2006-01-05
ニューヨークの思い出(1)
先週の火曜日、ワールドトレードセンターが建っていた跡地に行った。観光客がグランドゼロのまわりに立てられたフェンスに群がり、写真を撮っている。フェンスには、9.11に何が起きたのかを分刻みで記録したパネルも用意されている。わたしはこのだだっ広い跡地を一周してみた。跡地付近のファーストフード店からビルまでが無傷で残っているという事実に純粋に驚いた。事故直後は窓が割れたりはしたのだろう。しかし、建物を倒壊させるほどの衝撃はなかったのだろうか。それとも倒壊した建物のあとに新しくビルが立てられたのだろうか。まわりのビルディングがマンハッタンの他の場所にある建物と何ら変わらず無傷でそびえたち、その中で人々が普通のニューヨーカーと同じく働く姿を見ると、アメリカの根幹を揺らがしかねなかった事件も、戦争を二度までもやったのに、四年が過ぎれば風化するのか、と思わずにはいられなかった。イラクも四年経てば、マンハッタンのように何事もなかったかのように、復興されるのだろうか。
一周してから地下に入るとそこには地下鉄の駅があった。
跡地を去り、グランドゼロの目の前にある教会に入った。観光客とクリスマス休暇のために来たであろう人々でごった返している。そこには現場で活躍した人々の写真が展示され、世界からのメッセージが置かれてある。
それにしても、ワールド・トレード・センタービルの真向かいに教会があったとは知らなかった。
そのあとイタリア街・中華街まで歩いた。
イタリア街と中華街は入り組んでいて、中華のお店を探していたら、いつの間にかイタリア系料理店ばかりになる。別の通りにいくと、漢字で書かれた店舗が並ぶ。ふたつの店舗を見て、混み具合や店の雰囲気から判断して、そこそこ込んでいたタイ料理店に入る。はじめに見た店舗には客が四人しかいないから、こりゃあひどいかもしれんぞと思い、人々で賑わうその店に、お手ごろな価格であることを確認してから入った。
メニューを見て、野菜炒めとタイ風カレーを注文した。野菜は青菜をいためたものがタイ米(茶碗二個分ぐらい)とともに出てきた。そして、カレーが到着、なんとライスがそれにもついている。Jesus!!!とアメリカ人ならば叫んでいるだろう。んなわけないか。さすが、アメリカ、これだけの量を喰え、というようだ。とりあえず野菜をまず食べる。悪くない。カレーを一口。うーん、これはけっこうイケる。食欲をそそる淡いテーストだ。御飯をまず一皿平らげた。それでも、カレーが実にアッサリした味なのでまだまだ食べられそうなので、御飯のお皿、二皿目へと突入した。全部食べ切れたし、食べきりたい思い、つまり残したらもったいないという気持ちがあったのだが、体重のことを考えて3分2ぐらいを平らげてから、箸をおいた。
胃の中の半分くらいが御飯に占領されたような心持ちになった。わたしはそこから地図をみて、ニューヨークのゲイタウンであるクリストファー通りへと向かった。
太陽が降り注ぎ、体を温める。マンハッタン南部は高いビルがそれほどまで多くないので、少しホッとする。
クリストファー通りについてから、ゲイ・ショップに何軒か入った。わたしは世界のゲイタウンに行くたびにその地の虹色グッズを買うことにしている。女性向けのレインボー・カラーのビキニを見つけた。レインボーのエプロンもある、ハンドバッグも、マフラーも。でも、どれも私の心の琴線に触れなかった。レインボーでも、私の好みの色彩ではなかった。
ゲイ・タウンを30分くらいふらついてから、42丁目の中央駅へと向かった。中心部に近づくごとに人が多くなり、歩く速度が遅くなる。そして、高層ビルが建ち並び、太陽を遮る。まったく寒々しい街だ。
駅に行く前にブック・オフに寄った。
ここのブックオフはパリのそれと比べてお手頃な価格だ。日本のブックオフとさしたる違いはない。品揃えもいい。日本人のニューヨーカーは住むのにいいですな。日本食品店もたくさんあるし。