)。待ち合わせの目印を教え合う。髪は肩までで、白の開襟シャツに紺のスカートだという。まるでリクルート・スタイルだが、当時はデザイナーぽいと感じた。いまであれば、携帯電話の番号やアドレスを交換しておけば済むものだが、まだ、携帯電話が身近な時代ではなかったのだ。

待ち合わせは1時間後、多分、夜11時だった。そんな時間から飲む。これは泊りか、という淡い期待ももたげる。アポを取った余裕からか、余りコールだが、不思議と電話が取れるようになり、意外と会話も弾んでいく。あわよくば、ダブル・ブッキングもありか、とさらに期待はふくらむ。

約束の時間が迫り、余りコールを軽くいなし、歌舞伎町の雑居ビルにあるテレクラを出る。勇んで、待ち合わせの「ロイヤル」へ行くが、待ち合わせ時間の11時だというのに、お目当ての女性はいない。すっぽかしか。テレクラであれば、誰も食らう、女性からの冷たい仕打ちだ。男は叩かれて、強くなる。

まだ打たれ慣れてない私は少し涙目になりつつ、15分ほど待ってみる。しかし、一向に来る気配はない。ひょっとしたら、別のところで待っているのではないか、という思いが浮かぶ。待ち合わせ場所は二転三転している。勘違いしているのではないか。

最初に彼女が指定した「キャッスル」へ急いだ。ドアを開け、店内を見回すと、丸テーブルのところにいた女性が私を見て、微笑む。胸元を見ると、白い開襟シャツ。

目印は合っているし、私とも目があった。しかし、私の心の声は「まさか、彼女じゃないだろう」と、呟いたのだ。清楚で可憐という、手垢のついた表現はいかがなものかと思うが、そうとしかいえない容貌。その肢体からは慎ましやかな風を漂わし、淑やかな匂いを香らせる。そんな女性がテレクラなんかに、電話をかけるわけがない――。

私は声をかけることもなく、踵を返し、その場を立ち去ってしまった。すっぽかされたショックからか、また店に戻り、電話と格闘する気が起こらず、終電が近いこともあって、そのまますごすごと家へと帰った。

家に戻り、風呂に入り、湯船につかると、まさかではなく、ひょっとしたら、彼女がアポを取った女性ではなかったか――という思いが頭の中をぐるぐると回り出した。違っていてもいい、何故、声だけでもかけなかったのか。後悔、悔恨、斬鬼……逡巡すらしなかったことに激しい後悔の念が込み上げる。俺は、湯船のお湯で、溢れ出る涙を洗い流した……というのはおおげさだが。

テレクラを研究対象とし、自身がテレクラマニアでもある社会学者の宮台真司氏は、ビキナーズラックではないが、初テレクラで美味しい思いをしたものは必ずテレクラに嵌るという。そういう点では、私自身は決して美味しい思いをしたわけではない。むしろ、本来、会えるべき未来の恋人(!?)とすれ違ってしまった。そのことが逆に、テレクラに溺れる契機となった。つまり、テレクラで電話を待っていれば、いつか、彼女と“再会”できるのではないか。そんな一縷の望みから、私のテレクラ放浪記が始まったのだ。

泡沫の青春時代。いまとなっては幻の10年とでもいうべき、季節に起こった物語の幕が静かに開いた――。