2007-10-11

エイズで逝ったパリの恋人(中) 恋人への尽きせぬ思い

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オーマイニュース』に次のような記事を執筆しましたので、転載いたします。

主題:エイズで逝ったパリの恋人(中)
副題:恋人への尽きせぬ思い

【本文】

「私にとって彼はけっして遠い存在ではないけれど、私の傍にはもういません」

 ロメロ氏はかつての恋人、ユーバートさんのことをこう懐かしむ。

2005年9月のある夕刻、私はロメロ氏に、氏が暮らすパリ市内のアパルトマンでインタビューをした。

最愛の恋人をエイズで失ったジャン=リュック=ロメロさん(2005年9月)。(撮影:及川健二) ロメロ氏とユーバートさんが出会ったのは1984年5月のことだという。ロメロ氏は24歳、ユーバートさんは25歳であった。

「彼は栗色の短い髪の毛で、ハシバミ色の美しい目をしていた。破滅的なまでに美しい微笑みを持ち合わせ、ずば抜けたエネルギーと気力をみなぎらせていました。彼には古典的な美しさがあったわけではないけれど、あまりお目にかかることのない愛らしさがあった」

と、ロメロ氏は彼の魅力を語る。

 ロメロ氏が25歳の誕生日に撮った1枚の写真がある。色あせた写真には、黒いジャケットと白い襟シャツに蝶ネクタイ姿の、頬骨のラインが見えるくらいに痩せて可憐なロメロ氏が写っている。バースデー・プレゼントに誰かにもらったのであろうピンク色の縫いぐるみを背負わされている。白い襟シャツの袖をまくり胸元を開いているユーバートさんは、ロメロさんの両肩に手をおいて相好を崩して笑っている。

 誕生日会には男友達が何人も参加したようで、2人の愛らしい姿をやさしい視線で見守っている。80年代のフランス映画に出てきそうな一こまだ。

 2人は当時、パリ9区のレベヴァル通りにあるアパルトマンで同棲生活送った。そこは、ユーバートさんが、かつての恋人でその頃は親友として付き合っていた男性と共有していたものだった。

 彼の美的センスでしつらえられたその場所は、とても華やかだったという。大きな部屋がアパルトマンの1階全てを占めていた。整備の行き届いたアメリカ式の現代的なキッチンや、1階の隅にある食堂、ずいぶんと場所をとって暖炉を設置した応接間があった。2階には大きな寝室ととても広い浴室が備わっていた。そして、アパルトマンには庭園もあった。

 2人が生活するには十分の広さだった。

 「初夜に交わした愛よりも、ロマンティックなことを思いめぐらすことはできません」
 と、ロメロ氏が語るのもうなずけよう。

 古典的(classique)な落ち着きと現代的(moderne)な魅力を兼ね揃えたアパルトマンのなかで、情熱的で細身の2人が大きなベッドの中で、胸の鼓動が聞こえるほどに抱き合い、愛を交わしたあとに、その時間と熱情が変わることなく続くことを、体の芯から願ったことであろう。

 次の日の朝に、はぎ取ったベッドのシーツはキングサイズだった。2人はシーツを外に出し、陽にあてて乾かした。温かい空気を体一杯で感じて、愛を交わした体に陽が当たると、そのときの気分は、夏の暮れだったにも関わらず、春にいるような感じだったという。
 
 夜になって窓を開けば、数々の星々が輝くステキな夜空を眺めることができた。

「私は自分の内気な性格も忘れることができたし、心からリラックスすることができた。ユーバートさんの腕に包まれているときは、熱に浮かされたような興奮を覚えました。ユーバートさんと初めてその部屋で過ごした夜は、私の短い人生の中で、本当に心地よさを覚えた夜だったといえます」

◆エイズによる離別

 しかし、愛には必ず終わりがやってくる。2人もその例外ではなかった。

 愛情が憎悪に変わり、破滅的に愛が終わることもあれば、体をかわせばベッドのシーツが熱くなるほど燃えたのに、急速に冷めて離れていく愛もある。ロメロ氏とユーバートさんの関係を終わらせたのは、エイズという病による死であり、それは永遠の断絶を意味した。

 ユーバートさんが亡くなったのは1994年のことだった。2人が共有していることが判明したHIVが原因であり、エイズの発症によって死んだのであった。ロメロ氏は検査によってHIVに感染していることを知り、治療を開始していたけれど、ユーバートさんは最期まで楽天的で、ロメロ氏が検査をすすめても頑として拒み、その結果、治療を受けることなく発症となったのだ。

 ユーバートさんが死んだとき、ロメロ氏は、1989年から、パリ郊外のボビニー市の市議会議員を務めており、政界への道に進んでいた。

 ユーバートさんの亡骸が埋葬された後、ロメロ氏は墓地でずっと独り佇んだ。自分の話を聞いてもらいたくて、彼に話しかけた。彼とずっと一緒にいたかったのに、「私をおいて逝ってしまった」ことにたいして、文句を云った。

 何カ月も、哀しみは癒えることはなかった。哀しみのあまり泣きながら、恋人の喪失を歌った「Le Grand Sommeil(「大きな眠り」)」を聴き続けたことが、しばしあったという。

「いまでも寂しいですか?」

 ロメロ氏に私はこんな愚問をした。

「それはいまだって哀しいですよ。いまでも彼のことを愛しています」

 俯きかげんに、現在の心境を語る。

「彼のことを考えないで、演説をしたり、文章を書いたりすることは、今でもありません。夜に彼の体温をいまだに感じることがあります。ユーバートから私は愛を教わり、いまの世界観を与えられました。そして、本当の幸せというものを教わった」 

 最愛の恋人は、ロメロ氏が地方議員として問題に直面したときは、いつも相談にのり、的確な助言を与えてくれたし、出会った頃と変わることなく、体を重ねて愛を交わし続けたし、ふさぎ込むような哀しみを抱いたときは、やさしく抱きしめ、温かいキスを与えてくれた。

「私にとって彼は友人であり、恋人であり、思いやりのあるとっても偉大な兄です。私は幼少の頃、それらを欠いていました」

 燃えるような愛欲で深く結びついた関係でスタートしたけれど、2人で過ごした時間が蓄積するにつれて、関係は深化し成熟し、単なる性的なパートナーであるというだけでなく、哀しみの淵にあるときはその痛みを2人で分かち、享楽の絶頂にあるときは2人でその喜びを感ずる心のパートナーになり、感情を共有し、体を重ねることを繰り返すにつれ、他に代えることのできないものになるにいたった。

「彼が彼岸に逝ってしまってから、決して埋め合わすことのできなかった、そしてこれからも埋めることはできないであろう、言い様のない虚脱感を私は感じます」

とロメロ氏はいう。

 ユーバートさんが激しく恋した運命の人であったから、その喪失を嘆いているのではなかろう。一瞬の燃えたぎる感情は時を経れば冷める。しかし、熟成した関係、感情というものは時を経ればさらに深くなっていく。

 10年以上に渡って時間と空間、感情と肉体をともにしてきた結果、ユーバートさんは唯一無二の存在になっていた。だからこそ、その喪失をまるで自分の多くの部分が失われたかのような痛みとして感ずるのである。

  ロメロ氏は彼の「不在」によって、あらためてその「存在」の言い尽くせぬ大きさを感じさせられている。 まるで自分の多くの部分が失われたかのような痛みとして、ロメロ氏は彼の「不在」によってあらためてその「存在」の言い尽くせぬ大きさを感じさせられるのだ。