2007-09-18
サルコジ政権、社会党の重鎮を次々と引き抜き
『インターネット新聞・JANJAN』に【 サルコジ政権、社会党の重鎮を次々と引き抜き】という記事を書きましたので転載します。
【本文】
フランスのニコラ=サルコジ大統領は、党派の垣根を超えて人材を抜擢し、政権強化へとつなげている。6月に発足したフランソワ・フィヨン首相の内閣では、社会党政権下で大臣を2回務めた同党の重鎮で1、2の人気を争う政治家ベルナール=クシュネル氏が外相に抜擢され、社会党の経済政策専門の書記官だったエリック=ベッソン氏が経済担当の閣外大臣に充てられ、リヨネル=ジョスパン左派連立政権で官房次長を務め、フランソワ=オランド「社会党」党首の側近だったジャン=ピエール=ジュイエ氏が外交担当の閣外大臣に充てられた。
クシュネル氏に並んで社会党の人気ナンバー1の政治家だった社会党幹部のジャック=ラング元文化相は7月16日、サルコジ大統領が推し進める第5共和制の改革を策定する委員会に加わると発表した。オランド党首は、ジャック=ラング元文化相をひきとめるために精力をつくしたが、ラング氏は社会党幹部会を去ることになった。同委員会では憲法改正、下院議会議員選挙への比例代表制導入、大統領の国会での発言権など国家制度に関わる重要な改革が議論される。委員長はエドアール=バラデュール元首相が務める。
バラデュール氏は、1993年に社会党が総選挙で過半数を失った際に保守系から選出され、93年3月29日から95年5月11日まで首相を務めた。当時の大統領は社会党のフランソワ=ミッテラン氏だったため、大統領が左派で首相が右派という保革共存政権といわれた。1995年春の大統領選挙に、首相としての高い人気を背景にバラデュール氏は出馬し本命視されたものの、同じ保守系候補のジャック=シラク氏に第一回投票で破れた。氏はその後、決選投票で勝利し誕生したシラク政権とは距離をとって、下院議員の活動に専念する。このたび、第5共和制の改革を策定する委員長ポストについたことにより、政権の第一線に久々に復活することとなった。
経済成長の底上げを重んじるサルコジ大統領は8月30日、経済成長を促すための規制緩和などについて検討する大統領直属・肝いりの「経済成長委員会」を発足させた。委員長には、ミッテラン社会党大統領の特別顧問を10年務めた側近中の側近ジャック=アタリ氏を充てると発表した。同委員会はフランス国内外の一流の専門家42人で構成される。アタリ氏はスタート直後、現在の経済成長率が2%程度に留まっているのに対して、「フランスの経済成長率を5%まで引き上げる方法を盛り込んだ報告書を提出する」と発表した。
さらに、社会党のミシェル=ロカール元首相は秋の新学期を機会に発足した「教職者再評価協議委員会」の最高権威に就任した。ロカール氏は1988年5月10日に首相に就任し、91年の5月11日まで務めた。久々の晴れ舞台にロカール氏は教育者の指導に当たるという。サルコジ大統領は、国際通貨基金(IMF)の次期専務理事として社会党重鎮で次期党首に推す声も高かったドミニク=ストロス=カーン元財務相を推薦することも決めている。
人気政治家や幹部が一気に流出することで、社会党は混迷している。フランソワ=オランド党首は下院議会で厳しく政府を追及していくことで、存在感を発揮しようとしている。